Saturday, June 28, 2008

読書

・平田オリザ『演劇入門』読了。氏がこれまでに行ってきた演劇ワークショップなどで培われた、あるいは再認識された演劇感について、極めて平易な文体で記述された、戯曲を書くための入門書。かなり具体的な記述で戯曲の書き方が書かれていて驚いた。また現代演劇に於ける、あるいは現代の諸芸術全体に於けるリアリズムのあり方についても触れられており、たとえば文中にあらわれる「伝えたいことは何も無い。でも表現したいことは山ほどあるのだ。」といった主張など、この本が書かれた90年代の空気も多分に反映されていると感じる。

平田オリザ『演劇入門』

・島田虎之介『トロイメライ』を読んだ。面白い!前の『ラストワルツ』も面白かったが、本作はより大作感がでている。ちょっともう一回は読まないと感想を言えないけれども、なんというかレトロな感じの画風の陰で、極めて緻密に各コマの構図を作り込んであることがわかる。『トロイメライ』も『ラストワルツ』も書店で偶然見つけたのだが、今調べたら『東京命日』という作品も出ているらしい。読まねば。

島田虎之介『トロイメライ』

・今はボルヘス『伝奇集』を読んでいる。

ボルヘス『伝奇集』

Wednesday, June 25, 2008

アルゴリズム図書館

InterCommunication No.65に掲載されている山本貴光「コミュニケーションの思想 - バベルの塔からバベルの図書館へ」を読んだ。このなかで著者は、発展したインターネットがバベルの図書館へと変貌する可能性に触れている。

バベルの図書館とは、(とりあえず全ての言語がアルファベットで記述されていると仮定し、)あらゆるアルファベットの組み合わせを用意した図書館があれば、これまでにあった著作はもとよりこれから書き起こされるであろう書物や、明日の競馬の結果などの記述もすべてその図書館から見つけ出すことができるというボルヘスの空想小説のことだ。そしてそのアルファベットというのをビット配列に読み替えればコンピューター上でバベルの図書館を再現することは理想的には可能であり、それが可能と成ったときにはその情報の洪水の中から如何にして有用な情報をマイニングするかが今後のコミュニケーション理論を考える上で重要と成るだろう、という論旨であった。

山本氏はインターネット上にバベルの図書館を用意することは、その記憶領域の確保の問題であると考えているようである。しかし任意のビット配列を取得するのであれば、じつは別段記憶領域等は必要ない。たとえば1という数字を記述した文書を必要とするときには、1桁のビット配列で、0から始めて2番目に得られる値を要求すれば良い。任意の長さの任意の文字列ということであれば、それこそその文字列の長さの分だけ、ランダムなビットパターンを返すよう要求すれば良く、またその要求に応えるプログラムなど(基本的には)数分もあれば作成可能だ。それぞれのデータに対して一意性が必要なのであれば、データの桁数と、先頭からの番号さえあたえれば全てのビット列を特定することも可能である。ただし、この場合取得可能なデータと要求するデータは全く同じ情報を持つことに注意が必要である。つまり「本日は晴天なり」という文書を要求するために、「「本日は晴天なり」という文書を送信せよ」と問い合わせなければならなくなる。これは彫刻は既に石の中にあり、あとはそれを取り出すだけでよ意図する主張と何ら変わるところは無く、このような主張はこれまでにいくらでも考えられてきたことだろう。もちろん山本氏はそのことを百も承知で、その冗長な情報の洪水の中から意味のある情報を体系づける仕組みを考えることが可能かもしれないと考えているのかもわからない。しかし繰り返すが、そのようなことはホワイトノイズの中からモーツァルトの音楽を取り出すことができると言っていることと同じで、ほとんど意味がない。

電子計算機という、アルゴリズムによって駆動し、データを出力することが可能な機械は、このように意味と無意味を際限なく作り出すことができる。結局その意味を作り出す論理の構造を改めて問い直す作業は現時点で可能であるかもしれないが、その作業が不毛であるであろうことだけはゲーデルによって証明されてしまっている。そういったことを先延ばしにしつつ、無意味を無意味のまま、意味に回収されない形で戯れさせること。あるいはそのような試みこそが現代において求められているのかもしれず、いくつかの心当たりは諸兄の中にもあろう。

