Friday, March 18, 2011

3.11 大震災に際して

2011年3月11日、金曜日。あの恐ろしい地震が日本に到来した。地震は東北の街を破壊し、津波が海岸の街を壊滅させた。これらの災害のため、福岡の原子力発電所は爆発を伴う大事故となった。そしてあれから今日で1週間が経つ。被害状況は交通が遮断されたことによる流通の寸断、そしてそれに伴う生活必需品の不足などによって、一段と深刻化している。原子力発電所の一連の事故は解決せず、今も懸命の復旧活動が薦められている。このエントリーでは、しかし、被災者のためとか、東京やその他の比較的被害の少ない地域に住んでいる人のためとかではなく、この未曾有の災害の渦中で、私が見て感じたことを少しでも記録しておくことを目的としようと思う。

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地震が発生したとき、私は会社のオフィスにいた。私のオフィスは、フロア貸しをしている川崎のオフィスビルの14階にある。新聞などで多くの人が書いているように、そしてそもそも多くの人が体験したように、地震は暫くは震度3程度のものであるような、比較的穏やかな揺れ方をしていた。私は同僚と顔を見合わせて、あ、地震だね、といった会話をしたと思う。しかし揺れはじめてから30秒くらいだろうか、地震は明らかにそれまで体験したことのあるものとは違う、激しい揺れ方に変わっていった。その時私は自席で一般的なオフィス用のローラー付きの椅子に座っていたが、体が左右に暴力的に揺すられ、座っていながら体を固定するためにパーティションにつかまらなければならなかった。揺れは長く続いた。揺れる間に、ビルの警報が鳴り、自動音声でまず震度4を観測した、とのアナウンスがあった後、さらに震度5を観測した、とのアナウンスが流れた。フロアの一部にある防災用の自動扉が、無機的に、そしてだからこそ深刻な響きの機械音をたてて一部の窓ガラスを塞いだ。(実はこの動作にどのような意味があるのか、よくわからないのだが。)14階のオフィスは、想像以上にしなって揺れる。窓から見える向かいのビルが、信じられないくらい左右に動いている。幸い、揺れが収まったとき私たちのオフィスに目立った被害はなかった。多くの同僚がすぐに家族の安否を確認しようとし始めた。私も妻と両親にまずは電話連絡を取ろうと試みたが、既に回線はパンク状態であり、つながることはなかった。しかしeメールでの連絡は(地震発生から暫く経ってからだったが)とれることがわかり、家族の安否に問題が無いことはすぐに突き止めることができた。(これによってインターネットという分散システムの強度を身をもって知った。)その後は多くの人たちと同様、私もネットニュースやTwitter上で流れている情報に釘付けとなった。ニュースではすぐに東北で震度7強を観測したとの情報が入り、私たちは騒然となった。Twitterでは各地での状況(とはいえやはり東京の情報が多い)が次々と流れ込んできた。しかしなにより衝撃だったのは、会社にある携帯電話のワンセグから見た津波の様子である。オフィスの状況を確認し、一段落ついたかと思った時には、既に東北の街は津波によって壊滅していた。ライブ映像では濁流となった津波が、田園を破壊していく。さらに、ヘリコプターからの映像は次の津波が海岸線に迫ってきていることを映し出している。このときばかりは、絶望的な気持ちにならざるを得なかった。

