ゲーデル以前であるので、完全な公理系というものへの信頼、というか憧憬は強く感じられ、そこについてはなんと無しに切ない気持ちになる。しかし、すでに彼は公理では記述不可能な領域というものがあり、そこへは公理ではたどり着くことができないことを知っていた。であるとすれば、その記述不可能な領域を示すためには、記述可能な領域の境界まで公理を行き届かせなければならない。そのことによってのみ、我々は我々自身を知ることができる。
しかし実はそのような記述可能な世界を記述し尽くすことはあまり難しいことではない。なぜなら、記述できることはすべて自明な事柄、言い換えればどんな場合にも成り立つ命題=恒真命題であるのだから。
4.12
命題は、現実のすべてを叙述できるが、それを叙述しうるために現実と共有すべきもの、すなわち論理的形式を叙述することはできない。
5.6
私の言葉の境界が、私の世界の境界を意味する。
6.5
人が語りだすことのできぬ回答に対しては、人は問いをも語り出すことはできない。
謎は存在しない。
ともあれ問いが発せられる以上、その問いは、答えることのできるものである。
しかし、これほどいろいろ引用したくなるような著作というのもなかなか無いのではないか。単純に文章の形式が極端に文章の短い断章であるというだけかもしれないが。
なんにせよ、これから幾度か読み返さなければならない作品である。
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