Tuesday, June 24, 2008

アラザル続報

アラザル』の書店販売が始まっています。

これに伴って制作した帯に、『M/D』『東京大学のアルバート・アイラー』『官能と憂鬱を教えた学校』など、菊地成孔との多くの音楽書の共著で知られる大谷能生氏に推薦文を頂きました。ありがとうございます。

STADIO VOICE 2008/7号『本は消えない!new printed matter』の文学フリマ特集で取り上げていただきました。
また以下のサイトでも取り上げていただきました。
CINRA.NET
STADIOVOICE ONLINE
ありがとうございます。

現在、『アラザル』は以下の書店/オンラインショップで購入できます。
・ABC本店
・ABC六本木店
・タワーレコード新宿店
・タワーレコード渋谷店
・紀伊国屋書店 新宿本店
・ジュンク堂 新宿店
タコシェ
・円盤
・高円寺文庫センター
・百年(吉祥寺)
・汎芽舎(神戸)
・シネ・ヌーヴォ(大阪)
Headz

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。税込み500円。

日記 2008/6/24

・最近個人的に忙しかったが、だんだん仕事の方も忙しくなってきた。

・フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は読了。人間存在とは何かをめぐる、ある意味とても古典的な小説。面白かった。続いて滞っていたケージの『小鳥たちのために』の続きを読むが、何章かすすんだところでまた脱線。『ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編』を読む。

ひぐらしのなく頃に

ライトノベルを読むのは初めてだったが、なるほどこれは相当にキャラクター中心で神話的な世界であるなあ。特定の視点を境に世界が正反対に反転してしまう様子を、そいういえば上巻と下巻での鮮明なトーンの違いがあるように、物語構造的にも作り出していた。

今は円城塔『オブ・ザ・ベースボール』を読んでいる。中編「オブ・ザ・ベースボール」は読了し、これまた面白かった。円城は常に作品世界で起こった事実のみの積み重ねから、しかしあれだけ笑わせる文体を紡ぎ出すのだから、なんともたまらん。といってもまだ読むのは2作目だが。

オブ・ザ・ベースボール

Sunday, June 22, 2008

日記 2008/6/22

・いろいろ雑用が多くて更新が滞っている。今日はようやく無線LANを買ってきて、家の中のネットワークの設定。なんだかんだ言ってネットワークにつながる機器はたくさん持っているので、つなげて確認するだけでもちょっと面倒な作業。せめてコンピューター関連の仕事をしていたおかげで、作業自体は普通に終わる。まあ難しいことは何もしていないが。

・今日はICCで坂本龍一+高谷史郎《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》の特別上映を見る。以前ICCで行われた同盟のインスタレーションがDVDされ、それを上映する企画。さすがのクオリティですばらしかったが、アブストラクトな映像と音響が続くだけに途中からものすごい眠気が(笑)。いや、しかし本当にすばらしい作品だと思う。

・上映が終わるとすぐにICCを出て銀座のApple Storeに行き、Max5大作戦に参加(聴衆として)。プレゼンテーションは無難に良かったが、ライブパフォーマンスはあまりこれというものが無かった。

・ちなみにICCではInterCommunicationの0号3号4号を購入。たしかにこの頃の執筆陣はもの凄い。いつ頃ちゃんと読めるかわからないが・・・

InterCommunication vol.0

Monday, June 16, 2008

結婚しました

bouquet
私、杉森大輔はこの度結婚致しました。
結婚式にご参列頂いた皆様、ありがとうございました。
おかげさまで好天にも恵まれ、清々しい結婚式とすることができました。

これからは妻、智子と共に皆様のお役に立てるよう、切磋琢磨して参ります。
今後とも我々夫妻にご贔屓賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

Wednesday, June 11, 2008

アラザル, coming back soon!!