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地震の後、私を含め多くの人は5時半の定時まで仕事をして、ネットで帰りの電車が終日運休となることを知り、家の方向の近い数人で固まって帰路につくことにした。しかしこの期に及んで就業時間を守るのも、思考停止というか、今考えると逆に冷静な対応ではなかったような気もする。とはいえ、やはり交通状況がどうなるかは、これほど大きな地震を体験したことのなかった私たちの多くには不明であり、判断が遅かったのも致し方なかったのかもしれない。私たちはまずタクシーに乗り合わせて帰宅することにし、既に長蛇の列となっていたタクシー乗り場の行列の最後尾に並んだ。あの日、日の沈んだ東京(というか神奈川だが)は寒く、私たちはコンビニでかろうじて売っていた温かい鶏の唐揚げなどをつまみながら列が進むのを待った。私は風と寒さを少しでもしのごうと、コートのフードを被り、ポケットに手を突っ込んで風に背を向け、じっとしていた。私たちは恐らく2時間くらい待っていただろうか。列は恐らく少しでも進んでいることを感じようとする集団心理によって、それぞれの人が前の人との間隔を狭めることでじりじりと進んで入るのだが(それも笑える話だ)、実際にはいっこうにタクシーは到着しない。どうにもタクシーを捕まえることはできなそうだと判断した私たちは、少しずつでも徒歩で帰り、あわよくば路上で空いたタクシーを見つける方がよいだろうと考え、せめて少しでも進むことのできるバスを見つけて乗り込み、その終点から歩きはじめた。バスを降りてから私たちが通った道は停電はしていなかったが、やはり電車による帰宅が困難となり、茫然としつつももはや徒歩での帰宅に覚悟を決めた人たちが、電車の沿線の通りを連なりになってゆっくり流れていた。早々に閉店しているコンビニもあれば、11時を過ぎて営業しているイタリア料理店もあった。そして、会社を出てから後、タクシー乗り場も含めて帰路で見かけた人々は総じて冷静だった。私たちはその後、徒歩でなんとか車をもつ同僚の家までたどりつき、そこから私は自宅まで車で送り届けてもらうことができた。私が家に着いたのは深夜の0時半頃のことだった。妻は私のために食事をとらずに待っていてくれた。それから二人で食事をし、絶望的な震災のニュースを見て、私たちは眠った。

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そこから先、今日までにどのようなニュースがあったかを繰り返すことには意味はないだろう。これはあくまで個人的な体験の記録だ。だからそういったニュースのうち、幾つかについて考えたことを思い出してみよう。とはいっても、おそらくこれから記載することの大部分は既に多くの人によって書かれたのと同じないようであるだろうし、また読者の方々自身も感じられていることと思うが、ご容赦願いたい。

まずやはり最初に感じたのは、この未曾有の危機に際した日本国民の、モラルの高さだ。パニックがないとは言わない。都心での物資の買い占めはまさしく唾棄すべきパニックだし、疎開するのしないのと言った議論は、ほとんど議論として成立していない。しかし相互に助け合いを呼びかけ、スーパーが入店制限をすれば整然と列をなし、平日の朝に鉄道が止まるとなればバスや自転車で会社に参じる日本人は、やはり規律を守ることの美徳を身体化しているのだろう。また義援金や援助物資を集め、被災地に送ろうとする動きや、ネット上での安否確認のためのツールの整備の速度など、想像を絶する傷を負った日本と言う集合体が、その傷を癒すべく、自己修復的に協調していくさまは感動的と言わざるを得ない。今、日本は日本としてのアイデンティティをもって、復興と言う一つの目的に向かって団結しようとしている。

しかし、やはりこのような状況にあっては、例えば娯楽のようなものが「不謹慎」であるとされる空気が強まるのは当然のことなのだろうか。Twitter上では、このような状況にあるからこそナンセンスなジョークを発したり、あるいは豪奢なディナーをとったことを報告したユーザーに対して、過剰なバッシングが飛び交っているようである。また先ほども少し触れたが、原発事故に関連して東京を離れた人々に対して、臆病者扱いをする風潮さえある。私はこの不寛容の空気は極めて危険だと感じる。これでは復興には全体主義が必要であると言われているようなものだ。先ほどの例のように日本が一つの生命体のようなものなのであるとすれば(そして私はそのようなものとして考えて問題ないと考えているが)、患部からはなれた場所にある個々の細胞は、直接その傷を治癒するために役立つことはできない。しかし、その細胞も生命を生かす上で不必要なのではない。それぞれの細胞が、それぞれの目的に従い、休憩をしながらも、中央の意思すら直接関与することはない活動をすることを通じて、個々の局所的な生態系が、より大きな生命を活動させる。今度の危機に際して、私たちがすべきなのは過度な緊張状態を維持することではない。休憩や娯楽もあった上で、もっとも効率的な方法で患部、あるいは集合体としての全体を修復することである(一としての全体ではない)。

