Tuesday, December 10, 2013
オーディオ届く
しかしやはりオーディオは怖い世界で、ケーブルにも中古品があって、今回のぞいた中でも100万超えるようなものも平気で売られていた。発売時は300万位したようだ。店員さんの話では、10年前くらいにケーブルにこるのが流行ったらしく、そのころは10万超のケーブルがバンバン売れたらしい。
しかし普段iPhoneでやっすいイヤフォンでしか聴いてなかった音源とかを今回購入したシステムで聴いてみたが(ちなみにビヨンセ)、もの凄い情報量が多くて驚く。あと奥行き感と空気感みたいなものがやっぱり違うなあ。
とはいえ、ここからさらに音が良くなるイメージは、うーんたしかにあるのかもしれないが、そのために今回の何倍とかお金をかけるところまでは、今の時点では想像できないかな。どうだろうなあ。たしかにスピーカーとかはよいものを見つけたら欲しくなりそうだけど。。
テッド・チャンは読了し、今はアーレント『過去と未来の間』を読み始めているが、やはり時間があまりとれていないのでもの凄くゆっくり読み進めている。アーレントは『人間の条件』しか読んだことがないのだが、『過去と未来の間』もやはり公的な存在としての人間を扱っていて、どうもどの著作にも凄く一貫したテーマを持っているらしいことがわかる。しかし今年中に読み終わるかな。
Saturday, April 07, 2012
Pina 3Dと写真美術館
いつもなら土曜は昼近くまで寝ていることが多いが、今日は映画を観に行くために普段より早く起きた。朝から快晴。まだ寒さが残っているものの、冬の鋭さに比べれば格段に緩やかになった。今日は新宿のバルト9に『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』を観に行く。これが朝9:30と夜21:10と23:45の回しかなく、夜でないとすると早起きするしかないのである。
映画はコンテンポラリーダンサー/振付家のピナ・バウシュの追悼ドキュメンタリーで、なんと3D上映ということでとても楽しみにして観に行った。で、いたく感激してしまった。コンテンポラリーダンスを自然光の下で観る機会なんて僕は持ったことがないが、本作では映像作品であることを生かしてロケ(という言葉でよいのだろうか)で撮影したシーンが多く、そしてそれらが極めて美しい。さらに3Dであることでロケでの臨場感が強まっている。劇場での撮影でも、群舞のリアリティーも3D撮影ならでは。
もう少し感想を書こうかと思ったが、続きはアラザルでレビューしようか。とにかく、本作はぜひ劇場で多くの人に観てもらいたいと思った。
午後は恵比寿に移動し、写真美術館で今やっている展示を3つ見た。『生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー』展、『幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界』展、『フェリーチェ・ベアトの東洋』展である。書いた順に観たのだが、映画を見た後にはしごすると堀野正雄展の途中あたりで結構疲れた感じになってきた。お茶でもしようかとも思ったが、閉館までの時間に余裕がなく、ベアト展に突入。しかし実はあまり期待していなかったこのベアト展が存外に素晴らしく、最後は疲れを忘れてまた没頭できた。展示されているのは(というかベアトが活動したのが)写真術の初期、1860年代あたりの作品なのだが(ドアノーの約100年前!)、驚くほど完成されている。日本の写真が多く展示されているが、どの写真も美しい。
今は映画の後に新宿で購入したカエターノの近作(といっても2006年)『cê』を聴いている。カエターノは歳をとらないなあ。相変わらずのびやかな歌声と、ソリッドなギター。よいアルバムです。
Tuesday, March 20, 2012
最近の仕事と読書
ここのところ、なかなかに仕事が忙しい。新しいWebサービスを開発していて、近々ベータとして公開する予定でいるのだが(クローズドなもので、残念ながらここでお知らせする類いのサービスではない。)、初期に作ったまま放ってあった未熟な部分が今になって目につく。そもそも基本機能として不足する点もあるが、それはこれから積み上げてゆくしかない。