アラザル

ついに『アラザル』の店頭販売を開始します。

2008年春の文学フリマにて好評頂きました『アラザル』ですが、店頭での販売を開始することになりました。現状、以下の店舗で取り扱っていただける予定です。

Headzオンラインストア
・新宿タワーレコード
・渋谷タワーレコード
・ABC本店
・ABC六本木店
・紀伊国屋書店 新宿本店
・ジュンク堂 新宿店
・タコシェ
・円盤
・高円寺文庫センター
・汎芽舎(神戸)
・シネ・ヌーヴォ(大阪)

引き続き『アラザル』を宜しくお願い致します。


アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。税込み500円。

日記 2008/6/11

SuperCollider

・マイケル・ナイマン『実験音楽』読了。各時代ごとの実験音楽の成果についての評価を集めた、資料として価値のある本だった。良くも悪くも、ナイマンの思想や作品に対しての批評的立場を明らかにするためのものではなかったと思う。ただ、どのような「実験」が当時の音楽の先端で起こっていたかを知る貴重なドキュメントである。

・非常に安易な影響の受け方だが、その『実験音楽』を読んで、ちょっとアイディアが浮かんだのでコンピューター用の音楽作品を作っている。作っているといっても、作曲=コンセプトみたいなものなので、すでに作曲は終わっているが、プログラムを書いている途中なので音はまだ無い。名前もまだ無い。ちなみに音を鳴らす部分はSuperCollider、コントロールする部分はRubyで書く予定。

SuperColliderはイマイチこれまで使えるようにならなかったのだが、今回調べながら書いてみて、少しだけ前進した。鳴っている音を滑らかに変化=コントロールする、という普通のことなのだが、今までは単純にやり方がわからなかったため、別にMax/MSPでいいじゃん。ということになっていたのだ。今回は同時に相当たくさんの正弦波を扱う予定なので、そういうのはMaxではできないためSuperColliderに。あとは「滑らかに」っていうコントロールのクオリティはMaxだとイマイチだが、SuperColliderは相当良い。

・ちなみに、名前がついていないと書いたが、こういうプログラムとかって大元の名前が決まっていないといろいろ不便だ。プログラム名やフォルダ名なんかが決められない。後から変えるといろいろ修正しなくてはいけない。一括置換するのは怖いし。JavaだとEclipseのリファクタリングで一発なんだが。

・なんだか急にコンピューターの話が多くなってしまった。若干不本意である。

・今は高校生のときくらいから本棚にあった(気がする)フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいる。

フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

Thursday, June 05, 2008

日記 2008/6/5

・披露宴用の選曲をするために実家までCDを取りに帰る。実際に使えるかはあまり考えず、まあきれいな感じの、女性ヴォーカルなんかいいのかな?とか、あ、サティも持って帰ろう、などかいつまんで選び、30〜50枚くらいキャリーで持って帰る。

・その前にせっかく寄ったからということで、高田馬場の小さい方のBookOffで文庫を中心に江藤淳やヴォネガット等を数冊購入。

・キャリーでも重い。

・しかし引っ越し以来、普段使っていた眼鏡が行方不明。一応もう一つ主に家でかけていたスペアがあるので何とかなっているが、なかったらまあ引っ越し自体ができなかっただろう。そういう意味ではこのスペアがあったために普段使いの方をロストしたとも言える訳だ。あとmac用の電源アダプタも紛失中。現在、会社のアダプタを持ち歩いている。偶然、iPhoneの調査用に仕事用macを調達したところだったので助かる。

・しかし本当にこういうくだらない日記的なものは別に書かなくても良いのでは?という気もする。どうなんだろう。まあ書くことでなにがしかのアイディアの種みたいなものを残しておくことはできるかもしれないが、菊地成孔が(日記で)書いていたが、こうやって自分の書いた物を公開してそれに対してリアクションを求めるような態度は、如実にナルシシックな態度であるのは確かだろう。それでもとりあえず続けておかないと、ちょっとした思いつきを書こうという気にすらならなくなりがちだから、かけるうちはやっぱり続けようか。というかそもそもブログはそういうメディアである訳よね。

