Saturday, June 28, 2008

読書

・平田オリザ『演劇入門』読了。氏がこれまでに行ってきた演劇ワークショップなどで培われた、あるいは再認識された演劇感について、極めて平易な文体で記述された、戯曲を書くための入門書。かなり具体的な記述で戯曲の書き方が書かれていて驚いた。また現代演劇に於ける、あるいは現代の諸芸術全体に於けるリアリズムのあり方についても触れられており、たとえば文中にあらわれる「伝えたいことは何も無い。でも表現したいことは山ほどあるのだ。」といった主張など、この本が書かれた90年代の空気も多分に反映されていると感じる。

平田オリザ『演劇入門』

・島田虎之介『トロイメライ』を読んだ。面白い!前の『ラストワルツ』も面白かったが、本作はより大作感がでている。ちょっともう一回は読まないと感想を言えないけれども、なんというかレトロな感じの画風の陰で、極めて緻密に各コマの構図を作り込んであることがわかる。『トロイメライ』も『ラストワルツ』も書店で偶然見つけたのだが、今調べたら『東京命日』という作品も出ているらしい。読まねば。

島田虎之介『トロイメライ』

・今はボルヘス『伝奇集』を読んでいる。

ボルヘス『伝奇集』

Wednesday, June 25, 2008

アルゴリズム図書館

InterCommunication No.65に掲載されている山本貴光「コミュニケーションの思想 - バベルの塔からバベルの図書館へ」を読んだ。このなかで著者は、発展したインターネットがバベルの図書館へと変貌する可能性に触れている。

バベルの図書館とは、(とりあえず全ての言語がアルファベットで記述されていると仮定し、)あらゆるアルファベットの組み合わせを用意した図書館があれば、これまでにあった著作はもとよりこれから書き起こされるであろう書物や、明日の競馬の結果などの記述もすべてその図書館から見つけ出すことができるというボルヘスの空想小説のことだ。そしてそのアルファベットというのをビット配列に読み替えればコンピューター上でバベルの図書館を再現することは理想的には可能であり、それが可能と成ったときにはその情報の洪水の中から如何にして有用な情報をマイニングするかが今後のコミュニケーション理論を考える上で重要と成るだろう、という論旨であった。

山本氏はインターネット上にバベルの図書館を用意することは、その記憶領域の確保の問題であると考えているようである。しかし任意のビット配列を取得するのであれば、じつは別段記憶領域等は必要ない。たとえば1という数字を記述した文書を必要とするときには、1桁のビット配列で、0から始めて2番目に得られる値を要求すれば良い。任意の長さの任意の文字列ということであれば、それこそその文字列の長さの分だけ、ランダムなビットパターンを返すよう要求すれば良く、またその要求に応えるプログラムなど(基本的には)数分もあれば作成可能だ。それぞれのデータに対して一意性が必要なのであれば、データの桁数と、先頭からの番号さえあたえれば全てのビット列を特定することも可能である。ただし、この場合取得可能なデータと要求するデータは全く同じ情報を持つことに注意が必要である。つまり「本日は晴天なり」という文書を要求するために、「「本日は晴天なり」という文書を送信せよ」と問い合わせなければならなくなる。これは彫刻は既に石の中にあり、あとはそれを取り出すだけでよ意図する主張と何ら変わるところは無く、このような主張はこれまでにいくらでも考えられてきたことだろう。もちろん山本氏はそのことを百も承知で、その冗長な情報の洪水の中から意味のある情報を体系づける仕組みを考えることが可能かもしれないと考えているのかもわからない。しかし繰り返すが、そのようなことはホワイトノイズの中からモーツァルトの音楽を取り出すことができると言っていることと同じで、ほとんど意味がない。

電子計算機という、アルゴリズムによって駆動し、データを出力することが可能な機械は、このように意味と無意味を際限なく作り出すことができる。結局その意味を作り出す論理の構造を改めて問い直す作業は現時点で可能であるかもしれないが、その作業が不毛であるであろうことだけはゲーデルによって証明されてしまっている。そういったことを先延ばしにしつつ、無意味を無意味のまま、意味に回収されない形で戯れさせること。あるいはそのような試みこそが現代において求められているのかもしれず、いくつかの心当たりは諸兄の中にもあろう。

Tuesday, June 24, 2008

アラザル続報

アラザル』の書店販売が始まっています。

これに伴って制作した帯に、『M/D』『東京大学のアルバート・アイラー』『官能と憂鬱を教えた学校』など、菊地成孔との多くの音楽書の共著で知られる大谷能生氏に推薦文を頂きました。ありがとうございます。

STADIO VOICE 2008/7号『本は消えない!new printed matter』の文学フリマ特集で取り上げていただきました。
また以下のサイトでも取り上げていただきました。
CINRA.NET
STADIOVOICE ONLINE
ありがとうございます。

現在、『アラザル』は以下の書店/オンラインショップで購入できます。
・ABC本店
・ABC六本木店
・タワーレコード新宿店
・タワーレコード渋谷店
・紀伊国屋書店 新宿本店
・ジュンク堂 新宿店
タコシェ
・円盤
・高円寺文庫センター
・百年(吉祥寺)
・汎芽舎(神戸)
・シネ・ヌーヴォ(大阪)
Headz

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。税込み500円。

日記 2008/6/24

・最近個人的に忙しかったが、だんだん仕事の方も忙しくなってきた。

・フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は読了。人間存在とは何かをめぐる、ある意味とても古典的な小説。面白かった。続いて滞っていたケージの『小鳥たちのために』の続きを読むが、何章かすすんだところでまた脱線。『ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編』を読む。

ひぐらしのなく頃に

ライトノベルを読むのは初めてだったが、なるほどこれは相当にキャラクター中心で神話的な世界であるなあ。特定の視点を境に世界が正反対に反転してしまう様子を、そいういえば上巻と下巻での鮮明なトーンの違いがあるように、物語構造的にも作り出していた。

今は円城塔『オブ・ザ・ベースボール』を読んでいる。中編「オブ・ザ・ベースボール」は読了し、これまた面白かった。円城は常に作品世界で起こった事実のみの積み重ねから、しかしあれだけ笑わせる文体を紡ぎ出すのだから、なんともたまらん。といってもまだ読むのは2作目だが。

オブ・ザ・ベースボール

Sunday, June 22, 2008

日記 2008/6/22

・いろいろ雑用が多くて更新が滞っている。今日はようやく無線LANを買ってきて、家の中のネットワークの設定。なんだかんだ言ってネットワークにつながる機器はたくさん持っているので、つなげて確認するだけでもちょっと面倒な作業。せめてコンピューター関連の仕事をしていたおかげで、作業自体は普通に終わる。まあ難しいことは何もしていないが。

・今日はICCで坂本龍一+高谷史郎《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》の特別上映を見る。以前ICCで行われた同盟のインスタレーションがDVDされ、それを上映する企画。さすがのクオリティですばらしかったが、アブストラクトな映像と音響が続くだけに途中からものすごい眠気が(笑)。いや、しかし本当にすばらしい作品だと思う。

・上映が終わるとすぐにICCを出て銀座のApple Storeに行き、Max5大作戦に参加(聴衆として)。プレゼンテーションは無難に良かったが、ライブパフォーマンスはあまりこれというものが無かった。

・ちなみにICCではInterCommunicationの0号3号4号を購入。たしかにこの頃の執筆陣はもの凄い。いつ頃ちゃんと読めるかわからないが・・・

InterCommunication vol.0

Monday, June 16, 2008

結婚しました

bouquet
私、杉森大輔はこの度結婚致しました。
結婚式にご参列頂いた皆様、ありがとうございました。
おかげさまで好天にも恵まれ、清々しい結婚式とすることができました。

これからは妻、智子と共に皆様のお役に立てるよう、切磋琢磨して参ります。
今後とも我々夫妻にご贔屓賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

Wednesday, June 11, 2008

アラザル, coming back soon!!

アラザル

ついに『アラザル』の店頭販売を開始します。

2008年春の文学フリマにて好評頂きました『アラザル』ですが、店頭での販売を開始することになりました。現状、以下の店舗で取り扱っていただける予定です。

Headzオンラインストア
・新宿タワーレコード
・渋谷タワーレコード
・ABC本店
・ABC六本木店
・紀伊国屋書店 新宿本店
・ジュンク堂 新宿店
・タコシェ
・円盤
・高円寺文庫センター
・汎芽舎(神戸)
・シネ・ヌーヴォ(大阪)

引き続き『アラザル』を宜しくお願い致します。


アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。税込み500円。

日記 2008/6/11

SuperCollider

・マイケル・ナイマン『実験音楽』読了。各時代ごとの実験音楽の成果についての評価を集めた、資料として価値のある本だった。良くも悪くも、ナイマンの思想や作品に対しての批評的立場を明らかにするためのものではなかったと思う。ただ、どのような「実験」が当時の音楽の先端で起こっていたかを知る貴重なドキュメントである。

・非常に安易な影響の受け方だが、その『実験音楽』を読んで、ちょっとアイディアが浮かんだのでコンピューター用の音楽作品を作っている。作っているといっても、作曲=コンセプトみたいなものなので、すでに作曲は終わっているが、プログラムを書いている途中なので音はまだ無い。名前もまだ無い。ちなみに音を鳴らす部分はSuperCollider、コントロールする部分はRubyで書く予定。

SuperColliderはイマイチこれまで使えるようにならなかったのだが、今回調べながら書いてみて、少しだけ前進した。鳴っている音を滑らかに変化=コントロールする、という普通のことなのだが、今までは単純にやり方がわからなかったため、別にMax/MSPでいいじゃん。ということになっていたのだ。今回は同時に相当たくさんの正弦波を扱う予定なので、そういうのはMaxではできないためSuperColliderに。あとは「滑らかに」っていうコントロールのクオリティはMaxだとイマイチだが、SuperColliderは相当良い。

