Tuesday, December 30, 2008

日記 2008/12/29

・ベケット『マロウンは死ぬ』を読む。面白い。前半の何も起こらなさのようなものから、後半のある種ドラマチックと言える展開がある事自体に少し驚いた。もっと何もないまま終わるのかと思っていたが、死に溶け入るような最終盤は感動的ですらある。

・最近買った某雑誌の特集が、それと意図してはいなかったが次の『アラザル』で書こうとしていることの参考になりそうであることに気づく。

・次の『アラザル』といえば、某作家さんにインタビューをしました。詳細は追って告知します。

・そういえばここでは書いていなかったが、佐々木敦『批評とは何か?』が出版されました。これはその名も『批評家養成ギブス』という、僕が参加していた塾と言うかワークショップというか、その講義録な訳ですが、恥ずかしながら僕の駄文も生徒の書いた文章として乗せてもらっています。しかし佐々木さんの講義自体は非常にスリリングであり、批評を志す人ならずとも読み応えのある本になっているとおもいます。その他『アラザル』のメンバーの文章も読めます。

・知人に久しぶりに連絡したら、その『批評とは何か?』を立ち読みして、僕の名前を見たと言われた。まあ書店で売っているものであり、普通のこととはいえ、少し驚いた。

・今年の多分更新はここまででしょう。最後は更新がなかなかできなかったので、来年はもう少しポストしたいと思います。皆様良いお年を。

Monday, December 01, 2008

日記 2008/11/30

アラザルでは現在vol.2発刊に向けて作業を進めています。会議では企画とかの話をすすめてますけれども、しかし自分の原稿について早いところ枠組みを決めたいが、まだどういった文章にするのか全然未定。

・あとアラザルブログを活性化しようってことで、なるべく毎日更新ができるように持ち回りでいろいろ書いていくことになりました。僕も既に一つポストしています。

・で、アイディア集めということもあって今はいろいろな著作をつまみ読み。

  • ピエール・ブーレーズ『参照点』

  • 江藤淳『江藤淳コレクション4』

  • ミシェル・セール『白熱するもの』

  • ジャン・ボードリャール『シミュレーションとシミュラークル』

  • 円城塔『Boy's Surface』


・文フリで販売した『アラザレ』ですが、僕は企画にはそれなりに参加したものの執筆の段になってドロップアウト気味(少しは書きました)、完全にコミットしきれず客観視できるからか、読んでみると結構面白い。特にSkype批評は通常の読書体験とはやはり違った何かがある。それぞれの書き手も個性があって、アラザルのメンバー紹介としても機能している。試験というか練習段階では参加していたのですが、そのときの印象だとこんなものを人様に見せてよいのか?という気がしていましたけれども、今回掲載したものについては少なくとも僕個人が楽しめたので良かった。

・週末はシンポジウムなどを聴講。

Sunday, November 23, 2008

近況

久々のポスト。まあ毎度のことか。

・2週間くらい前になりますが、ヨーロッパまで新婚旅行に行っていました。滞在したのはリスボンとパリ。リスボンでは晴天にも恵まれ、蒼碧の空と海を、そして夜には暗闇にのみこまれる古く脆い建築物を見、パリではルーブル、オルセー、ポンピドゥーの美術館を巡ってヨーロッパの主に絵画の歴史を表面だけでも体験してきた。特に(おそらくピカソ美術館が改装中であるためだが)ルーブルで膨大なルネッサンスの宗教画をうんざりするほど見せられた後に、企画としてふとピカソの展示があった時など、「人類は進化している!」などと思わず感嘆してしまった。

・しかしポルトガルではみんな人が良かった。切符の買い方に戸惑っていると、英語が話せないおばちゃんが一生懸命ポルトガル語で教えようとしてくれた。結局わからなかったけれども。

・その旅行中に秋葉原では文フリがあり、アラザルメンバーでは今回批評実験として『アラザレ』というミニコミを作った。一応僕も書いているけれども、旅行とスケジュールが被りまくったため執筆作業は半分くらいの参加。事後告知で申し訳ないですが今更入手は困難ですので、読みたい人は直接に言ってください。貸します。

・BRAINZ第3期も幾つか受講してます。

・ジュリア・クリステヴァ『セメイオチケ(1)記号の解体学』を読む。後半、仏文の分析になったあたり以降はちょっと今回は断念。それまでのインターテクスチュアリティ的な議論等は大変面白く読んだ。

・ブーレーズの『参照点』の最初のエッセイ(論文?)を読む。面白い。さすが現代音楽の理論的支柱だけあって、安易な古典回帰や人間中心主義、個人主義を批判している。というか罵倒している。というわけで今はレポンを聴きながら書いてます。クール!