Wednesday, June 04, 2008

日記 2008/6/4

・今日は仕事で午前中は横須賀の方まで。遠い。

・しかしその分本を読む時間ができるのはありがたい副作用。引き続きナイマンの『実験音楽』を読む。

第一章では実験音楽での記譜法について、実験音楽家たちがいかなる方法でそれまでの確定的な音の記述を避け、音楽を生成するルールの制作、つまりメタ音楽記述を行っていたかを詳述してあった。古典的な西洋音楽においては、楽譜に記されるのは発音される音(音程、持続、強度)を直接指定するものであるが、実験音楽の楽譜ではそれらの音を発音するためのゲーム的なルールが記述され、演奏家はそのルールに沿って演奏=playすることが求められる。しかしこの位相のずれは、例えばメディアの内容はメッセージであるが、メッセージとはまた別のメッセージのためのメディアであるという有名なマクルーハンの命題と符合する。結局作曲とは何であるか、あるいは音楽とは何であるかという命題が包含するべき領域というのは、それぞれの文化的コンテキストによって様々に変容するものだし、カルチュラル・スタディーズが問題にしてきたのもそのような文化の諸位相の多様性だろう。

・帰りにいくつかの書店を廻ってInterCommunication 65、新潮6月号、ユリイカ6月号『マンガ批評の新展開』、東浩紀×桜坂洋『キャラクターズ』を購入。

・しかし知ってはいたが、InterCommunicationは今号で休刊との事。僕は例えば現代思想などへの興味は、メディア論的な言説をInterCommunication経由で読み出してから持ったといえるし、だから批評に興味を持つことになったり、実際に批評的な何かを書くということについて間接的でも最も大きな影響を受けた雑誌は、僕にとってはInterCommunicationだといってよい。どうやらこの雑誌が最も重要性を持っていたのは90年代であったようで、僕が読み始めたのはつい最近(とはいえないか)の2004年からだから、その最もアクチュアルであったろう時期のInterCommunicationの需要のされ方はあまり伺うことができない。しかしバックナンバーをわざわざ購入して読もうと思うのも、扱う内容がアクチュアルであるが故、その陳腐化というか、そのままに受け取ることができない部分があっても、やはり何がしかの雑誌がもつ意志がこめられていたからだろう。休刊は非常に残念な知らせである。

InterCommunication 65

Tuesday, June 03, 2008

日記 2008/6/3

マイケル・ナイマン『実験音楽』

・スチュアート・ホールの本を読了したので、佐々木敦の第二期BRAINZで薦められていたマイケル・ナイマン『実験音楽ーケージとその後』を読み始める。本当に読みはじめで冒頭しかまだ目を通していないが、様々な実験音楽の楽譜などを例示しながらの説明は非常にわかり易そうだ。

・できれば第二期BRAINZ『4分33秒を/から考える』をふまえて、一度4分33秒についてまとめてみたい。

・今仕事でiPhone用のアプリ開発の調査をしている。アプリの開発はおそらく多くの人が想像している通り、プログラミングによって行うのだが、開発するアプリの種類によって使う言語が様々ある。有名なのはUNIXなどのOSを記述しているC言語や、最近多くのWebアプリケーションの開発に使われているJava、あるいはブラウザ上で動作するJavaScriptなどだろう。iPhoneではObjective-Cという言語が使われていて、今日はそれにLuaというスクリプト言語をのせることはできないか調査していたのだが、ともかくもいろいろな言語を知るにつれてそれぞれの言語ごとの思想がわかるようになってきて面白い。で、まさにプログラミング言語の扱う論理を記述する性質と、記述不可能な地点にあるそのプログラムを実行するエンジンの関係、じゃあそのエンジンは何で書かれているの?というちょっとトートロージーめいた議論、この辺りについて書かれているのがSelf-Reference ENGINEの一部で、やりたいことが多すぎるきらいもあるが、この辺りもう少しまとめて考えてみたいです。

