Saturday, December 05, 2009

アラザル3 on Sale



遂に、アラザル3発売!!!

もう直前ですけど、明日2009/12/6に文学フリマにてアラザル3発売開始です。
いつも通り、今後都内を中心に書店にも展開します。ちょっと今回は印刷に問題があるみたいなんですが(僕はまだ印刷上がったものは見てないんですが)、そのぶんディスカウントされます。書店に出す時には再印刷しますが、今回買った方がお得なうえ、レアアイテムっていうことでプレミア的な気分も味わえるはず。是非お買い求め下さい。

アラザルのブログ

アラザル3
2009年12月6日、第九回文学フリマS-16<批評誌「アラザル」>ブースにて販売
税込1000円 → 特価700円

Sunday, June 21, 2009

日記 2009/06/20, 21

・昨日はアラザルでvol.3に向けての会議。企画やインタビューのアイディアについて議論する。

・その後の飲み会で、ロックはもうソニックユースだけで良い。というような話題で盛り上がる。ソニックユース、本当にすばらしいバンドだと思います。思い入れありすぎます。

・実家の近くのブックオフでポール・ヴィリリオ『パニック都市』、J・G・バラード『時の声』、ジャン=リュック・ナンシー『神的な様々の場』、ピエール・クロソウスキー『ニーチェと悪循環』を買う。しかし読むのは少し先になりそうだ。今はフーコーの『言葉と物』を読んでいるが、読むのが遅くて全然いつ読み終わるのかわからない。

・少し前だが、水谷浩章のバンド phonoliteの『Still Crazy』を聞いたが、これが名作。かなり大所帯のアンサンブル・ジャズだが、ホーンセクションがリズミカルに盛り上げていくような類いのいわゆるビックバンド的な編成ではなく、2本のフルートを中心にすえ、トロンボーンやチェロの音色が全体を包み込むようなとても穏やかな演奏が聴ける。中でも中牟礼貞則のギターは絶品。ジャズギターの一番美しい音色のイメージを再現してくれているようで、なんというか心が温まるような気持ちになる。

Saturday, June 13, 2009

Lee Konitz, Don Friedman & Attila Zoller / Thingin

Lee Konitz, Don Friedman & Attila Zoller / Thingin
・この前渋谷で買ったLee Konitz, Don Friedman & Attila Zoller / Thingin (hatOLOGY 547)を聴く。2000年の録音である。ちなみに、このリー・コニッツという人はモダンジャズでも50年代から活躍している、つまりチャーリー・パーカーなんかと同時代の人であるんであって、未だ活躍をしているのには恐れ入ります。この作品はアルト、ピアノ、ギターのトリオ。50年代からコニッツはギターとのデュオで信じられないような名演を残しているけれども、ここでも自分のソロの時にはピアノを抜いてギターとのデュオで演奏している箇所があって、やはりすばらしいです。まあ、やっぱりかつてのクールネス全開で切れまくっていた録音ほどのひりひりした緊張感は無いかもしれないけど、一時代を築いてきた人だけが放つことができるオーラがあります。あとこのアルバムで発見だったのは、ドン・フリードマン。不勉強のため、彼は名盤「サークル・ワルツ」でしか知らなかったけど、その後も活動を続けていたんですねえ。ジャケットを見るとやはり相当にお年を召されていらっしゃるが、タッチも指さばきもシャープで、むしろ瑞々しい。
このアルバム、実はこれを書いている時点でまだ最初の2曲しか聞いていないんで、これから後の方の曲も聴きます。

Sunday, June 07, 2009

日記 2009/06/07

・アラザル2、大手書店などで発売開始してます!

・ヒアホン vol.2にジム・オルーク『I'm happy and I'm singing and a 1, 2, 3, 4』のディスクレビューを書きました。

・しかし、ヒアホン面白いです。この雑誌でしか紹介されないような音楽がたくさんある。と思う。他の音楽誌をチェックしている訳ではないので・・・。そのヒアホンvol.1を読んで買ったSalvatore Sciarrino『Orchestral Works』が良い。3枚組で、一枚目しか聞いていないが、とても繊細な響きの弦楽作品。

・今日はアップリンクでロシア革命アニメーションを見てきた。ジガ・ヴェルトフ監督による「ソヴィエトのおもちゃ(1924)」と、ウラジーミル・タラソフ監督の「射撃場(1979)」が特に気に入った。前者は24年の作らしいが、音楽の録音がかなり高音質だったのは、後から別に録音したからだろうか。後者のBGMはフリージャズだったが、これも相当にスタイリッシュだった。