公開するのに伴って、UIのデザインも詰めていかないといけない。本来、我々の会社としてはレイアウトやデザインは専門のデザイナーに委託するのだが、今回、当面のデザインは自分でしている。これも完成度が低いものが残っているので、これから最低限の作業が必要である。これはこれで楽しい作業でもありつつ、しかしなかなかに時間と体力を使う。
今年に入ってからはこの仕事の関係もあり、珍しくIT関連の本を何冊か読んでいた。だからあまり縦書きの文芸書を読む時間がとれていなかったが、今は少し前に高田馬場のブックオフで買った中井久夫のエッセイ集、『記憶の肖像』を読んでいる。それぞれとても短い散文が集められているが、どれも非常に美しい文章である。旅行の回想などが多いが、言葉の端々からまなざしの細やかさが伝わる。
ちなみに中井久夫を読もうと思ったのは、ひとつにはずいぶん前に佐々木中氏がジュンク堂新宿店のブックフェアで紹介しているのに興味を持ったからだが、もうひとつ大きな点としてはアラザルの山本君がvol.6で言及しているのを読んだからだ。山本君は精神科医としての中井久夫を読んでいたが、『記憶の肖像』では残念ながら直接精神科的な文章は今のところ出てきていない。そのうち別の著作も読んでみたいと思う。
Monday, February 14, 2011
佐々木俊尚『キュレーションの時代』 / ECM

佐々木俊尚『キュレーションの時代』を読んだ。大きく言えば、インターネットの普及に伴い、TVに代表される大手メディアに対するオルタナティブなメディアが発達することで大きな物語が崩壊し、個別的な文化圏(佐々木氏の言葉ではビオトープ)が地理的な制約を越えて接続される、そのようなネットワークがさまざまなレイヤーで輻輳していく現代の時代状況を記述していて、その認識は僕も正しいと思うし、もっと言えば、大きな物語なんてリオタールそのままだし、ソーシャルメディアのネットワークは要はリゾームといえるわけで、つまりポストモダンという言説がそのままここで通用していて、『動物化するポストモダン』とも通低する部分が・・・。ということは何もここで言葉を尽くす必要もなかろうということで、むしろこの本の中でジスモンチが紹介されていたので、ECMからリリースされている1979年録音、チャーリー・ヘイデン(ba)、ヤン・ガルバレク(ss)、エグベウト・ジスモンチ(gt, pf)のトリオ編成の『Magico』を聴きながら出社したことを報告。いやあ、やはりECMはECM。なんつっても、メンバーだけ見てもECMだとわかる。実はヤン・ガルバレクがいるだけでECMとわかるのだが。そしてもちろん、音を聴いてもいつものあのECMで、金太郎飴的なあのリヴァーブ。北欧の空に向かって投げ出された音をしばし眺め、消え入るのを待つような。このアルバム自体は悪くないし、好きだけれども、流し聴きしていたら多分途中で別のECMのレコードに代わっても気付かないのではないか。たとえば、ジョン・サーマン(sax)、ボボ・ステンソン(pf)、ミロスラフ・ヴィトゥス(ba)、ヨン・クリステンセン(dr)のアルバムとかに。いや、この面子はいまテキトーにでっち上げたのだが、ミロスラフ・ヴィトゥスの『First Meeting』はほとんどこのままじゃないの! ECMの考えることは分かりやすい! とはいえガルバレクのソプラノサックスは、いい悪いは個別の好みとは思うけど、彼だけにしか出せない冷たい空気感と叙情性があって感心する。よく言われるような音色の透明感は確かにそうであるし、しかし意外にエモーショナルに吹いていて、その中での押し付けがましさのなさは秀逸だと思う。まあ今でも相応の評価をされているから、再評価とかそういうこともでないですが。もともとガルバレクはフリージャズ出身なんだよね。『SALT』とか、結構いいアルバム。