・ちなみに、名前がついていないと書いたが、こういうプログラムとかって大元の名前が決まっていないといろいろ不便だ。プログラム名やフォルダ名なんかが決められない。後から変えるといろいろ修正しなくてはいけない。一括置換するのは怖いし。JavaだとEclipseのリファクタリングで一発なんだが。

・なんだか急にコンピューターの話が多くなってしまった。若干不本意である。

・今は高校生のときくらいから本棚にあった(気がする)フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいる。

フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

Thursday, June 05, 2008

日記 2008/6/5

・披露宴用の選曲をするために実家までCDを取りに帰る。実際に使えるかはあまり考えず、まあきれいな感じの、女性ヴォーカルなんかいいのかな?とか、あ、サティも持って帰ろう、などかいつまんで選び、30〜50枚くらいキャリーで持って帰る。

・その前にせっかく寄ったからということで、高田馬場の小さい方のBookOffで文庫を中心に江藤淳やヴォネガット等を数冊購入。

・キャリーでも重い。

・しかし引っ越し以来、普段使っていた眼鏡が行方不明。一応もう一つ主に家でかけていたスペアがあるので何とかなっているが、なかったらまあ引っ越し自体ができなかっただろう。そういう意味ではこのスペアがあったために普段使いの方をロストしたとも言える訳だ。あとmac用の電源アダプタも紛失中。現在、会社のアダプタを持ち歩いている。偶然、iPhoneの調査用に仕事用macを調達したところだったので助かる。

・しかし本当にこういうくだらない日記的なものは別に書かなくても良いのでは?という気もする。どうなんだろう。まあ書くことでなにがしかのアイディアの種みたいなものを残しておくことはできるかもしれないが、菊地成孔が(日記で)書いていたが、こうやって自分の書いた物を公開してそれに対してリアクションを求めるような態度は、如実にナルシシックな態度であるのは確かだろう。それでもとりあえず続けておかないと、ちょっとした思いつきを書こうという気にすらならなくなりがちだから、かけるうちはやっぱり続けようか。というかそもそもブログはそういうメディアである訳よね。

Wednesday, June 04, 2008

日記 2008/6/4

・今日は仕事で午前中は横須賀の方まで。遠い。

・しかしその分本を読む時間ができるのはありがたい副作用。引き続きナイマンの『実験音楽』を読む。

第一章では実験音楽での記譜法について、実験音楽家たちがいかなる方法でそれまでの確定的な音の記述を避け、音楽を生成するルールの制作、つまりメタ音楽記述を行っていたかを詳述してあった。古典的な西洋音楽においては、楽譜に記されるのは発音される音(音程、持続、強度)を直接指定するものであるが、実験音楽の楽譜ではそれらの音を発音するためのゲーム的なルールが記述され、演奏家はそのルールに沿って演奏=playすることが求められる。しかしこの位相のずれは、例えばメディアの内容はメッセージであるが、メッセージとはまた別のメッセージのためのメディアであるという有名なマクルーハンの命題と符合する。結局作曲とは何であるか、あるいは音楽とは何であるかという命題が包含するべき領域というのは、それぞれの文化的コンテキストによって様々に変容するものだし、カルチュラル・スタディーズが問題にしてきたのもそのような文化の諸位相の多様性だろう。

・帰りにいくつかの書店を廻ってInterCommunication 65、新潮6月号、ユリイカ6月号『マンガ批評の新展開』、東浩紀×桜坂洋『キャラクターズ』を購入。

・しかし知ってはいたが、InterCommunicationは今号で休刊との事。僕は例えば現代思想などへの興味は、メディア論的な言説をInterCommunication経由で読み出してから持ったといえるし、だから批評に興味を持つことになったり、実際に批評的な何かを書くということについて間接的でも最も大きな影響を受けた雑誌は、僕にとってはInterCommunicationだといってよい。どうやらこの雑誌が最も重要性を持っていたのは90年代であったようで、僕が読み始めたのはつい最近(とはいえないか)の2004年からだから、その最もアクチュアルであったろう時期のInterCommunicationの需要のされ方はあまり伺うことができない。しかしバックナンバーをわざわざ購入して読もうと思うのも、扱う内容がアクチュアルであるが故、その陳腐化というか、そのままに受け取ることができない部分があっても、やはり何がしかの雑誌がもつ意志がこめられていたからだろう。休刊は非常に残念な知らせである。

InterCommunication 65

Tuesday, June 03, 2008

日記 2008/6/3

マイケル・ナイマン『実験音楽』

・スチュアート・ホールの本を読了したので、佐々木敦の第二期BRAINZで薦められていたマイケル・ナイマン『実験音楽ーケージとその後』を読み始める。本当に読みはじめで冒頭しかまだ目を通していないが、様々な実験音楽の楽譜などを例示しながらの説明は非常にわかり易そうだ。

・できれば第二期BRAINZ『4分33秒を/から考える』をふまえて、一度4分33秒についてまとめてみたい。

・今仕事でiPhone用のアプリ開発の調査をしている。アプリの開発はおそらく多くの人が想像している通り、プログラミングによって行うのだが、開発するアプリの種類によって使う言語が様々ある。有名なのはUNIXなどのOSを記述しているC言語や、最近多くのWebアプリケーションの開発に使われているJava、あるいはブラウザ上で動作するJavaScriptなどだろう。iPhoneではObjective-Cという言語が使われていて、今日はそれにLuaというスクリプト言語をのせることはできないか調査していたのだが、ともかくもいろいろな言語を知るにつれてそれぞれの言語ごとの思想がわかるようになってきて面白い。で、まさにプログラミング言語の扱う論理を記述する性質と、記述不可能な地点にあるそのプログラムを実行するエンジンの関係、じゃあそのエンジンは何で書かれているの?というちょっとトートロージーめいた議論、この辺りについて書かれているのがSelf-Reference ENGINEの一部で、やりたいことが多すぎるきらいもあるが、この辺りもう少しまとめて考えてみたいです。

Sunday, June 01, 2008

日記 2008/5/31, 2008/6/1

・実家に帰る。ついでに高田馬場のBookOffに寄る。早稲田口方面じゃないほうの、おっきい方の。で、ここまだ知らない人は行くといいですよ。なんか普通のBookOffとは経営形態が違うらしく、品揃えが異様に充実してます。例えば昨日みた範囲では、ドゥルーズ『反復と差異』、『アンチ・オイディプス』、『記号と事件』、ベケット『マウロンは死ぬ』がありました。『マウロンは死ぬ』はこのまえわざわざ北海道の古書店から取り寄せたところだったのに、その店の半額で売っていた!しかも、文学ではなく演劇のコーナーという、わっているのかいないのかよくわからない(いや、わかってなくて演劇コーナーっていうのもあり得ないとは思うが)売り方をしていた。で、昨日はカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』、アルチュセール/ランシエール他『資本論を読む〈上〉』他、ほぼ初挑戦の西尾維新と那須きのこのライトノベルなどを購入。

・そういえば引っ越し直前に目白のBookOff(こちらは異様に店員の接客がうざったく、なるべくなら入りたくない感じがあるのだが)では単行本半額セールという、他の店舗でもやっているのかよくわからない、あからさまな在庫処分セールを行っていて、おもわず荷物になるにもかかわらず10冊ほど購入してしまった。そこではウンベルト・エーコ『薔薇の名前<上>』、舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』、諏訪哲史『アサッテの人』などを購入。

・実家では残してあるCDの中から、高校生の(ハードロック小僧だった)ときに愛聴していたInner Galactic Fusion Experience with Richie Kotzenを聴く。
Inner Galactic Fusion Experienc eWith Richie Kotzen
Richie Kotzenは日本的には1999にMr.Bigに加入したことで知名度を上げたらしい。Mr.Bigでの演奏は聴いたことが無いが、テクニカルでエモーショナルという、言葉にするととっても日本人好みのギタリストで、彼個人の資質としてはファンクなどの黒人音楽がベースにあるというのが、他のテクニカル系ギタリストとの大きな違いだった。このアルバムではいわゆるプログレ経由のフュージョンを展開している。当時僕はこういうのがジャズだと半分くらいは本気で思っていて、即興演奏が好きだったこともありよし、大学に入ったらジャズ研に入ろう、とこのアルバムを聴いて思った、とまでは言わないが、相当にギタープレイの高度さとテンションに引き込まれたものだった。おそらく大学でハードバップ等を演奏しているときにこれを聞き返しても何も感じるところは無かったかもしれないが、今回このアルバムの最後に入っているアコースティックのバラード(ハードロックのミュージシャンはアンプラグドという形態でバラードを演奏するのが非常に好きなのである。要するに演歌だ。)を聴こうと思ってその他も聞いてみると、やっぱりなかなかにかっこ良い。パンク以外は許せん。という人には薦められないが、これはこれである種の様式美だ。しかしこれをフュージョンと呼ばせてしまうところに、「フュージョン」という言葉のいい加減さというか、寛容さというか、そういったものがあって、これはクロスオーバーという言葉との違いがあるのか無いのかも良くわからないのだが、この辺り少しまじめに考えてみようかとも考えている。何を持ってフュージョンなのか?8ビート/16ビートか?電気楽器か?ジャズロックとは?などなど。具体名を出すと、Mils Davis, Return to Forever, Jeff Beck, King Crimson, Area, Herbie Hancock, Maceo Parker, Donald Byrd, Kenny G, David Sanborn, Jamiroquaiあたりか。

・今日は実家に帰ったついでに髪を切ってもらう。まあ、前よりはすっきりしたか。

・帰ってきていい加減一部屋に押し込めて放置していた段ボールの類いから荷物をなるたけ整理。ようやくこの部屋が物置でないことがかろうじてわかるようにはなったかまだなっていないのか。

