Friday, May 30, 2008

Self-Reference TEXT


スチュアート・ホール


今は青土社現代思想ガイドブックシリーズの「スチュアート・ホール」を読んでいる。スチュアート・ホールはカルチュラル・スタディーズの創始者の一人に数えられるイギリスのいわゆるニューレフトの知識人だ。このシリーズでは他にジャック・デリダの解説書を読んだことがあるのだが、その本は非常に面白かった。ただデリダの思想について解説を加えるだけではない、デリダ的エクリチュールの実践としてのテクストが展開されていて、非常に本として読み応えがある刺激的なものだった。これまでのところ「スチュアート・ホール」についての本書がデリダ本ほどのインパクトを持っているようには感じられないが、ふと、ある人の解説本を読むということは、一体どういうことなのかが気になった。

そもそもデリダならデリダの思想について知ろうというとき、解説本を読むくらいなら原典を当たれという至極真っ当な意見を見聞きすることがある。当然それはそうなのだろうが、やはり難解な思想家なり何なりについてまずとっかかりでも掴んでみたいというのも無理からぬことだろう。しかし、なぜ原典より解説本のほうが解り易いのか。解説本はあくまで解説を施している対象の著者なり著述なりについて二次的に記述=翻訳されたものであるはずで、であるとすればもっとも理解に易いのは原典の方であるはずだろう。もちろん言葉遣いのような技術的なレベルで分かりやすさを上げることも可能だろうが、しかしそれ以前に原典はそれ自身が自己の内容についての説明を行っている訳ではないという、自明な事実にその非容易性の多くを負っているはずだ。我々が著述を行うとき、どんな記述であっても(それは思想や文学といった人文系の書物に限らず、科学技術のプログラムや音楽の譜面についても同様だろう)、その記述=エクリチュールはそれ自身について記述することはできない。今まさに生成されつつあるこの文章についての解説は、別のテクストにゆだねるほか無い。この自己への限りない到達不可能性によって、こと思想というその自己正当性を保証することを求められる形式のテクストは、その読解を他者へとゆだねざるを得ないのではないか。そしてその読解の多様性をこそ現代の思想は考えてきたはずである。

この自己への言及/到達不可能性については、円城塔『Self-Reference ENGINE』で改めて考えさせられた。この作品、読了したが、本当に刺激的で、そのうち少しはまとめてコメントしてみたいところだ。

ジャック・デリダ

Wednesday, May 28, 2008

日記 2008/5/28

・amazonから円城塔「オブ・ザ・ベースボール」とサミュエル・ベケット「名づけえぬもの」が会社に届く。今までは実家暮らしだったので、平日に家に届いても問題なかったのだが、今は平日昼間の家には誰もいないので初めて会社宛に届けさせてみた。

・ベケットは「モロイ」を買ったときには普通に手に入ったのが、実は今はなかなか手に入りにくい、という話を文学フリマの前のアラザルの飲み会で聞いて、じゃあ手に入るものは買っておこうかという貧乏根性丸出しでアマゾンを検索、3部作のうちとりあえず「名づけえぬもの」だけは購入できるらしい、ということで注文したのだが、先日「注文した商品は入荷できませんでした」という旨のメールが届くも、再度amazonを検索すると「3点の在庫」というような表示で未だ発売中とのこと、それではとこちらも再度注文してみると何のことは無い翌日に会社に届けられた。これは一体全体どういうことだったのか。前注文したのは古いハードカバーの版で、今回注文したものは新しいソフトカバーの版、ということだろうか。しかし「入手できない」といっていてこのような状態だと信頼感は減らざるを得ない。普通の書店ではあり得ないだろう。

・とはいえ、すでに別の古本店で入手済みの「マウロンは死ぬ」も含め、積読本はいやというほどあるので、特に「名づけえぬもの」まで順番が回って来るのは結構先になりそうな予感。

Tuesday, May 27, 2008

日記 2008/5/27

・かなり更新が止まっていましたが、文フリで力つきた、という訳では決して無く、既にして更新作業に飽きた、というわけでもとりあえずは無く、実は先日引っ越しを致しまして、その準備で相当に忙しかったのと、引っ越しがすんでからは家でネットに接続することができないという、現代人にとっては極めてクリティカルで物理的な限界(とはいうものの会社では使えるので、日常生活には不自由しなかったのだが)により、更新しようにもできない日々が続いていた訳です。