・『First Meeting』は特別話題になるような評価はされてないと思うけど、これも結構いいアルバムで僕は好き。ヴィトゥスのアルコとかがなかなか効果的に使われている。ベースのアルコって大体好きになれないことが多くて、というかそれはアルコは全然うまくないのにいきなり自分のリーダーアルバムになると弾きだすジャズベーシストって結構いて、たしかポール・チェンバースとかリチャード・デイヴィスとかそうだったと思うけど(うろ覚え)、このアルバムでのアルコは別にうまいとはいわないまでも開放感があって、それこそECMの空気感ともマッチしてる。あとはケニー・カークランドの粒立ちよいタッチのピアノがとてもよかった記憶がある。とはいえこのアルバムを最後に聞いたのは数年前なので細部まで覚えていてのコメントではないですが。ところで、早くして亡くなったけどケニー・カークランドはいいピアニストだよな。ケニー・ギャレットとかブランフォード・マルサリスとかといい演奏を残していたはず。
・念のため補足すると、ECMはレーベルオーナーでプロデューサーのマンフレット・アイヒャー率いるドイツのジャズレーベル。オスロにスタジオを持っており、僕は一時期までノルウェーのレーベルだと勘違いしていた。極めてレーベルのカラーが強く、音数の少ない、リリカルで緊張感のあるサウンドが特徴で、看板ミュージシャンにヤン・ガルバレク、キース・ジャレットなどがいる。最近は現代音楽のリリースなどもある。ただし、ヤン・ガルバレクといえばECMを連想するが、キース・ジャレットはキース・ジャレットであって、別段ECM以外からリリースされても意外ではない。(ECMのキースへのサポートはすばらしいですよ、念のため。)
・メディアが育まれる生態系をビオトープと表現するのは佐々木氏が初めてではなく、そのままずばり『メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする 』(水越 伸著)という本がある。
Sunday, June 21, 2009
日記 2009/06/20, 21
・その後の飲み会で、ロックはもうソニックユースだけで良い。というような話題で盛り上がる。ソニックユース、本当にすばらしいバンドだと思います。思い入れありすぎます。
・実家の近くのブックオフでポール・ヴィリリオ『パニック都市』、J・G・バラード『時の声』、ジャン=リュック・ナンシー『神的な様々の場』、ピエール・クロソウスキー『ニーチェと悪循環』を買う。しかし読むのは少し先になりそうだ。今はフーコーの『言葉と物』を読んでいるが、読むのが遅くて全然いつ読み終わるのかわからない。
・少し前だが、水谷浩章のバンド phonoliteの『Still Crazy』を聞いたが、これが名作。かなり大所帯のアンサンブル・ジャズだが、ホーンセクションがリズミカルに盛り上げていくような類いのいわゆるビックバンド的な編成ではなく、2本のフルートを中心にすえ、トロンボーンやチェロの音色が全体を包み込むようなとても穏やかな演奏が聴ける。中でも中牟礼貞則のギターは絶品。ジャズギターの一番美しい音色のイメージを再現してくれているようで、なんというか心が温まるような気持ちになる。
Sunday, June 07, 2009
日記 2009/06/07
・ヒアホン vol.2にジム・オルーク『I'm happy and I'm singing and a 1, 2, 3, 4』のディスクレビューを書きました。
・しかし、ヒアホン面白いです。この雑誌でしか紹介されないような音楽がたくさんある。と思う。他の音楽誌をチェックしている訳ではないので・・・。そのヒアホンvol.1を読んで買ったSalvatore Sciarrino『Orchestral Works』が良い。3枚組で、一枚目しか聞いていないが、とても繊細な響きの弦楽作品。
・今日はアップリンクでロシア革命アニメーションを見てきた。ジガ・ヴェルトフ監督による「ソヴィエトのおもちゃ(1924)」と、ウラジーミル・タラソフ監督の「射撃場(1979)」が特に気に入った。前者は24年の作らしいが、音楽の録音がかなり高音質だったのは、後から別に録音したからだろうか。後者のBGMはフリージャズだったが、これも相当にスタイリッシュだった。
・今日は8枚ほどCDを買ったのだが、全部紙ジャケであることに家に帰ってから気がついた。
・先日ヘルムート・ラッヘンマンのコンサートに行った。すばらしい演奏会だった。会場では三上君と西田さん、諸根さんに会う。彼らも絶賛していた。特に感銘を受けたのはクラリネット、チェロ、ピアノによる『アレグロ・ソステヌート』。僕は現代音楽ではクラリネットの演奏が好きなことが多い。よく使われているしね。