Friday, May 30, 2008

Self-Reference TEXT


スチュアート・ホール


今は青土社現代思想ガイドブックシリーズの「スチュアート・ホール」を読んでいる。スチュアート・ホールはカルチュラル・スタディーズの創始者の一人に数えられるイギリスのいわゆるニューレフトの知識人だ。このシリーズでは他にジャック・デリダの解説書を読んだことがあるのだが、その本は非常に面白かった。ただデリダの思想について解説を加えるだけではない、デリダ的エクリチュールの実践としてのテクストが展開されていて、非常に本として読み応えがある刺激的なものだった。これまでのところ「スチュアート・ホール」についての本書がデリダ本ほどのインパクトを持っているようには感じられないが、ふと、ある人の解説本を読むということは、一体どういうことなのかが気になった。

そもそもデリダならデリダの思想について知ろうというとき、解説本を読むくらいなら原典を当たれという至極真っ当な意見を見聞きすることがある。当然それはそうなのだろうが、やはり難解な思想家なり何なりについてまずとっかかりでも掴んでみたいというのも無理からぬことだろう。しかし、なぜ原典より解説本のほうが解り易いのか。解説本はあくまで解説を施している対象の著者なり著述なりについて二次的に記述=翻訳されたものであるはずで、であるとすればもっとも理解に易いのは原典の方であるはずだろう。もちろん言葉遣いのような技術的なレベルで分かりやすさを上げることも可能だろうが、しかしそれ以前に原典はそれ自身が自己の内容についての説明を行っている訳ではないという、自明な事実にその非容易性の多くを負っているはずだ。我々が著述を行うとき、どんな記述であっても(それは思想や文学といった人文系の書物に限らず、科学技術のプログラムや音楽の譜面についても同様だろう)、その記述=エクリチュールはそれ自身について記述することはできない。今まさに生成されつつあるこの文章についての解説は、別のテクストにゆだねるほか無い。この自己への限りない到達不可能性によって、こと思想というその自己正当性を保証することを求められる形式のテクストは、その読解を他者へとゆだねざるを得ないのではないか。そしてその読解の多様性をこそ現代の思想は考えてきたはずである。

この自己への言及/到達不可能性については、円城塔『Self-Reference ENGINE』で改めて考えさせられた。この作品、読了したが、本当に刺激的で、そのうち少しはまとめてコメントしてみたいところだ。

ジャック・デリダ

Wednesday, May 28, 2008

日記 2008/5/28

・amazonから円城塔「オブ・ザ・ベースボール」とサミュエル・ベケット「名づけえぬもの」が会社に届く。今までは実家暮らしだったので、平日に家に届いても問題なかったのだが、今は平日昼間の家には誰もいないので初めて会社宛に届けさせてみた。

・ベケットは「モロイ」を買ったときには普通に手に入ったのが、実は今はなかなか手に入りにくい、という話を文学フリマの前のアラザルの飲み会で聞いて、じゃあ手に入るものは買っておこうかという貧乏根性丸出しでアマゾンを検索、3部作のうちとりあえず「名づけえぬもの」だけは購入できるらしい、ということで注文したのだが、先日「注文した商品は入荷できませんでした」という旨のメールが届くも、再度amazonを検索すると「3点の在庫」というような表示で未だ発売中とのこと、それではとこちらも再度注文してみると何のことは無い翌日に会社に届けられた。これは一体全体どういうことだったのか。前注文したのは古いハードカバーの版で、今回注文したものは新しいソフトカバーの版、ということだろうか。しかし「入手できない」といっていてこのような状態だと信頼感は減らざるを得ない。普通の書店ではあり得ないだろう。

・とはいえ、すでに別の古本店で入手済みの「マウロンは死ぬ」も含め、積読本はいやというほどあるので、特に「名づけえぬもの」まで順番が回って来るのは結構先になりそうな予感。

Tuesday, May 27, 2008

日記 2008/5/27

・かなり更新が止まっていましたが、文フリで力つきた、という訳では決して無く、既にして更新作業に飽きた、というわけでもとりあえずは無く、実は先日引っ越しを致しまして、その準備で相当に忙しかったのと、引っ越しがすんでからは家でネットに接続することができないという、現代人にとっては極めてクリティカルで物理的な限界(とはいうものの会社では使えるので、日常生活には不自由しなかったのだが)により、更新しようにもできない日々が続いていた訳です。

・新居は神奈川県は川崎市。近くへお越しの方はお立ち寄り下さい。

・しかし僕は全く読書家とは言えないわけだが、引っ越しとなるとそれなりに本の移動が大変であった。多くの本は一つの本棚に収まっていたはずなのだが、いざ段ボールにつめ出すと意外なほど量になった。CD/LPについてはかさばる上、部屋が片付いてからじゃないとオーディオもセットアップされないことが目に見えているため、一部をのぞいて大部分はまだ旧家に残したまま。つまり第2次の引っ越しが残っているようなものか。そういえばギター類も6本くらいあるが、とりあえず普段使うギブソンの2本のみ持ってきた。去年買ったビアンキのロードレーサーは今度乗ってこよう。と思っていたが、そんなこと行ってるとどうせずっと先になってしまうので、これは車で運んだ。

・更新してない間に読んだのはフリオ・リャマサーレス「狼たちの月」、本谷有希子「グ、ア、ム」、ジョージ・オーウェル「動物農場」、あとアラザルの原稿。他にもあった気がするが失念。「狼たちの月」は内戦後に敗走兵となった主人公が、治安警備隊から逃れるために山の中に身を隠しながら、強烈な孤独の中で生き延びる姿を、悠然とした自然の描写の中で浮き上がらせていく作品で、非常に読み応えがあり、感動した。

狼たちの月

・今は円城塔「Self-Reference ENGINE」を読んでいる。いや、これ凄く面白い。ゲーデル的な自己言及の循環の不可能性や、あるいはオートポイエーシス的な自己生成していくシステムを、一つの世界記述言語的に、しかもそれは誤訳しか生み出さないという覚悟の元で淡々と、しかもちょっとオトボケな文体と絶妙なテンポで記述されていく、なんともスリリングな作品。まだ半分くらいしか読んでいないけれども、きっと傑作でしょう。

Self-Reference ENGINE

Tuesday, May 13, 2008

文学フリマ報告

ついに、ようやく、文学フリマ当日。ただし起床時点でいまだ製本されたものを見ていない。本は編集長の西中さん家に納品されているので、まずは西中さん家にお邪魔する。
で、「アラザル」に初対面!だったわけだが、いやなかなかよいものができたのではないでしょうか。装丁も迫力がある。

あとこれまでに作っていたり、録音済みの音源を使ったりして編集した2曲入りのCD-R「OK, I am here.」を何とか制作。前日はジャケットを制作。世界堂であれこれ紙を選んで、家に帰って紙に合うデザインを模索。やっぱり手に取ることができるものを作るのは楽しい。Webとかじゃ伝わらないものは多いね。
sugimori daisuke / OK I am here.

どちらもできたての「アラザル」と「OK, I am here.」を手に、いざ文学フリマへ。身内にも初のお披露目だが、HEADZブースに出店する人や、その他のお客さんにもこの充実度で500円は安い!とのコメントを頂く。いやーうれしいね。内容についても好意的に受け止めてもらえるだろうか。いや、好意的でなくてもかまわないが、せっかくこれだけ労力を使った雑誌なのだから、広く多くの人が読んでくれたらうれしい。しかし実際「アラザル」の売れ行きは好調。「OK, I am here.」は身内向けに好調(押し売り気味)。メンバーの皆の顔がほころぶのが楽しい。皆さん、本当にお疲れさま。一緒に作業ができて楽しかったです。これからもよろしくお願いします。
文学フリマ HEADZブース

で、販売はアニーさんを中心にHEADZスタッフが対応してくれたので、僕らは周りからおー売れた!とか言っているだけだったが、それだけではあれなんで、知人やHEADZの周りにいた人たちのレコメンを頼りに周りのブースを回って色々の雑誌等を購入。えー多分僕は人一倍積読本が多いので、いつ全部の雑誌に目が通せるか見通し不明ですが、力作も多そう。

16:00になり、文学フリマはこれをもって終了!ご来場&ご購入いただいた全ての皆様、本当にありがとうございます。愛してます。

荷物をまとめ、渋谷HEADZ事務所によってからいざ打ち上げ。

渋谷の居酒屋での打ち上げではHEADZに出品していた何人かの作家さんが来ていて、色々話を聞けてよかった。特に大谷さんに僕の原稿についてコメントをもらえたのが最大の収穫。さすがに鋭い読みで、僕が考えていた仕組みというか、構造はほぼ見切った上で、不足点をしていただく。うーむ。一部もう少し議論というか意図を伝え直してみて、その上でのコメントも聞きたいが、長くはないながらに充実したやり取りであった。
アラザルメンバー

終電頃に一度店を出て、なぜか高円寺で2次会。こちらは途中から批評についての座談会のようになり、なかなかに白熱する。こういうのはやっぱり酒が入ってからの方がいいかもね。近藤君とか明らかに普段より饒舌になっていた。

夜が開け、よく考えれば12時間くらい飲み屋にいた訳で、みんなちょっと死にそうな顔して帰路に。でも、これからまだ色々な活動を継続できるだけのモティベーションをもったメンバーがいることを確信し、心強く思う。継続しなければ。

Tuesday, May 06, 2008

日記 2008/5/6

・新しく曲を作ろうと思って、冒頭の和音の展開を考え、録音してみる。楽器はフルートとクラリネット。えーと、クラリネットは一瞬始めてみたことがあっただけで、全然吹けないのだが、全音符の並びだけなら何とかなるかと思ったのだが、実際録音してみて音の酷さに絶句。しょうがないのでフルート2本のアンサンブルにしてみようかと思うも、全然イメージが膨らまず断念。まずいなあ。