・新居は神奈川県は川崎市。近くへお越しの方はお立ち寄り下さい。

・しかし僕は全く読書家とは言えないわけだが、引っ越しとなるとそれなりに本の移動が大変であった。多くの本は一つの本棚に収まっていたはずなのだが、いざ段ボールにつめ出すと意外なほど量になった。CD/LPについてはかさばる上、部屋が片付いてからじゃないとオーディオもセットアップされないことが目に見えているため、一部をのぞいて大部分はまだ旧家に残したまま。つまり第2次の引っ越しが残っているようなものか。そういえばギター類も6本くらいあるが、とりあえず普段使うギブソンの2本のみ持ってきた。去年買ったビアンキのロードレーサーは今度乗ってこよう。と思っていたが、そんなこと行ってるとどうせずっと先になってしまうので、これは車で運んだ。

・更新してない間に読んだのはフリオ・リャマサーレス「狼たちの月」、本谷有希子「グ、ア、ム」、ジョージ・オーウェル「動物農場」、あとアラザルの原稿。他にもあった気がするが失念。「狼たちの月」は内戦後に敗走兵となった主人公が、治安警備隊から逃れるために山の中に身を隠しながら、強烈な孤独の中で生き延びる姿を、悠然とした自然の描写の中で浮き上がらせていく作品で、非常に読み応えがあり、感動した。

狼たちの月

・今は円城塔「Self-Reference ENGINE」を読んでいる。いや、これ凄く面白い。ゲーデル的な自己言及の循環の不可能性や、あるいはオートポイエーシス的な自己生成していくシステムを、一つの世界記述言語的に、しかもそれは誤訳しか生み出さないという覚悟の元で淡々と、しかもちょっとオトボケな文体と絶妙なテンポで記述されていく、なんともスリリングな作品。まだ半分くらいしか読んでいないけれども、きっと傑作でしょう。

Self-Reference ENGINE

Tuesday, May 13, 2008

文学フリマ報告

ついに、ようやく、文学フリマ当日。ただし起床時点でいまだ製本されたものを見ていない。本は編集長の西中さん家に納品されているので、まずは西中さん家にお邪魔する。
で、「アラザル」に初対面!だったわけだが、いやなかなかよいものができたのではないでしょうか。装丁も迫力がある。

あとこれまでに作っていたり、録音済みの音源を使ったりして編集した2曲入りのCD-R「OK, I am here.」を何とか制作。前日はジャケットを制作。世界堂であれこれ紙を選んで、家に帰って紙に合うデザインを模索。やっぱり手に取ることができるものを作るのは楽しい。Webとかじゃ伝わらないものは多いね。
sugimori daisuke / OK I am here.

どちらもできたての「アラザル」と「OK, I am here.」を手に、いざ文学フリマへ。身内にも初のお披露目だが、HEADZブースに出店する人や、その他のお客さんにもこの充実度で500円は安い!とのコメントを頂く。いやーうれしいね。内容についても好意的に受け止めてもらえるだろうか。いや、好意的でなくてもかまわないが、せっかくこれだけ労力を使った雑誌なのだから、広く多くの人が読んでくれたらうれしい。しかし実際「アラザル」の売れ行きは好調。「OK, I am here.」は身内向けに好調(押し売り気味)。メンバーの皆の顔がほころぶのが楽しい。皆さん、本当にお疲れさま。一緒に作業ができて楽しかったです。これからもよろしくお願いします。
文学フリマ HEADZブース

で、販売はアニーさんを中心にHEADZスタッフが対応してくれたので、僕らは周りからおー売れた!とか言っているだけだったが、それだけではあれなんで、知人やHEADZの周りにいた人たちのレコメンを頼りに周りのブースを回って色々の雑誌等を購入。えー多分僕は人一倍積読本が多いので、いつ全部の雑誌に目が通せるか見通し不明ですが、力作も多そう。

16:00になり、文学フリマはこれをもって終了!ご来場&ご購入いただいた全ての皆様、本当にありがとうございます。愛してます。

荷物をまとめ、渋谷HEADZ事務所によってからいざ打ち上げ。

渋谷の居酒屋での打ち上げではHEADZに出品していた何人かの作家さんが来ていて、色々話を聞けてよかった。特に大谷さんに僕の原稿についてコメントをもらえたのが最大の収穫。さすがに鋭い読みで、僕が考えていた仕組みというか、構造はほぼ見切った上で、不足点をしていただく。うーむ。一部もう少し議論というか意図を伝え直してみて、その上でのコメントも聞きたいが、長くはないながらに充実したやり取りであった。
アラザルメンバー