Saturday, May 09, 2009
日記 2009/05/09
・GWはほとんど家にいて、幾つか本を読んだ。といっても読むのが遅いのでほんの数冊ですけど。
・その中ではまず桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が面白かった。不勉強ながら僕にはこれが初の桜庭作品。とても切ない青春小説。最後にカタルシスが襲うあたり、ある意味ヘッセとかに近いものがある。ライトノベル作家として活躍していた頃の作品だと思うのだが、十分文学的と言えるのではないか。何をもって文学的か、ということは今全く考えていないものの。さっき『赤×ピンク』も読んだが、どちらもモナトリアムを乗り越えるための条件と、それを阻害するようなトラウマをテーマにするような作品で、まあそういう意味ではやっぱり中高生、つまりライトノベルの読者に読まれるべき小説ではあるのだろうな、と感じる。でも、そのモナトリアムという閉じた世界から、その外側にある社会的な世界という一つ大きな世界へと視界が広がる瞬間に、一つメタへの視点の移行があり、その辺りの雰囲気がもしかしたらとても今日的なのかもしれない。『砂糖菓子〜』だとそれは兄の存在だろうし、『赤×ピンク』では「八角形(オクタゴン)」がそれに当たるだろう。

・もう一つライトノベル的な作品として、米澤穂信『春季限定いちごタルト事件』を読む。米澤穂信も初めて読む。というか、BRAINZで佐々木さんが紹介していたのが気になったので読んでみた。いわゆる「日常の謎」を書くミステリ作家らしく、だからもちろん人が死んだりすることはない。少なくとも今のところ(この作品はシリーズ第一作)。しかしこの作品は(これも佐々木さんから事前に聞いていたことだが)、主人公が探偵なのだが、その探偵であること自体に疑問というか、不自然さを感じており、普通の人=「小市民」になろうとしていて、このあたりがそもそもミステリというジャンル性に対する懐疑につながっていて、軽快な文体とそのメタミステリ的な構造の面白さにかなり夢中になって読みました。
Sunday, January 11, 2009
日記 2009/01/11
・ベケットと言えば、最近『マロウンは死ぬ』を読んで面白かったので『モロイ』を読み返そうかと思って探したら無い。そういえば友人に貸す貸さないという話をしていたことを思い出し、電話で確認するとどうやら借りていない、ということらしい。結局普段使っていない本棚ではない棚から出てきたのだが、この見つからないものは自分の物とは言えないという、極めてベケット的な状況にあったのだなぁ、などと馬鹿みたいなことを考えたりした。
Tuesday, December 30, 2008
日記 2008/12/29
・最近買った某雑誌の特集が、それと意図してはいなかったが次の『アラザル』で書こうとしていることの参考になりそうであることに気づく。
・次の『アラザル』といえば、某作家さんにインタビューをしました。詳細は追って告知します。
・そういえばここでは書いていなかったが、佐々木敦『批評とは何か?』が出版されました。これはその名も『批評家養成ギブス』という、僕が参加していた塾と言うかワークショップというか、その講義録な訳ですが、恥ずかしながら僕の駄文も生徒の書いた文章として乗せてもらっています。しかし佐々木さんの講義自体は非常にスリリングであり、批評を志す人ならずとも読み応えのある本になっているとおもいます。その他『アラザル』のメンバーの文章も読めます。
・知人に久しぶりに連絡したら、その『批評とは何か?』を立ち読みして、僕の名前を見たと言われた。まあ書店で売っているものであり、普通のこととはいえ、少し驚いた。
・今年の多分更新はここまででしょう。最後は更新がなかなかできなかったので、来年はもう少しポストしたいと思います。皆様良いお年を。
Monday, December 01, 2008
日記 2008/11/30
・あとアラザルブログを活性化しようってことで、なるべく毎日更新ができるように持ち回りでいろいろ書いていくことになりました。僕も既に一つポストしています。
・で、アイディア集めということもあって今はいろいろな著作をつまみ読み。
- ピエール・ブーレーズ『参照点』