・少し前に途中まで読みかけていたイアン・マキューアンの「アムステルダム」を発見し、最後まで読む。

98年のブッカー賞受賞作。最近とは言わないまでも古い作品ではないが、本作は作りとしては小説の王道というか、登場人物の心理や風景などの描写、そして物語の展開の構造などに力を入れた作品だった。普通の人が些細な諍いを元に自滅していくストーリーが描かれているが、最後の場面を読んでいるときに部屋でかかっている音楽が先日買ったzamla mammaz mannaのオトボケ系プログレで、実際の作品もそうなのかもしれないがそれ以上にブラックユーモア的な印象になってしまった。

・そのzamla mammaz manna(ツァムラ・ママス・マンナ、スウェーデンのプログレバンド)だが、なかなかに良い。回転数をかえてコミカルな感じにしたヴォーカルや、必要以上にシンフォニック/荘厳なシンセなど、ゴングほどではないが笑いのツボを押さえつつ、童話的な世界観を展開する。一体歌詞はどんな内容なのか気になる。

【告知】アラザル/文学フリマ

ブースの配置が決まったので、改めて詳細な告知です。

アラザル

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。2008/5/11(日)文学フリマ、HEADZブース(2F B45)にて発売。税込み500円。

杉森は『カウンター/ポイント』というタイトルで、音楽と写真について、柄谷行人とロラン・バルトを援用して書いています。言及している固有名は、ジョン・ケージ、パウル・パンハウゼン、Sachiko M、大友良英、マリオ・ジャコメッリ、エリナ・ブロテルスなど。

■コンテンツ

【特別企画】佐々木敦インタヴュー
熊谷歩 ギャグ漫画俯瞰 その表象・宇宙から部室へ・そして、労働
高内祐志 ◇ ?
友兼亜樹彦 分裂した手記
永江大 「音楽」における場所とその特性について
黒川直樹 GODARD,DES/SIN.或いは、情熱という女のカルメンについて
杉森大輔 カウンター/ポイント
堀越裕之 静寂のために音が鳴る
安東三 中二病闘病記としての古谷実
畑中宇惟 虚構と現実の間にある「日常」を考えるための7日間
諸根陽介 4分33秒のフリー・インプロヴィゼーション
山下望 +シネマ+/映画史のデヴェロップメント<<試行版>>
近藤久志 chelfitschのこと
西中賢治 一〇〇年目のベイビーズ
西田博至 TO BE, OR NOT TO BE
前田礼一郎 ふえる/かけること
大橋可也 死んでしまえばいいんじゃない
執筆者プロフィール『Question, Answer and more』


[春の文学フリマ2008]
2008年5月11日(日)
11:00〜16:00
東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第2展示室
(JR線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅徒歩1分)
※入場無料、カタログ無料配布、立ち読みコーナーあり
HEADZブース:B45
地図

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文学フリマでは、他にもこんな注目の出店が!!

エクス・ポ、レビューハウス、WB、路地、三太・・・空前のミニコミブーム(?)の中開催される文学フリマ、お見逃し無く!

Monday, May 05, 2008

クラリネット音楽祭

先日「20th Century Music For Unaccompanied Clarinet」を聞いたのをきっかけに、自宅にて現代クラリネット曲音楽祭を開催(笑)。

20/21 - Boulez: Repons, Dialogue De L'Ombre Double / Boulez, Ensemble InterContemporain





1曲目の「repons(レポン)」が有名だが、2曲目のクラリネット曲「Dialogue De L'Ombre Double」も良い。IRCAMというフランスにある現代音楽における電子音楽の総本山で、所長のピエール・ブーレーズの曲を本人が指揮するという(Dialogue De L'Ombre Doubleは独奏曲)、サラブレットな録音。1曲目の演奏はEnsemble InterContemporainというこれまたサラブレットたち。肝心の2曲目のクラリネット曲は、本来なら前後左右合計7カ所に設置されたスピーカーを使って、目の前で演奏されているクラリネットの音をリアルタイムに音響処理し、聴衆の周りをそのクラリネットの音が駆け巡るような感じ、であると思われるのだが、CDに録音されているのはステレオ2chのみなのでその全貌を再現することはできない。ただ、様々な音域でのトリルを繰り返しながら音の定位を次々とかえていく様はスリリングで、しかも音自体がとても良い。作曲された85年という時代性も考えると、(当時)相当高性能なコンピューターを使用していたことが伺える。
このアルバムは名盤なので、機会があれば是非聞いてみるべき。

Stockhausen: Bass Clarinet & Piano



Stockhausen: Bass Clarinet & Piano

シュトゥックハウゼンのピアノとバスクラリネットのソロとデュオを集めたアルバム。所々にコンピューターによる音響処理も入っており、それがさりげなく良い。特に一曲目のピアノソロは断続的に続く和音の連打に、コンピューターの音響がまとわりついて来るその響きがとてもスタイリッシュ。6曲目以降に収録されているデュエット曲「TIERKREIS」は、彼の作曲作品の中では旋律がはっきりしていて取っ付き易い作品だ。冒頭などは「展覧会の絵」のようである。また途中でトイピアノなども使われている。トイピアノがはいるととたんにジョン・ケージっぽくなる。最後あたりで一瞬感動的なメロディをバスクラがグロウ気味に吹いたり、あるいはパーカッシヴなあの奏法(呼称がわかりません)をするあたりなどはデビッド・マレイとか、フリージャズ系の香りも。何にせよ、かなり聞き易い作品であるし、シュトゥックハウゼンの入門には向かないかもしれないが、しかしもしかしたら現代音楽の入門にはなるかも?まあ僕自身がまだ現代音楽に入門したとは言えませんけれども。

Tashi / メシアン:世の終わりのための四重奏曲



Tashi / メシアン:世の終わりのための四重奏曲

タッシの名盤。タッシはこの曲を演奏するために結成された現代音楽カルテットで、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノ、チェロという不規則な編成をとる。アルバムのライナーにあるメシアン自身の解説を読むと相当にキテレツであり、例えば「ピアノはブルー= オレンジの和音でカデンツを奏し、そのはるかかなたのカリヨンの響きでヴァイオリンとチェロの単旋聖歌ふうのレチタティーヴォを囲む。」といった具合。メシアンは相当に神秘主義的な作曲家であり、解説を読んでいるとかなりスピノザ的な感じを受ける。この曲ではクラリネットは中心という訳ではないが、第三楽章「鳥たちの深淵」などはクラリネットソロである。この楽章では様々な音高でのトリルが特徴的。メシアンは鳥の鳴き声を採譜することに執着したことで有名だが、昔から木管楽器(主にフルートが多いが)のトリルは鳥の鳴き声を表すことが多い。特にクラリネットという楽器は木の管に開いた穴を直接指で押さえるという非常に構造的にシンプルな部分があり(しかし両小指に割り当てられたキーは異常に多いのだが)、このような構造を持った木管楽器は今ではリコーダー類とピッコロくらいしか思いつかないが、そのクラリネットのトリルは木の穴を押さえ、離すというフィジカルな運動、木と指の接続/離散の過程がそのまま発音に結びついているため、その運動性を音色として楽しむことができる。クラリネットに於ける鳥の鳴き声の表現ということではエリック・ドルフィーが思い浮かぶが、どちらかというと彼の場合はやはりフルートの演奏の方がより小鳥のような飛翔感がある。本作ではそのようなトリルを含めたクラリネットの旋律が、鳥の歌声の旋律をなぞっていることが非常に良く現れているので、注意して聴いてみると面白いだろう。その他、クラリネットを中心にせずとも非常にすばらしい楽曲であり、チェロとピアノのデュオなど、優美で官能的とも言えるような美しい旋律を聴くことができる。

日記 2008/5/5

ターナー賞

・森美術館で「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」を見た。

まず、この連休で初めて人の集まるところに行った気がする。ああ、こういう感じ苦手だなーと思いました。チケットを買うまでに20分くらい待って。まあ、その後はすんなりでしたけど、入るまでの時点で別の日に来れば良かったなーと思ってしまった。

あと、展望台と美術館のチケットが抱き合わせになってるのね。ちょっと意味不明。しかも最初順路がわからなくて展望台一周しちゃった。最初の印象が(混雑で)悪かったため、別に風景見に来たんじゃない、と不機嫌になりました。どういう政治的な理由があるのかはわかりませんが、美術館が高層にある理由は、少なくとも森美術館に関しては無いですよね。外見えないし。あと明らかに現代美術に興味がなさそうな、作品を横目で見るだけで通過していく人とか結構いて、なんか残念な気持ちにもなりました。抱き合わせは良くないよ。

とはいえ、まあこれ全部最初の印象が悪かっただけで、たしかにもともと美術とかに興味ない人に、とりあえずでも作品に触れる場があること自体はいいですよね。

あ!ですます調になってる!