終電頃に一度店を出て、なぜか高円寺で2次会。こちらは途中から批評についての座談会のようになり、なかなかに白熱する。こういうのはやっぱり酒が入ってからの方がいいかもね。近藤君とか明らかに普段より饒舌になっていた。

夜が開け、よく考えれば12時間くらい飲み屋にいた訳で、みんなちょっと死にそうな顔して帰路に。でも、これからまだ色々な活動を継続できるだけのモティベーションをもったメンバーがいることを確信し、心強く思う。継続しなければ。

Tuesday, May 06, 2008

日記 2008/5/6

・新しく曲を作ろうと思って、冒頭の和音の展開を考え、録音してみる。楽器はフルートとクラリネット。えーと、クラリネットは一瞬始めてみたことがあっただけで、全然吹けないのだが、全音符の並びだけなら何とかなるかと思ったのだが、実際録音してみて音の酷さに絶句。しょうがないのでフルート2本のアンサンブルにしてみようかと思うも、全然イメージが膨らまず断念。まずいなあ。

・少し前に途中まで読みかけていたイアン・マキューアンの「アムステルダム」を発見し、最後まで読む。

98年のブッカー賞受賞作。最近とは言わないまでも古い作品ではないが、本作は作りとしては小説の王道というか、登場人物の心理や風景などの描写、そして物語の展開の構造などに力を入れた作品だった。普通の人が些細な諍いを元に自滅していくストーリーが描かれているが、最後の場面を読んでいるときに部屋でかかっている音楽が先日買ったzamla mammaz mannaのオトボケ系プログレで、実際の作品もそうなのかもしれないがそれ以上にブラックユーモア的な印象になってしまった。

・そのzamla mammaz manna(ツァムラ・ママス・マンナ、スウェーデンのプログレバンド)だが、なかなかに良い。回転数をかえてコミカルな感じにしたヴォーカルや、必要以上にシンフォニック/荘厳なシンセなど、ゴングほどではないが笑いのツボを押さえつつ、童話的な世界観を展開する。一体歌詞はどんな内容なのか気になる。

【告知】アラザル/文学フリマ

ブースの配置が決まったので、改めて詳細な告知です。

アラザル

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。2008/5/11(日)文学フリマ、HEADZブース(2F B45)にて発売。税込み500円。

杉森は『カウンター/ポイント』というタイトルで、音楽と写真について、柄谷行人とロラン・バルトを援用して書いています。言及している固有名は、ジョン・ケージ、パウル・パンハウゼン、Sachiko M、大友良英、マリオ・ジャコメッリ、エリナ・ブロテルスなど。

■コンテンツ

【特別企画】佐々木敦インタヴュー
熊谷歩 ギャグ漫画俯瞰 その表象・宇宙から部室へ・そして、労働
高内祐志 ◇ ?
友兼亜樹彦 分裂した手記
永江大 「音楽」における場所とその特性について
黒川直樹 GODARD,DES/SIN.或いは、情熱という女のカルメンについて
杉森大輔 カウンター/ポイント
堀越裕之 静寂のために音が鳴る
安東三 中二病闘病記としての古谷実
畑中宇惟 虚構と現実の間にある「日常」を考えるための7日間
諸根陽介 4分33秒のフリー・インプロヴィゼーション
山下望 +シネマ+/映画史のデヴェロップメント<<試行版>>
近藤久志 chelfitschのこと
西中賢治 一〇〇年目のベイビーズ
西田博至 TO BE, OR NOT TO BE
前田礼一郎 ふえる/かけること
大橋可也 死んでしまえばいいんじゃない
執筆者プロフィール『Question, Answer and more』


[春の文学フリマ2008]
2008年5月11日(日)
11:00〜16:00
東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第2展示室
(JR線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅徒歩1分)
※入場無料、カタログ無料配布、立ち読みコーナーあり
HEADZブース:B45
地図

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文学フリマでは、他にもこんな注目の出店が!!

エクス・ポ、レビューハウス、WB、路地、三太・・・空前のミニコミブーム(?)の中開催される文学フリマ、お見逃し無く!