Sunday, June 01, 2008

日記 2008/5/31, 2008/6/1

・実家に帰る。ついでに高田馬場のBookOffに寄る。早稲田口方面じゃないほうの、おっきい方の。で、ここまだ知らない人は行くといいですよ。なんか普通のBookOffとは経営形態が違うらしく、品揃えが異様に充実してます。例えば昨日みた範囲では、ドゥルーズ『反復と差異』、『アンチ・オイディプス』、『記号と事件』、ベケット『マウロンは死ぬ』がありました。『マウロンは死ぬ』はこのまえわざわざ北海道の古書店から取り寄せたところだったのに、その店の半額で売っていた!しかも、文学ではなく演劇のコーナーという、わっているのかいないのかよくわからない(いや、わかってなくて演劇コーナーっていうのもあり得ないとは思うが)売り方をしていた。で、昨日はカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』、アルチュセール/ランシエール他『資本論を読む〈上〉』他、ほぼ初挑戦の西尾維新と那須きのこのライトノベルなどを購入。

・そういえば引っ越し直前に目白のBookOff(こちらは異様に店員の接客がうざったく、なるべくなら入りたくない感じがあるのだが)では単行本半額セールという、他の店舗でもやっているのかよくわからない、あからさまな在庫処分セールを行っていて、おもわず荷物になるにもかかわらず10冊ほど購入してしまった。そこではウンベルト・エーコ『薔薇の名前<上>』、舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』、諏訪哲史『アサッテの人』などを購入。

・実家では残してあるCDの中から、高校生の(ハードロック小僧だった)ときに愛聴していたInner Galactic Fusion Experience with Richie Kotzenを聴く。
Inner Galactic Fusion Experienc eWith Richie Kotzen
Richie Kotzenは日本的には1999にMr.Bigに加入したことで知名度を上げたらしい。Mr.Bigでの演奏は聴いたことが無いが、テクニカルでエモーショナルという、言葉にするととっても日本人好みのギタリストで、彼個人の資質としてはファンクなどの黒人音楽がベースにあるというのが、他のテクニカル系ギタリストとの大きな違いだった。このアルバムではいわゆるプログレ経由のフュージョンを展開している。当時僕はこういうのがジャズだと半分くらいは本気で思っていて、即興演奏が好きだったこともありよし、大学に入ったらジャズ研に入ろう、とこのアルバムを聴いて思った、とまでは言わないが、相当にギタープレイの高度さとテンションに引き込まれたものだった。おそらく大学でハードバップ等を演奏しているときにこれを聞き返しても何も感じるところは無かったかもしれないが、今回このアルバムの最後に入っているアコースティックのバラード(ハードロックのミュージシャンはアンプラグドという形態でバラードを演奏するのが非常に好きなのである。要するに演歌だ。)を聴こうと思ってその他も聞いてみると、やっぱりなかなかにかっこ良い。パンク以外は許せん。という人には薦められないが、これはこれである種の様式美だ。しかしこれをフュージョンと呼ばせてしまうところに、「フュージョン」という言葉のいい加減さというか、寛容さというか、そういったものがあって、これはクロスオーバーという言葉との違いがあるのか無いのかも良くわからないのだが、この辺り少しまじめに考えてみようかとも考えている。何を持ってフュージョンなのか?8ビート/16ビートか?電気楽器か?ジャズロックとは?などなど。具体名を出すと、Mils Davis, Return to Forever, Jeff Beck, King Crimson, Area, Herbie Hancock, Maceo Parker, Donald Byrd, Kenny G, David Sanborn, Jamiroquaiあたりか。

・今日は実家に帰ったついでに髪を切ってもらう。まあ、前よりはすっきりしたか。

・帰ってきていい加減一部屋に押し込めて放置していた段ボールの類いから荷物をなるたけ整理。ようやくこの部屋が物置でないことがかろうじてわかるようにはなったかまだなっていないのか。