なんだかいつもと文体かわってきてますが、肝心の展示について。再三繰り返しているように、あんまり落ち着いた気持ちで見れなかったので、あまりぐっと来るものはなかったのですが、やはりデミアン・ハースト《母と子、分断されて》は作品としての強度を感じました。

デミアン・ハースト《母と子、分断されて》

ただ、これは以前モディリアーニ展を見たときも感じたのですけれども、やっぱり広告とか、事前に知っている作品は良く見えてしまうっていうのは避け難くあるよな、と。《母と子、分断されて》は雑誌で現代美術の特集とかあるとかなりの確率で乗っかってるということもある訳で、そいういう事前の知識なしで見てみたいです。こと現代美術はそうかな。

あとは今写真に興味があるのもあって、ヴォルフガング・ティルマンスの一連の作品も好きでした。

ヴォルフガング・ティルマンス《君を忘れたくない》

プリンターで印刷されたものや、フィルムに直接画像をのせるような操作をしたものなどが、さりげない感じで撮影されてあり、しかも作品は壁にテープで貼付けてあったりといった、ある種の気軽さを持って展示されていました。見る側に付加をかけすぎない、良い作品だと思う。

・展示会を出て、有楽町でやっているイタリア映画祭にむかう。フェリーニの「8 1/2」を見る予定だったが、しかし!なんと1時間くらい前についたにもかかわらず、既にチケットが完売していた。なにそれ、どういうこと?どこかで前売りとか予約とかしていたんでしょうか。全然知りませんでした。あー今サイト見たらあるねーありますねー。傷心のうちに帰宅。

Sunday, May 04, 2008

日記 2008/5/4

・amazonから注文していたものが届く。

- Paul Meyer / 20th Century Music For Unaccompanied Clarinet

20th Century Music For Unaccompanied Clarinet

偶然amazonで見つけた現代音楽のクラリネット独奏曲を集めたアルバム。プレーヤーのPaul Meyerの名前はそういえば聞いたことがあるような気もするが、多分気のせい。一聴しただけでコメントするほど聴き込んでないが、そもそも現代音楽に於けるクラリネットが好きで買ったので、とても気に入った。ジャズでは音量の関係でサックスに対して相当部の悪いクラリネットだが、現代音楽ではモダンかつ柔らかな音色が心地よい。例えばメシアンの「世界の終わりのための四重奏曲」(タッシの演奏が有名、というかこの曲のために結成されたユニットだが)のクラリネットもすばらしい。

- 松本大洋 / 竹光侍

松本大洋 / 竹光侍

「竹光侍」は本当に良い。独特の性急ではない、ゆっくりとした時間の表現、コマの中および間の空間の取り方。表情以外にやどる登場人物の個性。独特のパースペクティブによる空間表現、動物たちの会話が作る空気感。そして絶妙な擬音語(!)。松本大洋は本当に唯一無二の才能だと思う。

・文学フリマではできれば音楽作品のCD-Rも持参しようかと思っていて、録音&編集作業をした。しかし、作っているときはいいと思ったものも、編集していくうちにあんまりかな、と思ってしまうこと多数。途中から以前に録音したものの編集をしていたら、新しく録音してものよりも良い感じに。どうなるか。

日記 2008/5/3

 Tape & Minamo / Birds of a feather


・久しぶりに新宿のユニオンでCDを漁る。
- Police / Ghost In The Machine
- Police / Outlandos D'amour
- zamla mammaz manna / 初老の新来者の為に/親しみ易いメロディーの神秘(2枚組)
- zamla mammaz manna / 踊る鳥人間
- Tape & Minamo / Birds of a feather
- Christian Marclay / More Encores
- Ground-Zero / 融解GIG

いや、Policeとzamla mammaz mannaは2枚ずつ買ってしまった。Policeはいいよね。再結成のライブも衛星で見たけど、スティング凄い良かった。zamla mammaz mannaは今までそもそもCDを見たこと無かったので、初めて購入。ラーシュ・ホルマーは大熊亘のSolaでのみ聴いたことがあるけれども、それ以外では初めてなので楽しみ。

・その後下北沢で大学時代の友人と飲み会。久しぶりに会うので様々に盛り上がる。

・その友人の内一人は今中国で働いているのだが、お土産にBob Dylan, Lou Reed, Led ZeppelinのDVDをもらう。向こうでは100円程度で買えるそうだ。いやあ、物価が安いっていいですなあ。もちろん、あれな値段ですが。全て紙ジャケ。つうか、プラケース無しというか。

zamla mammaz manna / 初老の新来者の為に/親しみ易いメロディーの神秘(2枚組)

Friday, May 02, 2008

3月の思い出

3月に仕事の谷間があって、比較的長い休暇を取ったのだが、そのときに色々見たりしたものをまとめておく。

『アレコ』/『新作・世界初演』/『毛皮のヴィーナス』


『アレコ』/『新作・世界初演』/『毛皮のヴィーナス』

佐々木敦のブログで知った、ベルギーのダンスデュオ。音楽をクリスチャン・フェネスが担当していた。
非常にすばらしいダンスで、驚き、感動した。特に冒頭の『毛皮のヴィーナス』がすばらしかった。女性のソロ作品で、最初ダンサーは毛皮をかぶり、グロテスクな未知の生物のような動きをしている。両手がまるで砂の惑星に出て来る大ミミズのようであり、それぞれがお互いに噛み付きあう。そのような非・人間から、女性が、のたうちながら生まれて来る。しかもその女性は両の足を大きく開き、股間をまっすぐ客席の方に向ける形で生まれて来る。ここで、生まれて来る女性=産む女性というような生産の循環構造のようなものが示されていたように感じた。

また、最後のデュエット『アレコ』もすばらしかった。特に男性が女性を殺してしまってから、男性が女性に噛み付きながら(カニバリズム)踊るシーンは白眉で、ちょっと前のことなので記憶が相当に合間なのだが音楽はなっていなかったように思う。少なくとも僕の記憶の中ではそうで、その無音状態の中で二人のダンサー、愛すべき人を殺した男と、死んだ女が、舞台の上で絡み合う様に、しかし悲劇的に舞う様子には落涙しそうになるほどの強度があった。


知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展


知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展

東京都写真美術館で行われている「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展」。すばらしい。かなりの部分が白と黒に塗りつぶされる独特の印刷技術で、生と死を捕まえ、フィルムに定着させている。この展示については「アラザル」の原稿でも触れているので、そちらを参照いただきたい。展示は2008/5/6まで。

公式のサイトで、作品が閲覧可能。


シュルレアリスムと写真 痙攣する美




ジャコメッリ展と同時開催しているシュルレアリスム写真展。ジャコメッリがすばらしかっただけに、ちょっと印象が薄い。冒頭の夜の町の写真と、最後に展示されている昆虫や植物の超至近距離からの接写など、気に入った作品も多くあった。


ジャック・リベット監督「美しき諍い女」




ジャック・リベット特集、日仏学院にて。うーん、ちょっと難しいなぁ。映画は難しいです。面白かったですけど、ちょっとコメントできるほどわからなかった。という感じ。


ペドロ・コスタ監督「骨」他




ペドロ・コスタ特集、アテネ・フランセにて。陰鬱な世界をそのまま写し取り、その映像の美しさ、黒の存在感、録音された音に対する感性など、多くの優れた才能には恐れ入る。


ルノワール+ルノワール展




画家の方のルノワールを中心に見た。さすがに巨匠だけあってすばらしく、やはり言われているように光の表現が見事。映画監督のジャン・ルノワールについては、不勉強で映画を見たことが無い。ただ、広告にも使われている若い女性がブランコを漕ぐシーンは、きわめて短い映像のみが繰り返されていただけだが、その映像詩的な美しさは感動的だった。


モディリアーニ展




プリミティブ・アートに傾倒した時期(それ以前も)を含む、画家としてのモディリアーニを紹介し尽くすような展示で、充実していた。年代順に並べただけかもしれないが、モディリアーニの興味の在処と、プリミティブアートが実際に彼の後期(といっても30代だが)の作品でどのように機能しているかがわかって、構成も良かったと思う。背景や衣服などが描かれている箇所のテクスチャーの平坦さと、顔の陰影のバランスなどが気に入った。


アーティスト・ファイル 2008―現代の作家たち




好きな作家とそうでもない作家とがやはりいた。特に良かったのは、エリナ・ブロテルス、佐伯洋江、さわひらき。エリナ・ブロテルスについてはジャコメッリと同様「アラザル」で書いたので、ここでは割愛。このサイトで作品が見れる。佐伯洋江はシャープペンをつかった異常に細かい線で構成され、洗練された日本的な絵画を制作していた。さわひらきは6つの壁にプロジェクターで映像を投影するインスタレーションを展示。それぞれの映像はきわめて緩慢に変化していく。その変化の時間性がテーマとなっていたように思う。全体として非常に美しい作品だった。


以上、一度に書くと疲れる・・・

ループラインコンピューターミュージックフェスティバル

ループラインコンピューターミュージックフェスティバルに行ってきた。

loop-line computer music festival

Klaus Filip(lloopp)  石川高(笙) duo
noid(cello)  中村としまる(no-input mixing board) duo
杉本拓(metronomes) 宇波拓(lloopp, mortors) duo

再三宇波氏自身も言及していたが、コンピューターミュージックフィスティバルを銘打って、コンピューターは宇波拓とクラウス・フィリップの二人しかいない。noidと中村としまるのデュオでは全くコンピューター奏者無しという、なんだかなあな企画であった。

ただ、それぞれの演奏についてはさすがにすばらしい。以下、それぞれのデュオ演奏について。

杉本/宇波の両拓の演奏は、やはり時間をいかに区切り、再構成するのかが問題になっていたように思う。杉本拓のメトロノームっていうのは聴いたことが無く、いったい何をするかと思っていたが、電子メトロノームを複数持ち、テンポをずらして再生するなど、なんだかほとんどスティーヴ・ライヒのような演奏をしていた。宇波拓はコンピューターを使ってはいるものの、そのコンピューターはスピーカーには接続されておらず、オーディオのアウトプットがアンプを通して小型モーターに接続されており、そのモーターに取り付けられた六角レンチ(ってわかる?5センチくらいのL字型した工具のことです)が小刻みに振動し、そのレンチが机を叩いて乾いた音を立てるという、ほとんど気違いじみた演奏を行っていた。とはいえ、このようなおかしな演奏はONJOでも披露されているだけに、ONJOファン的にはむしろ驚きは少ないのかもしれない。カタカタカタカタ、ぴっぴっぴっぴっ。こう書くと楽しげではある。それを難しい顔をして演奏し、こちらも難しい顔をして聴いているのであるから、ちょっとブラックユーモア的であったかもしれない。

noidと中村としまるのデュオは、いわゆる音響的即興という文脈から見ると、一番的確にそれに当てはまるような演奏だった。ただ、一時のそれと比べると、中村の演奏などは相当に大きな音量も用いており、より演奏がダイナミックになっている。noidはこのライブで初めて演奏を聴いたが、チェロを様々な奏法(とは呼べないような奏法も含む)で操る、まさに音響的即興を行う音楽家だった。日本で言えば秋山徹次の演奏などに近いだろうか。といっても秋山氏の演奏には相当には幅があってどの演奏のことかわからないかもしれないが。中村氏の演奏はとても良かったと思う。ただnoidの演奏は、ちょっとギリギリ僕の理解の外にあったような気がする。悪い印象は全くない。しかし終演後にミュージシャンなどからnoidへ、「とても良かった」というような反応があったが、そこまで反応するほど、僕にはそのすばらしさが伝わらなかった。このわからなさっていったいなんなんだろう。特にこういうポピュラリティの無い音楽について、どの演奏が良くてどれは良くない、という線引きは本当に難しいと思う。