Monday, May 05, 2008

クラリネット音楽祭

先日「20th Century Music For Unaccompanied Clarinet」を聞いたのをきっかけに、自宅にて現代クラリネット曲音楽祭を開催(笑)。

20/21 - Boulez: Repons, Dialogue De L'Ombre Double / Boulez, Ensemble InterContemporain





1曲目の「repons(レポン)」が有名だが、2曲目のクラリネット曲「Dialogue De L'Ombre Double」も良い。IRCAMというフランスにある現代音楽における電子音楽の総本山で、所長のピエール・ブーレーズの曲を本人が指揮するという(Dialogue De L'Ombre Doubleは独奏曲)、サラブレットな録音。1曲目の演奏はEnsemble InterContemporainというこれまたサラブレットたち。肝心の2曲目のクラリネット曲は、本来なら前後左右合計7カ所に設置されたスピーカーを使って、目の前で演奏されているクラリネットの音をリアルタイムに音響処理し、聴衆の周りをそのクラリネットの音が駆け巡るような感じ、であると思われるのだが、CDに録音されているのはステレオ2chのみなのでその全貌を再現することはできない。ただ、様々な音域でのトリルを繰り返しながら音の定位を次々とかえていく様はスリリングで、しかも音自体がとても良い。作曲された85年という時代性も考えると、(当時)相当高性能なコンピューターを使用していたことが伺える。
このアルバムは名盤なので、機会があれば是非聞いてみるべき。

Stockhausen: Bass Clarinet & Piano



Stockhausen: Bass Clarinet & Piano

シュトゥックハウゼンのピアノとバスクラリネットのソロとデュオを集めたアルバム。所々にコンピューターによる音響処理も入っており、それがさりげなく良い。特に一曲目のピアノソロは断続的に続く和音の連打に、コンピューターの音響がまとわりついて来るその響きがとてもスタイリッシュ。6曲目以降に収録されているデュエット曲「TIERKREIS」は、彼の作曲作品の中では旋律がはっきりしていて取っ付き易い作品だ。冒頭などは「展覧会の絵」のようである。また途中でトイピアノなども使われている。トイピアノがはいるととたんにジョン・ケージっぽくなる。最後あたりで一瞬感動的なメロディをバスクラがグロウ気味に吹いたり、あるいはパーカッシヴなあの奏法(呼称がわかりません)をするあたりなどはデビッド・マレイとか、フリージャズ系の香りも。何にせよ、かなり聞き易い作品であるし、シュトゥックハウゼンの入門には向かないかもしれないが、しかしもしかしたら現代音楽の入門にはなるかも?まあ僕自身がまだ現代音楽に入門したとは言えませんけれども。

Tashi / メシアン:世の終わりのための四重奏曲



Tashi / メシアン:世の終わりのための四重奏曲

タッシの名盤。タッシはこの曲を演奏するために結成された現代音楽カルテットで、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノ、チェロという不規則な編成をとる。アルバムのライナーにあるメシアン自身の解説を読むと相当にキテレツであり、例えば「ピアノはブルー= オレンジの和音でカデンツを奏し、そのはるかかなたのカリヨンの響きでヴァイオリンとチェロの単旋聖歌ふうのレチタティーヴォを囲む。」といった具合。メシアンは相当に神秘主義的な作曲家であり、解説を読んでいるとかなりスピノザ的な感じを受ける。この曲ではクラリネットは中心という訳ではないが、第三楽章「鳥たちの深淵」などはクラリネットソロである。この楽章では様々な音高でのトリルが特徴的。メシアンは鳥の鳴き声を採譜することに執着したことで有名だが、昔から木管楽器(主にフルートが多いが)のトリルは鳥の鳴き声を表すことが多い。特にクラリネットという楽器は木の管に開いた穴を直接指で押さえるという非常に構造的にシンプルな部分があり(しかし両小指に割り当てられたキーは異常に多いのだが)、このような構造を持った木管楽器は今ではリコーダー類とピッコロくらいしか思いつかないが、そのクラリネットのトリルは木の穴を押さえ、離すというフィジカルな運動、木と指の接続/離散の過程がそのまま発音に結びついているため、その運動性を音色として楽しむことができる。クラリネットに於ける鳥の鳴き声の表現ということではエリック・ドルフィーが思い浮かぶが、どちらかというと彼の場合はやはりフルートの演奏の方がより小鳥のような飛翔感がある。本作ではそのようなトリルを含めたクラリネットの旋律が、鳥の歌声の旋律をなぞっていることが非常に良く現れているので、注意して聴いてみると面白いだろう。その他、クラリネットを中心にせずとも非常にすばらしい楽曲であり、チェロとピアノのデュオなど、優美で官能的とも言えるような美しい旋律を聴くことができる。