- 江藤淳『江藤淳コレクション4』
- ミシェル・セール『白熱するもの』
- ジャン・ボードリャール『シミュレーションとシミュラークル』
- 円城塔『Boy's Surface』
・文フリで販売した『アラザレ』ですが、僕は企画にはそれなりに参加したものの執筆の段になってドロップアウト気味(少しは書きました)、完全にコミットしきれず客観視できるからか、読んでみると結構面白い。特にSkype批評は通常の読書体験とはやはり違った何かがある。それぞれの書き手も個性があって、アラザルのメンバー紹介としても機能している。試験というか練習段階では参加していたのですが、そのときの印象だとこんなものを人様に見せてよいのか?という気がしていましたけれども、今回掲載したものについては少なくとも僕個人が楽しめたので良かった。
・週末はシンポジウムなどを聴講。
- シンポジウム+ワークショップ「シュトックハウゼン再考」
- 批評(創造)の現在シリーズ 第4回
Tuesday, October 14, 2008
最近の色々

最近読んだ本
・アントナン・アルトー『神の裁きと決別するために』を読んだ。決然とした意思の強度と文体の速度など、極めて刺激的な読書体験があった。聖と俗、主体と客体の一致という点でバタイユを彷彿とさせる。
・というわけで読み止しで放ってあったジョルジュ・バタイユ『内的体験』を読む。まさに主体と客体の区別がなくなる地平での「体験」についての書で、これも極めて刺激的な本であるが、しかしちょっと僕の方がついていけていない点があるのが残念。また腰を落ち着けて再読したい。
・続いてアントナン・アルトー『ヘリオガバルス』を読み始めたのだが、うまく入り込めず。
・今はフリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』を読んでいる。高校、大学でそれぞれ読んでいたて、読了はしなかったが、それでも今読むと結構この本から得たものは多かったような気がする。やはりすばらしい。しかし今読んでいるのは中央公論社の「中央バックス 世界の名著」シリーズなのだが、ちょっと注が多すぎる。
最近見た映画
・フランシス・コッポラ監督『コッポラの胡蝶の夢』を見た。夢と現実が交錯し、円還的時間のなかでの老い、生と死、愛と到達不能性などがテーマになった、非常に美しい映画。必見だけれども、これももう終わってしまったようですねえ。
最近見たライブ
・少し前になるけれども、Amplify 2008 Lightを見た。3日目の演奏で、「キース・ロウ/Sachiko M」、「山内桂/吉村光弘」、「キース・ロウ/中村としまる」というDuoを3つ聴くことができた。特に後の二つの演奏が個人的には良かった。中でも山内桂氏のサックスはエヴァン・パーカーを通過した後で、独自の音色を作り上げており、特筆すべき個性を持っていた。
・HEADZのイベントでD.V.Dとテニスコーツの対バンライブを見た。これはD.V.Dの方が面白かった。D.V.Dについてはここで書く記述レベルだと、見ればわかるでしょ!ってくらいのことしか書けないくらい、体験したときの面白さが格別だ。それに比べてテニスコーツは、うーん、とりあえずギターの演奏の技術的な未熟さがどうしても気になってしまった。音楽的にも、僕としてはCDで作り込まれた音像の方が優れているように思う。
最近聴いたCD
・略
・あ、でもFela Kuti『Underground System』がべらぼうに良かったことだけ書いておく。マイルスのIn A Silent Wayのような、静かなグルーヴ感が感じられる箇所が良い。
吾妻橋ダンスクロッシング 2008/10/12
ダンスについてはほとんど無知だったけれども、どのステージも非常に見応えがあるもので、見に行けてよかった。
最初に出演したと思われる康本雅子のしなやかな所作は、見ていてはっとさせられる何かを持っていた。ところで、この康本雅子さん、そのあと男性2と一緒にやったステージにも出てたのでしょうか?別の人?というか最初のステージが康本雅子さんであってますか?という状態。公式サイトで確認すると「康本雅子+戌井昭人(鉄割)+村上陽一(鉄割)」という組み合わせがありますけれども。髪型違ったのはかつらですか?