最後にクラウス・フィリップと石川高のデュオ。これはもう文句無くすばらしかった。そもそも僕は笙の音色および演奏が好きなので、そのバイアスが相当かかっている。しかしそれを差し引いてもすばらしい演奏だったのでは無いだろうか。上へ上へと昇っていくような、いや、上から降り注ぐようなといったほうが良いのか、笙の音色が形成する音響と、サインウェイヴを基調とするクラウスのコンピューターから発せられる、繊細にコントロールされた音量と音色の電子音響。それぞれが響きあい、相互浸透する中で、様々に変化するモアレと、それとは無関係に発展していくそれぞれのプレーヤーの演奏。いや、感嘆しました。
ところで、特に石川さんはクラウスの演奏に反応して演奏を展開しているように見えたが、終演後二人にそのことを訪ねると、全くそんなことはなく、お互いそれぞれで演奏してたとのこと。残念、聞き違い。
両氏の演奏を聴く機会はいままであまり持つことができていなかったが、これはできるだけ今後も生で見られるときは生で見たい。ただ、石川さんは日本にいらっしゃるはずなのでいいが、クラウスを生で見る機会は多くはないはずで、また来るときに見逃さないようにしたいもの。
そいういえばクラウスが以前(2006年なのかな)下北沢に来たときには見ており、そのときの中村としまるとのデュオもすばらしかった。
で、おそらくそのときに録音したと思われるCDと、Axel Dornerと中村としまるのデュオのCDを購入。これから聴きます。

vorhernachaluk

円城塔「烏有此譚」他



・群像2008年5月号で、円城塔「烏有此譚」を読む。
円城塔の作品は今回が読むのは初めてである。ポナイトでのトークショーで、相当変わった話であることは想像できていたが、予想以上。わかりやすいとは言えない話だが、しかし意外と読めてしまう。科学その他、本人もトークショーで言及していた通り相当に衒学的な文が続く。その荒唐無稽とも思える記述がもはや笑いを誘わずにはいない。

しかしトークショーを聴いた後だと、たしかに本作が「私小説」であるという主張も理解できぬというわけでもない気はする。

・早稲田文学復刊1号の蓮實重彦インタビュー「批評の断念/断念としての批評」を途中まで読む。
まあインタビューだから、という軽い気持ちで読み始めたら、なんのなんの、相当に充実した内容であり、しかも長い。文芸批評に於いて、批評家は「全体」というものに対してのある種の断念を持たざるを得ないし、その断念を持たないようなものは批評とは言えない、という話。今までのところ相当に刺激的であり、勉強になります。

・しかし早稲田文学はかなり面白い雑誌なのではないか。まだほんの一部しか読んでいないが。

Thursday, May 01, 2008

愛おしき隣人

愛おしき隣人

恵比寿ガーデンシネマにて、愛おしき隣人を鑑賞。

いわゆるシュールでブラックな笑いのある、エピソード集的な佳作。それぞれのエピソードはどこにでもあり得る日常的な出来事で、それらの出来事があくまで淡々と、しかしそのエピソード以外に何も起こらないために異様に強調されてスクリーンに登場する。多くの場合、エピソードの中心と、それを見つめる目があり、その見つめる目の冷静さがブラックなおかしみを生む。そんなに大騒ぎすることじゃないのにね、大変そうにしているけれど、それはみんな同じだよ。その冷静な判断と、身の悲劇を悲しむ主体。それがコケティッシュな音楽に乗って、リズミカルに行進、行進、行進。

映画自体はまとまっていて面白い佳作だったが、それまでに見ていた予告編が、すこしいいところを出しすぎているように思った。多くのエピソードについて、すでに予告編で先取りしてしまっていた。見てから公式サイトも覗いたが、さらに多くのエピソードがわかるようになっている。ちょっとこれはいただけないような気がする。これから見る人は、サイトの中のコンテンツは本編を見てからにするのをお薦めしますよ。

「アラザル」表紙

アラザル

アラザルの表紙を公開!!デザインは黒川直樹。彼はエクス・ポ3号に原稿出てます。

アラザルは僕も含め、紙面のデザインをたくさんの人でやっているのでかなりごった煮な感じになっています。ぜひ5/11、お手に取って、そしてお買い求め下さい!

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。佐々木敦インタビュー収録。5/11(日)文学フリマにて発売。税込み500円。

Wednesday, April 30, 2008

パラノイド・パーク



ガス・ヴァン・サント監督「パラノイド・パーク」を見た。

冒頭、パークを滑走するスケート・ボーダーを、おそらくインラインスケートの類いをはいたカメラマンが追いながら撮影した、長いショットが特に印象に残った。滑らかな起伏によって作り出される陰影が、様々な表情を作り出しているそのパークを、被写体と交錯しながらカメラが駆け抜ける。そこにイーサン・ローズ(詳しくは知らない)のポストロック的な音楽が合わさり、スケーターのたむろするその空間は、ドリーミーな光に包まれ、しかしある不安定さをもって描画されていた。

そういえば前編を通してかなり音/音楽の多い作品であった。イーサン・ローズの作品はもとより、エレクトロ・アコースティック系の作品や、あるいは紙に鉛筆で文字を書く音や、名刺を持ち上げるときに紙と机がこすれる音など、すこし過剰なまでに録音されており、個人的にはもう少し控えめでも良いような気がした。当然のことながら過剰は無いのとほとんど変わりがない。

主人公の少年は、常に自分の居場所を確定することができない。流動的で、偶然によって支配され、自分が行うこと、あるいは既に行ったことに対してコミットできない。スケートボードによっても、セックスによっても。それが最終的に、エクリチュールの形で定着させることによって、あるいはその言葉たちが、他者へと開かれることによって、彼自身が解放されることができるのか。解釈は開かれたまま残る。

日記 2008/4/29



・買いだめしていた文芸誌から、かいつまんでいくつか読む。

・早稲田文学復刊1号掲載の川上未映子「戦争花嫁」
例の芥川賞受賞作は読んでいないが、本作は相変わらず詩的で、いったい何のことだかわからない「戦争花嫁」について書かれている。その不思議な言葉そのものにつて、言葉のもつ強度や速度が語り、炸裂する散文。世界、そしてその存在を受け止める目、語られる言葉。その言葉を発語すること。その耐え難さ、厳しさを戦争花嫁は引き受け、烈火によって昇華させる。言葉を捕まえ、その言葉となる。川上の鮮やかな手つきが刻まれた佳作。

ところで、早稲田文学の雑誌デザインは面白く、「アラザル」のデザインの参考にさせてもらった。最終的には直接的な影響は出ていないけれども。

・新潮2008/5掲載の東浩紀「ファントム、クォンタム -序章-」
量子コンピュータなどを題材にしたSF作品の序章。先日のエクス・ポ ナイトでも話題に上がっていたが、「ゲーム的リアリズムの誕生」の実践として書かれた可能世界論的な作品。批判的な意見も聞いていたが、僕としてはとても面白く読んだ。まさに可能世界を行き来するSF作品であり、今後の展開が楽しみだ。ちなみに途中で文芸評論家「浅谷公人」というのが登場して笑った(もちろん浅田彰+柄谷行人だろう)。僕が気づいていないだけでこういうフェイクは多分他にもあるんだろうな。

Tuesday, April 29, 2008

改めて

ブログを再開してからの記事を読み返してみたが、どうにも面白くない。というか、僕が他のブログを読んで、つまらないと思うような内容になっている気がする。ちょっと自己分析できないのだが、どうしたものだろう。文体をやっぱりですます調にするか。そうしましょうか。

といって、ここでまたポストするのをやめてしまっては元の木阿弥。もう少しは続けていきたいものです。

とりあえず自分でわかっている嫌いなブログの特徴は、「こんな俺ってどう?」的なナルシシズムです。そのナルシシズムをストレートに出す人もいれば、俺もまだまだだな、という感じで「でもそんな俺って・・・」みたいな人もいる。そうはならないように気をつけたいですが、こればっかりは気をつければ出ないようなたぐいのものではないのですね。

「批評家養成ギブス」で佐々木敦氏もよく言ってたけど、自己を相対化できないやつはダメなのね。自己卑下するのではなく、クールに、ある程度の広がりを持って自分を評価したいものです。

というか、自分のことはそうだけど、それ以上に周りを見渡す力の方が必要ですよね。「ですよね」っていわれても、「俺は知らねーよ」って僕は思いますから、こういう書き方も嫌いのですよね。とにかく、うーん、次回からはもう少し文章を練るようにするか。いや、それも面倒なので、勢いはある状態で書いた方がいいか。

既にですます調も気持ち悪い気がしてきた。どうしよう。すでに口語調にもなってますしね。もっと自然な感じにできないものか。

I'm not there




・会社に行くも、同じチームで出社しているのは僕の他に一人だけだった。

・仕事が終わると、新宿で山下君に会い、頼んであった物品を受け取る。その後、トッド・ヘインズのI'm not thereを見に行くというので、ちゃっかりついていく。