日記 2008/5/5

ターナー賞

・森美術館で「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」を見た。

まず、この連休で初めて人の集まるところに行った気がする。ああ、こういう感じ苦手だなーと思いました。チケットを買うまでに20分くらい待って。まあ、その後はすんなりでしたけど、入るまでの時点で別の日に来れば良かったなーと思ってしまった。

あと、展望台と美術館のチケットが抱き合わせになってるのね。ちょっと意味不明。しかも最初順路がわからなくて展望台一周しちゃった。最初の印象が(混雑で)悪かったため、別に風景見に来たんじゃない、と不機嫌になりました。どういう政治的な理由があるのかはわかりませんが、美術館が高層にある理由は、少なくとも森美術館に関しては無いですよね。外見えないし。あと明らかに現代美術に興味がなさそうな、作品を横目で見るだけで通過していく人とか結構いて、なんか残念な気持ちにもなりました。抱き合わせは良くないよ。

とはいえ、まあこれ全部最初の印象が悪かっただけで、たしかにもともと美術とかに興味ない人に、とりあえずでも作品に触れる場があること自体はいいですよね。

あ!ですます調になってる!

なんだかいつもと文体かわってきてますが、肝心の展示について。再三繰り返しているように、あんまり落ち着いた気持ちで見れなかったので、あまりぐっと来るものはなかったのですが、やはりデミアン・ハースト《母と子、分断されて》は作品としての強度を感じました。

デミアン・ハースト《母と子、分断されて》

ただ、これは以前モディリアーニ展を見たときも感じたのですけれども、やっぱり広告とか、事前に知っている作品は良く見えてしまうっていうのは避け難くあるよな、と。《母と子、分断されて》は雑誌で現代美術の特集とかあるとかなりの確率で乗っかってるということもある訳で、そいういう事前の知識なしで見てみたいです。こと現代美術はそうかな。

あとは今写真に興味があるのもあって、ヴォルフガング・ティルマンスの一連の作品も好きでした。

ヴォルフガング・ティルマンス《君を忘れたくない》

プリンターで印刷されたものや、フィルムに直接画像をのせるような操作をしたものなどが、さりげない感じで撮影されてあり、しかも作品は壁にテープで貼付けてあったりといった、ある種の気軽さを持って展示されていました。見る側に付加をかけすぎない、良い作品だと思う。

・展示会を出て、有楽町でやっているイタリア映画祭にむかう。フェリーニの「8 1/2」を見る予定だったが、しかし!なんと1時間くらい前についたにもかかわらず、既にチケットが完売していた。なにそれ、どういうこと?どこかで前売りとか予約とかしていたんでしょうか。全然知りませんでした。あー今サイト見たらあるねーありますねー。傷心のうちに帰宅。

Sunday, May 04, 2008

日記 2008/5/4

・amazonから注文していたものが届く。

- Paul Meyer / 20th Century Music For Unaccompanied Clarinet

20th Century Music For Unaccompanied Clarinet

偶然amazonで見つけた現代音楽のクラリネット独奏曲を集めたアルバム。プレーヤーのPaul Meyerの名前はそういえば聞いたことがあるような気もするが、多分気のせい。一聴しただけでコメントするほど聴き込んでないが、そもそも現代音楽に於けるクラリネットが好きで買ったので、とても気に入った。ジャズでは音量の関係でサックスに対して相当部の悪いクラリネットだが、現代音楽ではモダンかつ柔らかな音色が心地よい。例えばメシアンの「世界の終わりのための四重奏曲」(タッシの演奏が有名、というかこの曲のために結成されたユニットだが)のクラリネットもすばらしい。

- 松本大洋 / 竹光侍

松本大洋 / 竹光侍

「竹光侍」は本当に良い。独特の性急ではない、ゆっくりとした時間の表現、コマの中および間の空間の取り方。表情以外にやどる登場人物の個性。独特のパースペクティブによる空間表現、動物たちの会話が作る空気感。そして絶妙な擬音語(!)。松本大洋は本当に唯一無二の才能だと思う。

・文学フリマではできれば音楽作品のCD-Rも持参しようかと思っていて、録音&編集作業をした。しかし、作っているときはいいと思ったものも、編集していくうちにあんまりかな、と思ってしまうこと多数。途中から以前に録音したものの編集をしていたら、新しく録音してものよりも良い感じに。どうなるか。