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その他に感じたことは、さらにあえて書く必要のあるほどのものではない。それでも例示すれば、はやり被災地の窮状には心を締め付けられる思いだ。そして一度テレビで見た、両親を見つけられない子供の嘆きが今でも忘れられない。彼らを救うためにできることは、しかしできるだけ無理せずに、していきたいと思う。そしてそれは気持ちであるよりも、実効的なものであるべきだ。いや、もちろん目に見えて実用的であるだけでなく、被災者、あるいは我々自身の心を潤すような活動だって、それは素晴らしい活動だ。むしろそのような貢献が私にできるのであれば、ぜひそうしたい。私だって、本当に小さな存在だけれども、一応は表現者でありたいと思っている。いずれにせよ、誰にだって今回の震災からの復興に対して貢献することはできる。できることをしよう。しかし、私たち自身が疲弊してはいけない。私たち自身が争ってはいけない。ただ、今は今できることを少しずつ。

Monday, March 07, 2011

Apple, Google, Facebook

iPad 2の発表で、またApple陣営と、Honeycombを発表したばかりのAndroid陣営の比較や対立構造についての記事がネット上に乱立している。製品の評価に違いはあれ、どれも取り立てて新しい主張を展開しているわけではない。大雑把に言ってそれらの主張は、Appleはハードのスペックだけではなく、ソフトウェアとの一体感を背景とする「エクスペリエンス」(しかしこの言葉、訳が難しいとはいえ、外来語のまま扱うのも胡散臭いし、かといって「体験/経験」と訳すのも気持ちが悪い)がすばらしく、またiTunesを含めたプラットフォームこそがAppleの強みであって、そのような環境はAndroidにはない。逆にAndroidはオープンソースであること、またそのようなオープンでリベラルな思想に基づく、いってしまえば開発者にとっての桃源郷というか、自由度が高くどんなことでも実現可能であるかのような共同幻想を与えられており、そのような自由を知ってしまうとAppleの閉鎖性はなんと狭苦しいことか、というわけである。ここまでの認識はもはやステレオタイプであり、しかも別段訂正する要素もない。個人としては、購入したアプリが今後ずっと使えそうであるとか、キャリアに囲い込まれることはなさそうであるとかいった理由もあり(もちろんApple自体に囲い込まれているわけではあるが)、Appleの製品を今後も利用するだろう。

ところで、このApple対Androidの図式は、基本的にFacebook対Googleの図式と符合する。GoogleがWebのなかでオープンネスを推進することにその企業生命をかけていることに異論はなかろうが、このオープンネス、つまりどこからでものぞき見られてしまう広大な空間の中に、外界から隔離され、信頼関係の範囲に限定したゾーニング空間(これはショッピングモールともつながるだろう)を構築した起業こそがFacebookである。もちろん日本におけるmixiなど、Facebookの以前からこのような閉鎖空間は作られてきたが、彼らほどの規模を実現した例はない。こちらのFacebookとGoogleの戦いは、少なくとも短期的にはFacebookの方に分があることは誰しもが感じるところだろう。これはこれまでのGoogleの検索を中心とした情報の流れが、<発信者-Google-受信者>という、出所と受け取り手が明確な関係から、ソーシャルグラフを介したユーザー相互のバケツリレー方式で網の目上に広がっていく、SNS以後の新しいフェーズに移行したことを表しているだろう。このようなネットワークが広がるためには、プラットフォーム自体への信頼と依存が欠かせないが、Webという視点で言うと、この信頼感の獲得競争において、FacebookおよびTwitterが現時点での圧倒的な成功者であることは言うまでもないだろうし、そしてもちろんデバイスという面では、Appleが明らかに先行している。

もちろん、スティーブ・ジョブズのいう統合対分断(Integration vs Fragmentation)という対立軸は、今後も残り、そして時勢によって優劣は揺れ動くだろう。(文脈を外れたら、どちらが望ましいことなのか判断できないだろう。これはそっくりModern vs Post-Modernと読みかえられる。) 少なくとも00年代はGoogleのオープン性が一人勝ちをしていたが、現在はApple/Facebookが勝ち組だ。そして今後の展開は、ソーシャルメディア上を流れる、(動物化した)個々人の欲動が、群としてどのように動いていくかにかかっており、そしてこのなんとも不気味な怪物(サマーウォーズのラブマシーンとは、この怪物のことだろう)の行く末を予見するのは、容易なことではない。