I'm not thereは6人の主要な登場人物がそれぞれBob Dylan(を表象する人物)を演じるという、一風変わった演出の映画で、非常に面白かった。

まず、前半に黒人少年が登場するのだが、彼と旅の途中で出会った壮年の黒人男性二人とのセッション風景での歌が、ずいぶんと感動的であった。三人でギターを弾きながら歌を歌うシーンであり、スピーカーから流れて来る演奏は明らかに映像で移されているメンバーが演奏しているものでないことがわかってしまうのが(画面にはないベースの音もはいっている)若干気にはなるが、(たしかここで演奏された曲は僕が知らない曲だったと思うが、Bob Dylanの曲ではあったと思う)ブルーズ的な音楽の持つ黒人性と、カントリー/ブルーグラス的な疾走感がたまらなく良い。

その他、映画中で演奏されるのはほぼBob Dylanの曲であり、Bob Dylan自身の演奏もあれば、劇中歌として登場人物が演奏するものもあった。しかし全てきわめてクオリティの高いものであった。音楽を聴くためだけでも、この映画を見る価値はあろう。

映像についても相当の強度が備わっていた。専門的なことはわからないが、白黒や、古い機材を利用した感じのフィルムの諧調や分解能が悪くつぶれた感じの映像の、黒から伝わって来る深い闇の気配、あるいは各ショットが作る構図の美しさなどは、優れた映画の持つ特徴なのだろう。

事前に知ってもいたが、主人公の中で、ロックスターを演じるケイト・ブランシェットの成りきりぶりは凄い。ロックスターの才能と苦悩とを見事に演じていた。

また、映画の終わり方などにはニーチェ的な永劫回帰を感じたが、どうか。

・つまるところBob Dylanは偉大である。ということが痛感させられる映画。

・そもそも数を見ていないということもあるが、映画について何か書くというのはとても難しいね。情報量がありすぎるから、まあ書こうと思えば字数はかけるかもしれないが、なかなかまともなことを書けそうな気が今のところはしない。もう少しくらいは体系的に見たりするべきかもしれない。

Monday, April 28, 2008

アラザル校正

・印刷所からアラザルの印刷見本(白焼きっていうのかな)があがってきたので、昼過ぎからメンバーで校正作業。修正が必要なタイプミスなどもいくつかあったが、それ以上に写真などの品質が悪く、修整を依頼することに。大丈夫だろうか。

・続いて会計について会議。お金のことを他のメンバーがどう考えているかわからないので、どのように運用すべきか悩む。

・その後、とりあえずの制作打ち上げ。皆さんお疲れ様でした。講座も、その後の制作の過程も、非常に有意義なものとなりました。本を作るのって面白いね。これからもまた作る機会を作っていきたいと考えています。

・ですます調になってきましたが、いつもブログに書くときの文体をどうすべきなのかわからなくなります。

Sunday, April 27, 2008

ポナイト

エクス・ポ ナイト」に行ってきた。途中からの参加で、すべては見れなかったが、円城塔を中心にした座談会や、冨永昌敬と松江哲明の対談など、刺激的な話が聴けた。

しかし、ライブを見たFilFlaというバンドは、今回初めて聴いたのだが、あまり楽しむことができなかった。僕は別に彼らの演奏が悪かったとは思っていないし、例えば偶然テレビで見たとしたら、あるいは良かったと思ったかもしれない。その前提で、いくつか批判的なことを書いてみることにする。

僕には彼らの演奏が2000年頃のポストロックとか、あるいはスーパーカーみたいなバンドとの違いがよくわからなかった。そしてギタリストが操作していたラップトップから再生されるトラックは、どうにもギタリストが操作する必要性が感じられなかった。

というか、そもそも既に制作されているトラックと一緒にライブを行う場合、それが本当にライブである意味があるのかということに、ある程度以上は注意を払わなければ行けないと思うが、それが今回の演奏からは感じることができなかった。コンピュータと人が同時に演奏することによる、例えばリズムのズレや、菊地成孔的な意味での訛りなどが前景化されるような音楽ではなかったし、明らかなミステイクもあった。そして、曲間でラップトップを操作する間が、どうにもしまらない。明らかにただ再生しているだけであったので、それならミキサーをいじっている音響の人にオペレーションを任せるべきだった。

あと彼らの演奏に限ったことではないだろうが、バンド形態での演奏において、現在あまりにも4拍子というか、アフタービートの演奏が多過ぎではないか。実際現在が他の時代と比べて4拍子が多いかどうかはわからないが、変拍子を奨励するという意味では全くなく、単純にドラムが2拍4拍にスネアを鳴らす音楽ばかりで、ちょっとつまらない。途中すこし抜けていたので確実ではないが、彼らの演奏した曲の中ではおそらくすべてがそのようなリズム構造だったのではないか。そしてドラムの音色についても、どこで聴いても「良いドラムの音」の感覚が同じで、あのソリッドで中身の詰まったバスドラ、シャープなスネアとハイハット、といったほとんど記号化された音色はあまり刺激とは言えない。

最後に、これはラップトップを利用していたことが相当程度影響していると思うが、彼らの演奏は全て1曲ごとに終了してから次の曲に移っていた。まずこの構成自体にも異論はあるが、しかし今問題にしたいのは、その一度曲が終了したときに訪れる無音状態の、異常なまでの生々しさだ。それまでコンピュータの音色も含め、人工的な音響が周りを包んでいたにもかかわらず、最後まで引き延ばされていたギターの音色がボリュームを0にフェードアウトしたとき、そこに訪れる音楽の不在、その明らかに先ほどまでの音楽とは関係ないように思われる会場の雰囲気とかすかなP.A.の駆動音。その対比はどう考えても面白いものではなかったし、だからこそある程度続けて演奏したりMCを入れるなりするべきだったと思う。しかしあの強烈に襲いかかって来る音楽の不在の瞬間というのは、僕が何らかこれから音楽について考える上でのヒントになりそうな気はした。

Saturday, April 26, 2008

日記 2008/4/26

・長野の聖火リレーのニュースで、「オリンピックが政治的に扱われるのは残念」といったコメントが散見されたが、何をおっしゃいますやら。スポーツ、それも国際大会が政治的でないということはほとんど想定もできないのではないか。なにせ彼らは国旗を背負って、相手国を倒すのである。戦争が政治的でない、というのならまた話は別だろうが。スポーツについて、「国の威信をかけて」というフレーズなどは何の躊躇もなく使われている。

・というわけで、政治が苦手な僕は、オリンピックが好きではない。サッカーのワールドカップも同様。まあ、これは単純に僕が天の邪鬼であるということが大きいと思うが。

日記 2008/4/25

・会社の部署の新人歓迎会があった。配属は総勢8名。多い。しかも女性が4人いる。IT系で半分が女性って言うのは多いよな。とはいえ、うちの会社の女性率は他者と比べたらかなり少ないのではないか。

・歓迎会はTAPAという居酒屋で開催されたが、コース料理のほとんどが炭水化物で驚愕した。
サラダ→ライスボール→ビビンバ→パスタ→ピザ→うどん→パスタ2→ピザ2→フォー(順はうろ覚え)
食べ放題のメニューだったが、それ以上は注文させまいと言うメッセージだろう。

Friday, April 25, 2008

DIRECT CONTACT VOL.1

大谷能生&木村覚 プロデュース連続企画『DIRECT CONTACT VOL.1』の二日目に行った。神村恵によるダンス・パフォーマンスと、大蔵雅彦、杉本拓、宇波拓各人の作曲作品の演奏が行われたのだが、ダンスの文脈をまったく知らない僕には神村恵のダンスの面白みはわからなかった。スタイルがよいでも無し、テクニックがどうと言うわけでも無し、入場/退場を含めたパフォーマンス全体として、素人感が感じられてしまう。

作曲作品についてはそれぞれに面白かったが、特に3人の話者がそれぞれ、あるいは同時に台詞を話し出すという、ほとんど音楽と言えない杉本拓の作品はしかし、発話が重なったときのあまりの和声感に驚いた。というか杉本がこの和声感を求めてこのような作品を構想したかは極めて怪しい気もするが、そのいわば発話による対位法が重層化させる音響は、演奏会という場で響くと相当に音楽的であった。

杉本に比べると大蔵の作品は極めて従来の音楽に近く(といってもそれは西洋楽器を用いている、という単純な事実によるものに過ぎないが)、宇波の作品はより演劇的であった。ただどの作品も時間の、あるいは時間経過とイベント発生の構造化について、極めて意識的なコンポジションであったことはいえるだろう。

・ちなみに杉本の作品の演奏者=話者の一人は秋山徹次氏であった。秋山の演奏は個人的に久しぶりに見たのだが、しかし演奏というか。終演後、秋山本人が歌っているというCDを購入し、サインをもらう。

・会場でBRAINZの知人に会い、(僕は参加していない)木村BRAINZの生徒の方と知り合う。その中にCINRAの編集をしている方もいたが、アラザルの宣伝をしてもらえないだろうか?