日記 2008/5/3

 Tape & Minamo / Birds of a feather


・久しぶりに新宿のユニオンでCDを漁る。
- Police / Ghost In The Machine
- Police / Outlandos D'amour
- zamla mammaz manna / 初老の新来者の為に/親しみ易いメロディーの神秘(2枚組)
- zamla mammaz manna / 踊る鳥人間
- Tape & Minamo / Birds of a feather
- Christian Marclay / More Encores
- Ground-Zero / 融解GIG

いや、Policeとzamla mammaz mannaは2枚ずつ買ってしまった。Policeはいいよね。再結成のライブも衛星で見たけど、スティング凄い良かった。zamla mammaz mannaは今までそもそもCDを見たこと無かったので、初めて購入。ラーシュ・ホルマーは大熊亘のSolaでのみ聴いたことがあるけれども、それ以外では初めてなので楽しみ。

・その後下北沢で大学時代の友人と飲み会。久しぶりに会うので様々に盛り上がる。

・その友人の内一人は今中国で働いているのだが、お土産にBob Dylan, Lou Reed, Led ZeppelinのDVDをもらう。向こうでは100円程度で買えるそうだ。いやあ、物価が安いっていいですなあ。もちろん、あれな値段ですが。全て紙ジャケ。つうか、プラケース無しというか。

zamla mammaz manna / 初老の新来者の為に/親しみ易いメロディーの神秘(2枚組)

Friday, May 02, 2008

3月の思い出

3月に仕事の谷間があって、比較的長い休暇を取ったのだが、そのときに色々見たりしたものをまとめておく。

『アレコ』/『新作・世界初演』/『毛皮のヴィーナス』


『アレコ』/『新作・世界初演』/『毛皮のヴィーナス』

佐々木敦のブログで知った、ベルギーのダンスデュオ。音楽をクリスチャン・フェネスが担当していた。
非常にすばらしいダンスで、驚き、感動した。特に冒頭の『毛皮のヴィーナス』がすばらしかった。女性のソロ作品で、最初ダンサーは毛皮をかぶり、グロテスクな未知の生物のような動きをしている。両手がまるで砂の惑星に出て来る大ミミズのようであり、それぞれがお互いに噛み付きあう。そのような非・人間から、女性が、のたうちながら生まれて来る。しかもその女性は両の足を大きく開き、股間をまっすぐ客席の方に向ける形で生まれて来る。ここで、生まれて来る女性=産む女性というような生産の循環構造のようなものが示されていたように感じた。

また、最後のデュエット『アレコ』もすばらしかった。特に男性が女性を殺してしまってから、男性が女性に噛み付きながら(カニバリズム)踊るシーンは白眉で、ちょっと前のことなので記憶が相当に合間なのだが音楽はなっていなかったように思う。少なくとも僕の記憶の中ではそうで、その無音状態の中で二人のダンサー、愛すべき人を殺した男と、死んだ女が、舞台の上で絡み合う様に、しかし悲劇的に舞う様子には落涙しそうになるほどの強度があった。


知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展


知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展

東京都写真美術館で行われている「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展」。すばらしい。かなりの部分が白と黒に塗りつぶされる独特の印刷技術で、生と死を捕まえ、フィルムに定着させている。この展示については「アラザル」の原稿でも触れているので、そちらを参照いただきたい。展示は2008/5/6まで。

公式のサイトで、作品が閲覧可能。


シュルレアリスムと写真 痙攣する美




ジャコメッリ展と同時開催しているシュルレアリスム写真展。ジャコメッリがすばらしかっただけに、ちょっと印象が薄い。冒頭の夜の町の写真と、最後に展示されている昆虫や植物の超至近距離からの接写など、気に入った作品も多くあった。


ジャック・リベット監督「美しき諍い女」




ジャック・リベット特集、日仏学院にて。うーん、ちょっと難しいなぁ。映画は難しいです。面白かったですけど、ちょっとコメントできるほどわからなかった。という感じ。


ペドロ・コスタ監督「骨」他




ペドロ・コスタ特集、アテネ・フランセにて。陰鬱な世界をそのまま写し取り、その映像の美しさ、黒の存在感、録音された音に対する感性など、多くの優れた才能には恐れ入る。