その他ではfaifaiのステージがコミカルで良かった。やはり笑いの力は大きいなぁ、と再認識。
Emotional Drawing 2008/10/11

Emotional Drawing展を見た。
線を引くというプリミティブな行為に宿る情動をテーマにした展示で、非常に充実した内容ダッタ。シンプルな行為にこそ反映される心情はたしかにそれぞれの作品に宿っていたと思うし、比較的多数の作品があったにもかかわらずそれらを全て見せる勢いもあった。ペインティングに比べると制作に時間がかからないドローイングはどうしても多くの作品が展示されることが多く、いわゆるタブローというか、油絵中心の展示でふとデッサンが並んでいる時に感じがちな散漫さというものが感じられる懸念もあったけれども、今回の展示はそういったこともなく非常にまとまった良い展示だったと思う。
見に行ってからぐずぐずしていたらもう展示会は終わってしまっているので、薦めることも基本的にはできないけれども、次は今日とあたりに巡回するようなので、そちらが近い方は是非。
中でも気に入ったのは辻直之のアニメーションとアディティ・シンのドローイング。辻は鉛筆絵によるアニメーションで人間性というものについての探求を行っていた。また、書いては消す、という行為の繰り返しと、完全には消されない鉛筆の跡が、可塑性というキーワードを想起させたことについて、メモしておく。
アディティ・シンはミニマルな構成のドローイングで、静謐であり、構図と視線の移動によるダイナミズムを追求しているのだろうか。
まだちょっと作品について深く考えてはいないので、それはまた別の機会に。

Monday, July 21, 2008
日記 2008/07/20
4回目までは、4'33''についての解釈についてはこれまでにそこここで聞かれうる範囲を大きく逸脱することは無い、物理的な聴取の有り様とその時間のフレーミングについての可能性や、その他映画等での同寿の試みについて語られてきたが、最終回ではついにというか、佐々木敦の考える4'33''の新たな可能性について、非常にスリリングな話を伺うことができた。
詳しいことはここには書かないので、知りたい人は直接僕(あるいは本人)に聞いて下さい。
僕自身はちょうどゲーデルやウィトゲンシュタインを読んでいたので、無音を聴く主体とその無音の不可能性について、聴取の極限としての主体の捉え方を提示する方法として、4'33''を捉えることができないか、と講義中に思って、最後の感想でそういった。そのうちこの視点でまとめることができればいいかも。
・文芸誌からいくつか読む。
文藝 秋号
長野まゆみ『改造版 少年アリス(冒頭)』
鹿島田真希『女の庭』
福永信『一一一一』
新潮 8月号
東浩紀『ファントム、クォンタム 第二回』
群像 7月号
舞城王太郎『イキルキス』
蜂飼耳『城跡』(読んでるところ)
・ライブでのアイディアが一つだけ浮かんだ。今のところ、コンピューターを使う方向で検討中。
・そうそう、BlueNote東京でレジーナ・カーターのライブを見た。
レジーナ・カーターは黒人女性のジャズヴァイオリニスト。じつは彼女の前はシダー・ウォルトンというビッグネームで、そちらを見に行く予定だった。実は会社の福利の一環でまれに優待価格でBlueNoteを見に行けることがあり、今回もその企画だったため、ミュージシャンが変わってもまあ見に行くか、となったのだった。
ライブは非常に良かった(批評家失格)。やっぱりうまいよね、トップレベルの人は。レジーナ・カーターは、顔つき等は緊張しているようにも見えるが、演奏のときの体の使い方や運指などはリラックスしきっているよだった。これだけの演奏をすることができる人材が、少なくはないだけいるのだから、僕らみたいなアマチュア/アンダーグラウンド系のミュージシャンも、音楽を人に聞いてもらうからには彼女らのような演奏家がいることも考えた上でヘタウマな演奏なり何なりをしなければいけないよな、と思いました。もちろんうまければ良い訳ではないし、ある種のハイテクニックが作り出す熱狂は思考停止を伴いがちだし、ライブでの一体感はある意味全体主義的な神秘性をもたらしてしまう可能性がある。とはいえ、そこに生じている感情の高ぶりを無視するのは、それはそれでやはり思考停止でしかない。
レジーナ・カーターの他はアコーディオン、ベース、ドラムのカルテット構成。特にバラード等のとき、中間層の薄さが気になる演奏だったため、後一人いても良い気もした。勝手に追加メンバーを想像すると、ドン・バイロンかクリス・スピードがクラリネットで入ると、中間層の不足を補うということはできないが、しかし全体のカラーとして少なくとも僕好みの内容になるので、そういう演奏は聴けたら良かったな。補うということであればギターが良い気がするが、その場合ビル・フリゼールはどうか。しかし彼の場合はちょっと個性があり過ぎ、レジーナ・カーターの音楽にはならなかっただろう。そうであるならカート・ローゼンウィンケルあたりのエレクトリックな感じが入ると良いかもしれない。あるいは、ラッセル・マローンのようなもろジャズ・ギターな人選でも、確実に全体のバランスを整えることはできただろう。
