Wednesday, June 25, 2008

アルゴリズム図書館

InterCommunication No.65に掲載されている山本貴光「コミュニケーションの思想 - バベルの塔からバベルの図書館へ」を読んだ。このなかで著者は、発展したインターネットがバベルの図書館へと変貌する可能性に触れている。

バベルの図書館とは、(とりあえず全ての言語がアルファベットで記述されていると仮定し、)あらゆるアルファベットの組み合わせを用意した図書館があれば、これまでにあった著作はもとよりこれから書き起こされるであろう書物や、明日の競馬の結果などの記述もすべてその図書館から見つけ出すことができるというボルヘスの空想小説のことだ。そしてそのアルファベットというのをビット配列に読み替えればコンピューター上でバベルの図書館を再現することは理想的には可能であり、それが可能と成ったときにはその情報の洪水の中から如何にして有用な情報をマイニングするかが今後のコミュニケーション理論を考える上で重要と成るだろう、という論旨であった。

山本氏はインターネット上にバベルの図書館を用意することは、その記憶領域の確保の問題であると考えているようである。しかし任意のビット配列を取得するのであれば、じつは別段記憶領域等は必要ない。たとえば1という数字を記述した文書を必要とするときには、1桁のビット配列で、0から始めて2番目に得られる値を要求すれば良い。任意の長さの任意の文字列ということであれば、それこそその文字列の長さの分だけ、ランダムなビットパターンを返すよう要求すれば良く、またその要求に応えるプログラムなど(基本的には)数分もあれば作成可能だ。それぞれのデータに対して一意性が必要なのであれば、データの桁数と、先頭からの番号さえあたえれば全てのビット列を特定することも可能である。ただし、この場合取得可能なデータと要求するデータは全く同じ情報を持つことに注意が必要である。つまり「本日は晴天なり」という文書を要求するために、「「本日は晴天なり」という文書を送信せよ」と問い合わせなければならなくなる。これは彫刻は既に石の中にあり、あとはそれを取り出すだけでよ意図する主張と何ら変わるところは無く、このような主張はこれまでにいくらでも考えられてきたことだろう。もちろん山本氏はそのことを百も承知で、その冗長な情報の洪水の中から意味のある情報を体系づける仕組みを考えることが可能かもしれないと考えているのかもわからない。しかし繰り返すが、そのようなことはホワイトノイズの中からモーツァルトの音楽を取り出すことができると言っていることと同じで、ほとんど意味がない。

電子計算機という、アルゴリズムによって駆動し、データを出力することが可能な機械は、このように意味と無意味を際限なく作り出すことができる。結局その意味を作り出す論理の構造を改めて問い直す作業は現時点で可能であるかもしれないが、その作業が不毛であるであろうことだけはゲーデルによって証明されてしまっている。そういったことを先延ばしにしつつ、無意味を無意味のまま、意味に回収されない形で戯れさせること。あるいはそのような試みこそが現代において求められているのかもしれず、いくつかの心当たりは諸兄の中にもあろう。

2 comments:

Anonymous said...

はじめまして。コメントをありがとうございます。

拙論で私が念頭に置いていたのは、検索すべき文字列と一致する任意の文字列を得ることではありませんでした(その場合は、おっしゃる通りだと思いますし、それを述べるのであれば杉森さんがお書きのように私も書くところです)。そうではなく、ちょうどGoogle BookSearchやquestiaなどのディジタル・アーカイヴから、「Borges」や「Babel」という文字列をその一部に含む書物(データ列)を探り当てるという使い方でした。

また、無限のホワイトノイズのようなデータ群のなかから意味の通るデータを取り出すことについては、おっしゃるとおり「ほとんど意味がない」と私も思います。

拙論後半で述べようとしたことは、ディジタル版バベルの図書館が可能であるかもしれない、ということではなく、ボルヘスが「バベルの図書館」で示したありすぎる情報がかえって探している情報へのアクセスを阻むという皮肉な状況を、ディジタル版で考えると(そうした極端な思考実験によって)なにが見えるだろうか、ということでした。

ゲーデルによる証明が、ご議論のなかでどのような意味を役割を担っているのかは私にはわかりませんでしたが、電子計算機によってデータ列を生み出すことと、そこから意味/無意味を見出すことの困難については、ジョン・サールが「中国語の部屋」という思考実験で論じてみせたこと(コンピュータはただ符牒に従って入力された言葉を処理すれども、ついに「意味」を「理解」することはない)を想起します。

長々と失礼しました。

山本貴光

daixque said...

山本様
初めまして、杉森です。
コメントありがとうございます。
# コメント通知のメールが届かないようになっていたようで、お返事遅れました。失礼しました。

> 拙論で私が念頭に置いていたのは、検索すべき文字列と一致する任意の文字列を得ることではありませんでした

おっしゃることはよくわかります。私が書いた内容はほとんど自明の事柄ですし、そもそも私の記事は山本様の記事に刺激されてバベルの図書館の不可能性/無意味性について考えてみた、というものです。

しかし、少なくとも山本様の記事に於いてはコンピューターが自動的に何らかの情報を生成し続け、それを受け手が(そこには意味論的解釈を行うコンピューターが介在するかもしれませんが)価値を見つけ出す過程の可能性について触れられているように感じます。

そうだとすると、任意の検索を行ったとき、やはり無数の可能で有意味(に見える)情報が取り出すことができます。そしてその中検索結果=可能な解の集合すべてについて、その解がシステムに無矛盾であることを保証することをシステム自体が判断することはできない、というのがゲーデルの不完全性定理であった、という認識です。

コメント頂いたように、人に依って作成されたアーカイヴの中から有意味な情報をマイニングするという方法論であれば、話は全く違います。情報の多さのオーダーがコンピューターが自動的に作成するという思考実験で得られる無限性に対して明らかに小さいからです。

そもそも議論すべきポイントがずれている気もしますが、たまたま論理系の文章等を読んでいたため、今回のような記事を書きました。ご理解下さい。