ルノワール+ルノワール展




画家の方のルノワールを中心に見た。さすがに巨匠だけあってすばらしく、やはり言われているように光の表現が見事。映画監督のジャン・ルノワールについては、不勉強で映画を見たことが無い。ただ、広告にも使われている若い女性がブランコを漕ぐシーンは、きわめて短い映像のみが繰り返されていただけだが、その映像詩的な美しさは感動的だった。


モディリアーニ展




プリミティブ・アートに傾倒した時期(それ以前も)を含む、画家としてのモディリアーニを紹介し尽くすような展示で、充実していた。年代順に並べただけかもしれないが、モディリアーニの興味の在処と、プリミティブアートが実際に彼の後期(といっても30代だが)の作品でどのように機能しているかがわかって、構成も良かったと思う。背景や衣服などが描かれている箇所のテクスチャーの平坦さと、顔の陰影のバランスなどが気に入った。


アーティスト・ファイル 2008―現代の作家たち




好きな作家とそうでもない作家とがやはりいた。特に良かったのは、エリナ・ブロテルス、佐伯洋江、さわひらき。エリナ・ブロテルスについてはジャコメッリと同様「アラザル」で書いたので、ここでは割愛。このサイトで作品が見れる。佐伯洋江はシャープペンをつかった異常に細かい線で構成され、洗練された日本的な絵画を制作していた。さわひらきは6つの壁にプロジェクターで映像を投影するインスタレーションを展示。それぞれの映像はきわめて緩慢に変化していく。その変化の時間性がテーマとなっていたように思う。全体として非常に美しい作品だった。


以上、一度に書くと疲れる・・・

ループラインコンピューターミュージックフェスティバル

ループラインコンピューターミュージックフェスティバルに行ってきた。

loop-line computer music festival

Klaus Filip(lloopp)  石川高(笙) duo
noid(cello)  中村としまる(no-input mixing board) duo
杉本拓(metronomes) 宇波拓(lloopp, mortors) duo

再三宇波氏自身も言及していたが、コンピューターミュージックフィスティバルを銘打って、コンピューターは宇波拓とクラウス・フィリップの二人しかいない。noidと中村としまるのデュオでは全くコンピューター奏者無しという、なんだかなあな企画であった。

ただ、それぞれの演奏についてはさすがにすばらしい。以下、それぞれのデュオ演奏について。

杉本/宇波の両拓の演奏は、やはり時間をいかに区切り、再構成するのかが問題になっていたように思う。杉本拓のメトロノームっていうのは聴いたことが無く、いったい何をするかと思っていたが、電子メトロノームを複数持ち、テンポをずらして再生するなど、なんだかほとんどスティーヴ・ライヒのような演奏をしていた。宇波拓はコンピューターを使ってはいるものの、そのコンピューターはスピーカーには接続されておらず、オーディオのアウトプットがアンプを通して小型モーターに接続されており、そのモーターに取り付けられた六角レンチ(ってわかる?5センチくらいのL字型した工具のことです)が小刻みに振動し、そのレンチが机を叩いて乾いた音を立てるという、ほとんど気違いじみた演奏を行っていた。とはいえ、このようなおかしな演奏はONJOでも披露されているだけに、ONJOファン的にはむしろ驚きは少ないのかもしれない。カタカタカタカタ、ぴっぴっぴっぴっ。こう書くと楽しげではある。それを難しい顔をして演奏し、こちらも難しい顔をして聴いているのであるから、ちょっとブラックユーモア的であったかもしれない。

noidと中村としまるのデュオは、いわゆる音響的即興という文脈から見ると、一番的確にそれに当てはまるような演奏だった。ただ、一時のそれと比べると、中村の演奏などは相当に大きな音量も用いており、より演奏がダイナミックになっている。noidはこのライブで初めて演奏を聴いたが、チェロを様々な奏法(とは呼べないような奏法も含む)で操る、まさに音響的即興を行う音楽家だった。日本で言えば秋山徹次の演奏などに近いだろうか。といっても秋山氏の演奏には相当には幅があってどの演奏のことかわからないかもしれないが。中村氏の演奏はとても良かったと思う。ただnoidの演奏は、ちょっとギリギリ僕の理解の外にあったような気がする。悪い印象は全くない。しかし終演後にミュージシャンなどからnoidへ、「とても良かった」というような反応があったが、そこまで反応するほど、僕にはそのすばらしさが伝わらなかった。このわからなさっていったいなんなんだろう。特にこういうポピュラリティの無い音楽について、どの演奏が良くてどれは良くない、という線引きは本当に難しいと思う。

