Monday, February 14, 2011

佐々木俊尚『キュレーションの時代』 / ECM



佐々木俊尚『キュレーションの時代』を読んだ。大きく言えば、インターネットの普及に伴い、TVに代表される大手メディアに対するオルタナティブなメディアが発達することで大きな物語が崩壊し、個別的な文化圏(佐々木氏の言葉ではビオトープ)が地理的な制約を越えて接続される、そのようなネットワークがさまざまなレイヤーで輻輳していく現代の時代状況を記述していて、その認識は僕も正しいと思うし、もっと言えば、大きな物語なんてリオタールそのままだし、ソーシャルメディアのネットワークは要はリゾームといえるわけで、つまりポストモダンという言説がそのままここで通用していて、『動物化するポストモダン』とも通低する部分が・・・。ということは何もここで言葉を尽くす必要もなかろうということで、むしろこの本の中でジスモンチが紹介されていたので、ECMからリリースされている1979年録音、チャーリー・ヘイデン(ba)、ヤン・ガルバレク(ss)、エグベウト・ジスモンチ(gt, pf)のトリオ編成の『Magico』を聴きながら出社したことを報告。いやあ、やはりECMはECM。なんつっても、メンバーだけ見てもECMだとわかる。実はヤン・ガルバレクがいるだけでECMとわかるのだが。そしてもちろん、音を聴いてもいつものあのECMで、金太郎飴的なあのリヴァーブ。北欧の空に向かって投げ出された音をしばし眺め、消え入るのを待つような。このアルバム自体は悪くないし、好きだけれども、流し聴きしていたら多分途中で別のECMのレコードに代わっても気付かないのではないか。たとえば、ジョン・サーマン(sax)、ボボ・ステンソン(pf)、ミロスラフ・ヴィトゥス(ba)、ヨン・クリステンセン(dr)のアルバムとかに。いや、この面子はいまテキトーにでっち上げたのだが、ミロスラフ・ヴィトゥスの『First Meeting』はほとんどこのままじゃないの! ECMの考えることは分かりやすい! とはいえガルバレクのソプラノサックスは、いい悪いは個別の好みとは思うけど、彼だけにしか出せない冷たい空気感と叙情性があって感心する。よく言われるような音色の透明感は確かにそうであるし、しかし意外にエモーショナルに吹いていて、その中での押し付けがましさのなさは秀逸だと思う。まあ今でも相応の評価をされているから、再評価とかそういうこともでないですが。もともとガルバレクはフリージャズ出身なんだよね。『SALT』とか、結構いいアルバム。



・『First Meeting』は特別話題になるような評価はされてないと思うけど、これも結構いいアルバムで僕は好き。ヴィトゥスのアルコとかがなかなか効果的に使われている。ベースのアルコって大体好きになれないことが多くて、というかそれはアルコは全然うまくないのにいきなり自分のリーダーアルバムになると弾きだすジャズベーシストって結構いて、たしかポール・チェンバースとかリチャード・デイヴィスとかそうだったと思うけど(うろ覚え)、このアルバムでのアルコは別にうまいとはいわないまでも開放感があって、それこそECMの空気感ともマッチしてる。あとはケニー・カークランドの粒立ちよいタッチのピアノがとてもよかった記憶がある。とはいえこのアルバムを最後に聞いたのは数年前なので細部まで覚えていてのコメントではないですが。ところで、早くして亡くなったけどケニー・カークランドはいいピアニストだよな。ケニー・ギャレットとかブランフォード・マルサリスとかといい演奏を残していたはず。

・念のため補足すると、ECMはレーベルオーナーでプロデューサーのマンフレット・アイヒャー率いるドイツのジャズレーベル。オスロにスタジオを持っており、僕は一時期までノルウェーのレーベルだと勘違いしていた。極めてレーベルのカラーが強く、音数の少ない、リリカルで緊張感のあるサウンドが特徴で、看板ミュージシャンにヤン・ガルバレク、キース・ジャレットなどがいる。最近は現代音楽のリリースなどもある。ただし、ヤン・ガルバレクといえばECMを連想するが、キース・ジャレットはキース・ジャレットであって、別段ECM以外からリリースされても意外ではない。(ECMのキースへのサポートはすばらしいですよ、念のため。)

・メディアが育まれる生態系をビオトープと表現するのは佐々木氏が初めてではなく、そのままずばり『メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする 』(水越 伸著)という本がある。