・今日は8枚ほどCDを買ったのだが、全部紙ジャケであることに家に帰ってから気がついた。

・先日ヘルムート・ラッヘンマンのコンサートに行った。すばらしい演奏会だった。会場では三上君と西田さん、諸根さんに会う。彼らも絶賛していた。特に感銘を受けたのはクラリネット、チェロ、ピアノによる『アレグロ・ソステヌート』。僕は現代音楽ではクラリネットの演奏が好きなことが多い。よく使われているしね。

Saturday, May 09, 2009

日記 2009/05/09

・明日、いよいよ文学フリマアラザル2が先行発売です。その後、書店に展開します。宜しくお願いします。

・GWはほとんど家にいて、幾つか本を読んだ。といっても読むのが遅いのでほんの数冊ですけど。

・その中ではまず桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が面白かった。不勉強ながら僕にはこれが初の桜庭作品。とても切ない青春小説。最後にカタルシスが襲うあたり、ある意味ヘッセとかに近いものがある。ライトノベル作家として活躍していた頃の作品だと思うのだが、十分文学的と言えるのではないか。何をもって文学的か、ということは今全く考えていないものの。さっき『赤×ピンク』も読んだが、どちらもモナトリアムを乗り越えるための条件と、それを阻害するようなトラウマをテーマにするような作品で、まあそういう意味ではやっぱり中高生、つまりライトノベルの読者に読まれるべき小説ではあるのだろうな、と感じる。でも、そのモナトリアムという閉じた世界から、その外側にある社会的な世界という一つ大きな世界へと視界が広がる瞬間に、一つメタへの視点の移行があり、その辺りの雰囲気がもしかしたらとても今日的なのかもしれない。『砂糖菓子〜』だとそれは兄の存在だろうし、『赤×ピンク』では「八角形(オクタゴン)」がそれに当たるだろう。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

・もう一つライトノベル的な作品として、米澤穂信『春季限定いちごタルト事件』を読む。米澤穂信も初めて読む。というか、BRAINZで佐々木さんが紹介していたのが気になったので読んでみた。いわゆる「日常の謎」を書くミステリ作家らしく、だからもちろん人が死んだりすることはない。少なくとも今のところ(この作品はシリーズ第一作)。しかしこの作品は(これも佐々木さんから事前に聞いていたことだが)、主人公が探偵なのだが、その探偵であること自体に疑問というか、不自然さを感じており、普通の人=「小市民」になろうとしていて、このあたりがそもそもミステリというジャンル性に対する懐疑につながっていて、軽快な文体とそのメタミステリ的な構造の面白さにかなり夢中になって読みました。

春季限定いちごタルト事件

Tuesday, May 05, 2009

池田亮二展



東京都現代美術館で行われている池田亮二展に行ってきた。


東京都現代美術館の広い地上の1フロアと地下の1フロアを、それぞれ事実上1つのインスタレーションのみで構成するという(その他にも幾つか作品はある)非常に大胆な構成をとっていて、またそれが成功していた。特に地上のフロアで展示されている"data.matrix"と"data.tron"は圧巻。この二つは同じ空間での展示であり、またそれぞれが音と時間を同期しているため、事実上一つの作品と考えてよい。"data.matrix"は直方体状のオブジェクトに格納されたプロジェクターを10並べ、それぞれが壁に映像を投影する作品だ。それぞれの映像は"data"を可視化したしたものであることがわかる。3次元空間に点や数値をプロットしたものであったり、UNIXでファイルを一覧した時に表示されるような画面であったりするものが、それぞれは高速に、あるいはゆっくりと変化している。またプロジェクターを格納した直方体にはスピーカーも格納されており、そこからサインウェーブやクリックノイズが発されている。
また"data.tron"は"data.matrix"が投影されているのとは別の、入場する方向とは逆向きの壁に3つのプロジェクターを使って投影されている。投影されているものは"data.matrix"と同じテイストのものだ。


それが、ある瞬間に発せられるパルスによって一度に暗転し、すべての映像が同期して動き出す。縦、あるいは横に同期をとった動きを一定時間継続した後に、もう一度パルスが鳴り響くと、一転して白黒の非常に細かな数値の列が画面上を覆い尽くす。それぞれの数値は横方向にスクロールしたり、停止したりを繰り返す。画面いっぱいに広がった数値は遠目にはホワイトノイズにしか見えない。