最後にクラウス・フィリップと石川高のデュオ。これはもう文句無くすばらしかった。そもそも僕は笙の音色および演奏が好きなので、そのバイアスが相当かかっている。しかしそれを差し引いてもすばらしい演奏だったのでは無いだろうか。上へ上へと昇っていくような、いや、上から降り注ぐようなといったほうが良いのか、笙の音色が形成する音響と、サインウェイヴを基調とするクラウスのコンピューターから発せられる、繊細にコントロールされた音量と音色の電子音響。それぞれが響きあい、相互浸透する中で、様々に変化するモアレと、それとは無関係に発展していくそれぞれのプレーヤーの演奏。いや、感嘆しました。
ところで、特に石川さんはクラウスの演奏に反応して演奏を展開しているように見えたが、終演後二人にそのことを訪ねると、全くそんなことはなく、お互いそれぞれで演奏してたとのこと。残念、聞き違い。
両氏の演奏を聴く機会はいままであまり持つことができていなかったが、これはできるだけ今後も生で見られるときは生で見たい。ただ、石川さんは日本にいらっしゃるはずなのでいいが、クラウスを生で見る機会は多くはないはずで、また来るときに見逃さないようにしたいもの。
そいういえばクラウスが以前(2006年なのかな)下北沢に来たときには見ており、そのときの中村としまるとのデュオもすばらしかった。
で、おそらくそのときに録音したと思われるCDと、Axel Dornerと中村としまるのデュオのCDを購入。これから聴きます。

vorhernachaluk

円城塔「烏有此譚」他



・群像2008年5月号で、円城塔「烏有此譚」を読む。
円城塔の作品は今回が読むのは初めてである。ポナイトでのトークショーで、相当変わった話であることは想像できていたが、予想以上。わかりやすいとは言えない話だが、しかし意外と読めてしまう。科学その他、本人もトークショーで言及していた通り相当に衒学的な文が続く。その荒唐無稽とも思える記述がもはや笑いを誘わずにはいない。

しかしトークショーを聴いた後だと、たしかに本作が「私小説」であるという主張も理解できぬというわけでもない気はする。

・早稲田文学復刊1号の蓮實重彦インタビュー「批評の断念/断念としての批評」を途中まで読む。
まあインタビューだから、という軽い気持ちで読み始めたら、なんのなんの、相当に充実した内容であり、しかも長い。文芸批評に於いて、批評家は「全体」というものに対してのある種の断念を持たざるを得ないし、その断念を持たないようなものは批評とは言えない、という話。今までのところ相当に刺激的であり、勉強になります。

・しかし早稲田文学はかなり面白い雑誌なのではないか。まだほんの一部しか読んでいないが。

Thursday, May 01, 2008

愛おしき隣人

愛おしき隣人

恵比寿ガーデンシネマにて、愛おしき隣人を鑑賞。

いわゆるシュールでブラックな笑いのある、エピソード集的な佳作。それぞれのエピソードはどこにでもあり得る日常的な出来事で、それらの出来事があくまで淡々と、しかしそのエピソード以外に何も起こらないために異様に強調されてスクリーンに登場する。多くの場合、エピソードの中心と、それを見つめる目があり、その見つめる目の冷静さがブラックなおかしみを生む。そんなに大騒ぎすることじゃないのにね、大変そうにしているけれど、それはみんな同じだよ。その冷静な判断と、身の悲劇を悲しむ主体。それがコケティッシュな音楽に乗って、リズミカルに行進、行進、行進。

映画自体はまとまっていて面白い佳作だったが、それまでに見ていた予告編が、すこしいいところを出しすぎているように思った。多くのエピソードについて、すでに予告編で先取りしてしまっていた。見てから公式サイトも覗いたが、さらに多くのエピソードがわかるようになっている。ちょっとこれはいただけないような気がする。これから見る人は、サイトの中のコンテンツは本編を見てからにするのをお薦めしますよ。

「アラザル」表紙

アラザル

アラザルの表紙を公開!!デザインは黒川直樹。彼はエクス・ポ3号に原稿出てます。

アラザルは僕も含め、紙面のデザインをたくさんの人でやっているのでかなりごった煮な感じになっています。ぜひ5/11、お手に取って、そしてお買い求め下さい!

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。佐々木敦インタビュー収録。5/11(日)文学フリマにて発売。税込み500円。