と、最後は何となく理想の日本代表を考える高校生みたいな感じになった。
Friday, July 04, 2008
日記 2008/07/04
・新宿に来てDisk Unionに寄らずに帰る訳にはいくまい。ということで、いつものUnion本店6Fで、こちらはいくつか購入。
- A Young Person's Guide to Antonie Beuger
- Rhori Davies, Simon H.Fell, Mark Wastell / LODI
- Eva-Maria Houben / von da nach da
- dafeldecker, kurzmann, fennesz, o'rouke, drumm, siewert
- David Grubbs / The Spectrum Between
- Gordon Mumma / Live-Electronic Music
- Yasunao Tone / Solo for Wounded CD
- 暴力温泉芸者 / OTIS
しかし、いまだ引っ越し先でオーディオがまともにならせる環境に成っていない。スピーカーケーブルが届かないのです。しかたがないからヘッドフォンで聞きましょう。
・新宿タワーレコードに寄り、アラザルが店頭に並んでいる姿をようやく目にする。とりあえず3カ所に陳列していただいていることを確認。ありがとうございます。そしてそのうち一カ所が、菊地成孔/大谷能生『M/D』、菊地成孔『服は何故音楽を必要とするのか?』、大友良英『Musics』という、全員尊敬してます!という著作の並びにアラザルが!すばらしい。担当者の方に一言挨拶すると、順調に売れている模様。ご購入頂いた皆様、ありがとうございます。
Tuesday, June 24, 2008
日記 2008/6/24
・フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は読了。人間存在とは何かをめぐる、ある意味とても古典的な小説。面白かった。続いて滞っていたケージの『小鳥たちのために』の続きを読むが、何章かすすんだところでまた脱線。『ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編』を読む。

ライトノベルを読むのは初めてだったが、なるほどこれは相当にキャラクター中心で神話的な世界であるなあ。特定の視点を境に世界が正反対に反転してしまう様子を、そいういえば上巻と下巻での鮮明なトーンの違いがあるように、物語構造的にも作り出していた。
今は円城塔『オブ・ザ・ベースボール』を読んでいる。中編「オブ・ザ・ベースボール」は読了し、これまた面白かった。円城は常に作品世界で起こった事実のみの積み重ねから、しかしあれだけ笑わせる文体を紡ぎ出すのだから、なんともたまらん。といってもまだ読むのは2作目だが。
Sunday, June 22, 2008
日記 2008/6/22
・今日はICCで坂本龍一+高谷史郎《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》の特別上映を見る。以前ICCで行われた同盟のインスタレーションがDVDされ、それを上映する企画。さすがのクオリティですばらしかったが、アブストラクトな映像と音響が続くだけに途中からものすごい眠気が(笑)。いや、しかし本当にすばらしい作品だと思う。
・上映が終わるとすぐにICCを出て銀座のApple Storeに行き、Max5大作戦に参加(聴衆として)。プレゼンテーションは無難に良かったが、ライブパフォーマンスはあまりこれというものが無かった。
・ちなみにICCではInterCommunicationの0号、3号、4号を購入。たしかにこの頃の執筆陣はもの凄い。いつ頃ちゃんと読めるかわからないが・・・
Wednesday, June 11, 2008
日記 2008/6/11

・マイケル・ナイマン『実験音楽』読了。各時代ごとの実験音楽の成果についての評価を集めた、資料として価値のある本だった。良くも悪くも、ナイマンの思想や作品に対しての批評的立場を明らかにするためのものではなかったと思う。ただ、どのような「実験」が当時の音楽の先端で起こっていたかを知る貴重なドキュメントである。
・非常に安易な影響の受け方だが、その『実験音楽』を読んで、ちょっとアイディアが浮かんだのでコンピューター用の音楽作品を作っている。作っているといっても、作曲=コンセプトみたいなものなので、すでに作曲は終わっているが、プログラムを書いている途中なので音はまだ無い。名前もまだ無い。ちなみに音を鳴らす部分はSuperCollider、コントロールする部分はRubyで書く予定。