Wednesday, April 23, 2008

日記 2008/04/23

・今までいわゆる日記的なポストをすることは避けようと思っていたが、そんなことをいっていると結局何も投稿しないし、何がしかの投稿を続けることには相当の意味があるだろうことは他の人のブログを眺めていても感じるので、できることなら日々駄文でも何でも書いていきたいと今は思う。しかし続く予感はなし。

・最近は前のポストで書いた批評誌「アラザル」の編集、デザインと一部原稿の直しをしていた。個人的にはスケジュール管理やらデザインの統一に関する意識合わせやらが不足していて、入稿前の作業負荷が異常に高くなってしまったことが残念。できれば次回の機会を作って、そこで反省を生かしたいところ。

・先日BSでジョン・レノンのライブ映像が放映されていた。カナダの69年のフェスで、他にもチャック・ベリーやボ・ディドリーが出演していたが、中でもボ・ディドリーは不勉強ながら初めて聞いて、そのリズムに感動した。あとこの頃の映像はフィルムで撮影されていて、その画面の質感やら何やらがまたすばらしかった。

・ジョン・レノンはこのフェスのための特別バンドでの参加だった。エリック・クラプトンの演奏にギターヒーローの片鱗を見る。コールド・ターキーの演奏が個人的には非常によかったが、しかしオノ・ヨーコの歌唱は、これまた不勉強で知らなかったがこんなにシャーマニックだったのか。中でもオノ・ヨーコが歌う「Don't worry, kyoko」は鬼気迫る。母親にこんな風に「キョーコ、キョーコォーーーーーー!!」などと叫ばれたら、否が応でも心配もしてしまう気がするが、どうか。

批評雑誌「アラザル」/文学フリマ

アラザル



この場では報告していませんでしたが、というか全然ポストしていませんでしたが、去年9月ごろから約半年、佐々木敦が主催する私塾「BRAINZ」で、塾長佐々木敦による批評家養成ギブスというものに参加していました。
音楽、映画、文芸その他、さまざまなジャンルを貫通する批評行為のあり方について、示唆に富む話が聞けて大変面白かったわけですが、その「批評家養成ギブス」卒業生一同でもって批評雑誌「アラザル」を自主制作する運びとなりました。すでに昨日入稿済みで、5/11に秋葉原の東京都中小企業振興公社で行われる文学フリマで販売します。
僕は「カウンター/ポイント」というタイトルで、音楽と写真について書いています。あと、特別企画としてかなり長い佐々木敦インタビューがあります。インタビュワーは僕です。他では話したことは無い、と本人が言う、他では読めない内容になってますので、ぜひ5/11は秋葉原に!!

批評雑誌「アラザル」はHEADZブースにて500円で販売予定。ページ数約190。

Tuesday, October 02, 2007

時間と空間は交換可能

計算においては時間と空間はしばしば交換可能です。
まつもとゆきひろ
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070921/282772/?P=2&ST=oss

Saturday, January 07, 2006

収穫2005/11/2-2006/1/6

[jazz]
Herbie Hancock Trio with Ron Carter + Tony Williams : '81 Sony, 1200円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/2
Bill Frisell with Dave Holland and Elvin Jones : '01 Nonsuch, 1000円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/2
Charlie Parker Story on Dial vol.1: '46-47 EMI, 1200円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/2
David Liebman / Different But The Same : '04 Hathut, 1000円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/2
高柳昌行 / Call in question : '70 P.S.F, 1400円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/3
Atomic / Feet Music : '01 Jazzland, 1200円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/3
Jan Garbarek / Salt : '71 ECM, 1800円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/3
梅津和時 Kiki Band / KIKI : '01 ewe, 1200円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/3
Introducing Kenny Barrell : '56 Blue Note, 1000円 吉祥寺DiskUnion Jazz館2F 11/19
Bozo / Duende : '05 ewe, 2300円 bunkamuraシアターコクーン(Live) 11/22
David Murray / Flowers For Albert: '76 Bomba 1800円 円盤 11/29
大友良英(ONJO) / Out To Lunch : '05 Doubt Music 2500円 Duo Music exchange(Live) 12/10
Nina Simon and Piano! : '68 RCA, 1000円 新宿DiskUnion Jazz館2F 12/11
Bill Evans Trio / Sunday at the Village Vanguard : '61 Riverside, 1200円 新宿DiskUnion Jazz館2F 12/11
John Coltrane / Blue Train : '61 Blue Note, 1200円 新宿DiskUnion Jazz館2F 12/18
菊地成孔 / Chansons Extraites De Degustation A Jazz : '04 ewe 1300円 TOPS 12/27
Lee Konits / Subconscious-Lee : '49-50 Prestige 1100円 TOPS 12/27
Jackie McLean / 4, 5, and 6 : '56 Prestige 1100円 TOPS 12/27
Cannonball Adderley / Things are Getting Better : '58 Riverside 1100円 TOPS 12/27
Lee Konitz / Alone Together : 97 Blue Note, 1400円 渋谷DiskUnion Jazz館 1/2
Lee Konitz & Miles Davis, Teddy Charles & Jimmy Raney / Ezz-Thetic : 52 Prestige, 1500円 Amazon 1/6

[avant]
Mats Gustafsson / Catapult : '05 doubt music, 2200円 @Tower.jp 11/7
Bang On Can / Renegade Heaven : '02 Cantaloupe Music 2500円 Nadiff 11/22
Christian Marclay, 大友良英 / Moving Parts : '00 Asphodel 1000円 円盤 11/29
Derek Bailey Han Bennik: '72 Corti 1200円 円盤 11/29
Otomo - Rowe - Sugimoto / Ajar : 不明 1000円 Duo Music exchange(Live) 12/10
Off Site Composed Music Series In 2001 : '01 a bruit secret 1000円 Duo Music exchange(Live) 12/10
虎度門 (Sound Track?) : '96 Kim Workshop 1000円 Duo Music exchange(Live) 12/10
AMPLIFY02 | balance : '03 erstwhile 1000円 Duo Music exchange(Live) 12/10
Kaffe Matthews, Andrea Neumann, Sachiko M : '02 Improvised Music from Japan 1000円 Duo Music exchange(Live) 12/10
High Tones For The Winter Fashion : '02 Textilerecords 1000円 Duo Music exchange(Live) 12/10
Keith Rowe, Oren Ambarchi, Sachiko M, Otomo Yoshihide, Robbie Avenaim / Thumb : '01 Grob 1000円 Duo Music exchange(Live) 12/10
Yankees : '93 Jimco 1300円 TOPS 12/27


[rock/pop]
Date Course Pentagon Royal Garden / Musical From Chaos : '03 Blues Interactions, 1800円 新宿DiskUnion Jazz館2F 11/3
Fat Freddy's Drop / Based On A True Story : '05 kartel, 2290円 @Tower.jp 11/7
大友良英producesさがゆきsings See you in a dream : '05 F.M.N Sound Factory 4500円 新宿Pit Inn(Live) 11/9
Fat Freddy's Drop / Live at the Matterhorn: '01 Inertia, 2930円 @Amazon 11/13
Rickie Lee Jones : '79 Warner, 500円 DiskUnion 吉祥寺店2F 11/19
Bob Dylan / The Freewheelin' : '63 Columbia, 800円 DiskUnion 吉祥寺店2F 11/19
Derek and the Dominos / Layla : '70 PolyGram, 800円 DiskUnion 吉祥寺店2F 11/19
浜田真理子 / Romance : '05 美音堂, 3500円 bunkamuraシアターコクーン(Live) 11/22
Sergio Mendes & Brasil '66 / '87Greatest Hits : A&M 700円 円盤 11/29
少年ナイフ / Strawberry Sound: '00 Universal 800円 円盤 11/29

[Black]
The Complete Early Recordings of Skip Jones : '94 Yazoo, 1200円 DiskUnion 吉祥寺店2F 11/19
Fela Kuti / Na Poi / Zombie : ('98) Victor, 1600円 DiskUnion 吉祥寺店2F 11/19
James Brown / Please Please Please : '59 Polydor, 1000円 新宿DiskUnion Soul/Blues館12/11
Curtis Mayfield / Super Fly : '72 Victor, 1200円 新宿DiskUnion Soul/Blues館 12/11

またまたたまってしまいました。
今買ったものを見返してみると、Fat Freddy's Dropというニュージーランドのレゲエ/ダブバンドは気に入りました。これは世界の車窓からで流れていたのを気に入って通販で購入。
あとはLiveで買ったのも多い。大友良英のLiveに何度かいって、特にONJOのLiveの時は1000円コーナーがあったのでたくさん買ってしまいました。もちろんLive自体もすばらしかったです。
それと今はクールな感じの頃(初期)のリーコニッツ、およびレニートリスターノ(とその門下生)がお気に入り。

Friday, January 06, 2006

バーチャルリアリティ

 最近、実写ベースで3DCDばりばりの映画を見た。まあキングコングだ。以前に比べると格段にフォトリアルな表現は向上しているし、コングの表情の作り方など、相当のものだ。(僕が学生時代所属していた研究室ではCGで表情の合成などの研究も行っていた。)しかし、やはり実写とは違うし、違和感、はつきまとう。映画の冒頭、動物のアップの画面から風景の画面に変わったとたん、CG独特の空気が広がる。
 とはいえ、「どこからどこまで実写で、どこからCGなのか」ということは実はわかりにくい。これはCGの技術が進歩していることもあろうが、むしろ演技を含め、実写の方をCGにあわせていくような作りになってきていることの現れなのではないだろうか。表情の作り方、衣装、化粧、そしてカメラワーク。CGで合成した世界こそがリアルなのであり、彼らの眼前に広がる青いシートは仮想の世界なのだ。
 ロボット工学では、ロボットをあるものに似せていくとリアリティを増していくが、一定量以上似すぎると急にリアリティを失う、という。これを「不気味の谷」というらしいが、このままCGが普及し続けた場合、映画において不気味の谷はむしろ実写の側に訪れるのではないか。特にこれからCGを使わない映画をほとんど見たことがない子供も出てくるだろう(特にアメリカ)。彼らにとってのリアルはCGの世界となり、実写の風景はどこかよそよそしいものに感じられてしまうかもしれない。
 悲しいかな現状ですでにその兆候が現れてしまっているように、バーチャルな世界への過度の没入は、痛みの欠如、関係性の欠如、感覚の欠如へとつながりかねない。掲示板で罵られても傷つかない。傷つけることを厭わない。嫌われたところで関係がない。痛みのないところにリアリティはないし、感覚のないところに文化はない。CGを感覚を麻痺させるために活用することはやめるべきだ。

King Kong