この状態が暫く続いた後に、暗転して、一つのサイクルが終わる。




この作品の意図するところは、名前にも現れているとおり「データ」という存在である。データとは現代的にはほぼコンピュータで計算可能な情報のことをさしている。そして改めて確認するまでもなく、コンピュータで計算可能なデータは0/1に量子化されたデジタルデータだ。複雑な構造をもつデータもすべてはこの極限的に細かな単位にまで還元することができる。そしてコンピュータで扱うことのできる音や画像の構成の最小単位は一つの周波数、一つのピクセル等であり、これらを用いてそのデータの構造を可視化し、可聴化していくことが今回のインスタレーションの、敷いては池田亮二という作家が制作してきた作品の大きなテーマである。そしてそれらの構築された作品が、最終的にホワイトノイズのような数値の海に飲み込まれるところで、ほとんどカタルシスのようなものを感じることができる。さて、このカタルシスはどういった性質のものなのか。これについてはもう少し考える必要があるかもしれない。僕はこのホワイトノイズにすべての画面がおおわれたところでとても感動したが、池田亮二のごときモダニズムの作家がこのカタルシスを用意していたのかどうか。性急には判断できない。

Wednesday, April 22, 2009

アラザル2

遂に!アラザル2が発売されます!

今回は何と400ページ超えの超大作。しかも大物文筆家へのインタビューが4本!買わない手は無い!

杉森は『おととことばのあわいに』というタイトルで、歌と言葉、歌唱と詩および朗読について、ジャック・デリダの『グラマトロジーについて』を読みながら書きました。
あと、インタビューでは円城塔さんに取材等しました。この記事は他では読むことのできないようなないようになってます。必読。

アラザル2、まずは5/10の文学フリマ、F-13<批評誌「アラザル」>ブースで先行発売です。
その後、主要書店に展開します。
価格は1000円。
http://gips.exblog.jp/10764777/

Sunday, January 11, 2009

日記 2009/01/11

・文學界2008/10月号で、芥川賞にノミネートされている田中慎弥「神様のいない日本シリーズ」を読む。部屋に閉じこもっている息子へ向けて語る、父親のモノローグという設定の作品で、タイトルにある通り随所に日本シリーズ、特に西鉄/西武ライオンズの2度の3連敗からの4連勝という奇跡的な優勝のエピソードを参照しながら、そしてベケットの「ゴドーを待ちながら」を参照しながら、しかもそれらの参照の接続がとてもスムーズであるという、非常にリーダブルな寡作だった。父親の語りがいつしかその父親の父親の描写にずれていったり、ベケットの戯曲の引用が入ったりと、いわゆる語りの横滑りのようなことが、祖父-父-息子というメタ方向にも起こっており、しかし主人公、というか唯一の実在する人物である父親が、彼以外の人物と直接コミュニケーションをとることができないという、極めてベケット的なテーゼの、しかし現代的な表現はなかなかに読み応えがあった。読みはじめた時には、割と普通の作品なのかなという印象だったが、読後感はなかなかにすばらしい。

・ベケットと言えば、最近『マロウンは死ぬ』を読んで面白かったので『モロイ』を読み返そうかと思って探したら無い。そういえば友人に貸す貸さないという話をしていたことを思い出し、電話で確認するとどうやら借りていない、ということらしい。結局普段使っていない本棚ではない棚から出てきたのだが、この見つからないものは自分の物とは言えないという、極めてベケット的な状況にあったのだなぁ、などと馬鹿みたいなことを考えたりした。

Monday, January 05, 2009

新年

明けましておめでとうございます。

ついにゼロ年代も最後になりました。しかし9年というと、69年にせよ79年にせよ、文化的には次のディケイドを予告するような様々な作品がこれまでには作られてきたことは、菊地成孔を参照せずとも周知の事実。どんな作品が現れるか、見逃さないようにしたいものです。

と、そういう話とは全く違いますが、最近YouTubeを巡回していて見つけた動画を紹介。数年前にも別のものを見つけたことがありますが、ハードロックにおけるスーパーギターテクニックの、さらに極点。というかちょっと一線を越えた物凄さです。年始の景気付けということでお楽しみ下さい。

Michael Angelo Batio Double-Guitar Solo




それでは、今年も引き続き宜しくお願い致します。