SuperColliderはイマイチこれまで使えるようにならなかったのだが、今回調べながら書いてみて、少しだけ前進した。鳴っている音を滑らかに変化=コントロールする、という普通のことなのだが、今までは単純にやり方がわからなかったため、別にMax/MSPでいいじゃん。ということになっていたのだ。今回は同時に相当たくさんの正弦波を扱う予定なので、そういうのはMaxではできないためSuperColliderに。あとは「滑らかに」っていうコントロールのクオリティはMaxだとイマイチだが、SuperColliderは相当良い。
・ちなみに、名前がついていないと書いたが、こういうプログラムとかって大元の名前が決まっていないといろいろ不便だ。プログラム名やフォルダ名なんかが決められない。後から変えるといろいろ修正しなくてはいけない。一括置換するのは怖いし。JavaだとEclipseのリファクタリングで一発なんだが。
・なんだか急にコンピューターの話が多くなってしまった。若干不本意である。
・今は高校生のときくらいから本棚にあった(気がする)フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいる。
Thursday, June 05, 2008
日記 2008/6/5
・その前にせっかく寄ったからということで、高田馬場の小さい方のBookOffで文庫を中心に江藤淳やヴォネガット等を数冊購入。
・キャリーでも重い。
・しかし引っ越し以来、普段使っていた眼鏡が行方不明。一応もう一つ主に家でかけていたスペアがあるので何とかなっているが、なかったらまあ引っ越し自体ができなかっただろう。そういう意味ではこのスペアがあったために普段使いの方をロストしたとも言える訳だ。あとmac用の電源アダプタも紛失中。現在、会社のアダプタを持ち歩いている。偶然、iPhoneの調査用に仕事用macを調達したところだったので助かる。
・しかし本当にこういうくだらない日記的なものは別に書かなくても良いのでは?という気もする。どうなんだろう。まあ書くことでなにがしかのアイディアの種みたいなものを残しておくことはできるかもしれないが、菊地成孔が(日記で)書いていたが、こうやって自分の書いた物を公開してそれに対してリアクションを求めるような態度は、如実にナルシシックな態度であるのは確かだろう。それでもとりあえず続けておかないと、ちょっとした思いつきを書こうという気にすらならなくなりがちだから、かけるうちはやっぱり続けようか。というかそもそもブログはそういうメディアである訳よね。
Wednesday, June 04, 2008
日記 2008/6/4
・しかしその分本を読む時間ができるのはありがたい副作用。引き続きナイマンの『実験音楽』を読む。
第一章では実験音楽での記譜法について、実験音楽家たちがいかなる方法でそれまでの確定的な音の記述を避け、音楽を生成するルールの制作、つまりメタ音楽記述を行っていたかを詳述してあった。古典的な西洋音楽においては、楽譜に記されるのは発音される音(音程、持続、強度)を直接指定するものであるが、実験音楽の楽譜ではそれらの音を発音するためのゲーム的なルールが記述され、演奏家はそのルールに沿って演奏=playすることが求められる。しかしこの位相のずれは、例えばメディアの内容はメッセージであるが、メッセージとはまた別のメッセージのためのメディアであるという有名なマクルーハンの命題と符合する。結局作曲とは何であるか、あるいは音楽とは何であるかという命題が包含するべき領域というのは、それぞれの文化的コンテキストによって様々に変容するものだし、カルチュラル・スタディーズが問題にしてきたのもそのような文化の諸位相の多様性だろう。
・帰りにいくつかの書店を廻ってInterCommunication 65、新潮6月号、ユリイカ6月号『マンガ批評の新展開』、東浩紀×桜坂洋『キャラクターズ』を購入。
・しかし知ってはいたが、InterCommunicationは今号で休刊との事。僕は例えば現代思想などへの興味は、メディア論的な言説をInterCommunication経由で読み出してから持ったといえるし、だから批評に興味を持つことになったり、実際に批評的な何かを書くということについて間接的でも最も大きな影響を受けた雑誌は、僕にとってはInterCommunicationだといってよい。どうやらこの雑誌が最も重要性を持っていたのは90年代であったようで、僕が読み始めたのはつい最近(とはいえないか)の2004年からだから、その最もアクチュアルであったろう時期のInterCommunicationの需要のされ方はあまり伺うことができない。しかしバックナンバーをわざわざ購入して読もうと思うのも、扱う内容がアクチュアルであるが故、その陳腐化というか、そのままに受け取ることができない部分があっても、やはり何がしかの雑誌がもつ意志がこめられていたからだろう。休刊は非常に残念な知らせである。