Thursday, October 16, 2008

Ana Moura

スターバックスでニーチェを読んでいたところ、ふと泣きたいような気持ちになってきて、そこまで移入して読んでいたのかといささか驚いたが、実際はBGMでかかっていた音楽に感動していたのだった。ジプシー的なギターと情熱的な歌唱で、ファドの歌手かなーと思って店員に訊こうかと思ったが、有線で流しているとしたらわかる訳も無し、ということで一度あきらめるも、帰り際にやはりと思って訪ねてみたら、店内で試聴できるCDに収録されていた。
店でかかっていたのはAna Moura "Fado de Pessoa"。ファドなんて一度も聴いたことがないし、当然この歌手も初めて名前を聞いたが、すばらしい歌唱力。不覚にもスタバに一本とられた。

Last.fmで色々聴ける。
http://www.lastfm.jp/music/Ana+Moura?autostart=1

あとはYouTube






今年であった音楽の中で、特に感動的な出会いの一つかもしれぬ。

Tuesday, October 14, 2008

最近の色々

アントナン・アルトー『神の裁きと決別するために』

最近読んだ本
・アントナン・アルトー『神の裁きと決別するために』を読んだ。決然とした意思の強度と文体の速度など、極めて刺激的な読書体験があった。聖と俗、主体と客体の一致という点でバタイユを彷彿とさせる。
・というわけで読み止しで放ってあったジョルジュ・バタイユ『内的体験』を読む。まさに主体と客体の区別がなくなる地平での「体験」についての書で、これも極めて刺激的な本であるが、しかしちょっと僕の方がついていけていない点があるのが残念。また腰を落ち着けて再読したい。
・続いてアントナン・アルトー『ヘリオガバルス』を読み始めたのだが、うまく入り込めず。
・今はフリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』を読んでいる。高校、大学でそれぞれ読んでいたて、読了はしなかったが、それでも今読むと結構この本から得たものは多かったような気がする。やはりすばらしい。しかし今読んでいるのは中央公論社の「中央バックス 世界の名著」シリーズなのだが、ちょっと注が多すぎる。

最近見た映画
・フランシス・コッポラ監督『コッポラの胡蝶の夢』を見た。夢と現実が交錯し、円還的時間のなかでの老い、生と死、愛と到達不能性などがテーマになった、非常に美しい映画。必見だけれども、これももう終わってしまったようですねえ。

最近見たライブ
・少し前になるけれども、Amplify 2008 Lightを見た。3日目の演奏で、「キース・ロウ/Sachiko M」、「山内桂/吉村光弘」、「キース・ロウ/中村としまる」というDuoを3つ聴くことができた。特に後の二つの演奏が個人的には良かった。中でも山内桂氏のサックスはエヴァン・パーカーを通過した後で、独自の音色を作り上げており、特筆すべき個性を持っていた。
・HEADZのイベントでD.V.Dとテニスコーツの対バンライブを見た。これはD.V.Dの方が面白かった。D.V.Dについてはここで書く記述レベルだと、見ればわかるでしょ!ってくらいのことしか書けないくらい、体験したときの面白さが格別だ。それに比べてテニスコーツは、うーん、とりあえずギターの演奏の技術的な未熟さがどうしても気になってしまった。音楽的にも、僕としてはCDで作り込まれた音像の方が優れているように思う。

最近聴いたCD
・略
・あ、でもFela Kuti『Underground System』がべらぼうに良かったことだけ書いておく。マイルスのIn A Silent Wayのような、静かなグルーヴ感が感じられる箇所が良い。

Fela Kuti Underground System

吾妻橋ダンスクロッシング 2008/10/12

うまいことチケットを知人から譲ってもらったので、吾妻橋ダンスクロッシングに行ってきた。
ダンスについてはほとんど無知だったけれども、どのステージも非常に見応えがあるもので、見に行けてよかった。
最初に出演したと思われる康本雅子のしなやかな所作は、見ていてはっとさせられる何かを持っていた。ところで、この康本雅子さん、そのあと男性2と一緒にやったステージにも出てたのでしょうか?別の人?というか最初のステージが康本雅子さんであってますか?という状態。公式サイトで確認すると「康本雅子+戌井昭人(鉄割)+村上陽一(鉄割)」という組み合わせがありますけれども。髪型違ったのはかつらですか?
その他ではfaifaiのステージがコミカルで良かった。やはり笑いの力は大きいなぁ、と再認識。

Emotional Drawing 2008/10/11

Emotional Drawing

Emotional Drawing展を見た。
線を引くというプリミティブな行為に宿る情動をテーマにした展示で、非常に充実した内容ダッタ。シンプルな行為にこそ反映される心情はたしかにそれぞれの作品に宿っていたと思うし、比較的多数の作品があったにもかかわらずそれらを全て見せる勢いもあった。ペインティングに比べると制作に時間がかからないドローイングはどうしても多くの作品が展示されることが多く、いわゆるタブローというか、油絵中心の展示でふとデッサンが並んでいる時に感じがちな散漫さというものが感じられる懸念もあったけれども、今回の展示はそういったこともなく非常にまとまった良い展示だったと思う。
見に行ってからぐずぐずしていたらもう展示会は終わってしまっているので、薦めることも基本的にはできないけれども、次は今日とあたりに巡回するようなので、そちらが近い方は是非。

中でも気に入ったのは辻直之のアニメーションとアディティ・シンのドローイング。辻は鉛筆絵によるアニメーションで人間性というものについての探求を行っていた。また、書いては消す、という行為の繰り返しと、完全には消されない鉛筆の跡が、可塑性というキーワードを想起させたことについて、メモしておく。
アディティ・シンはミニマルな構成のドローイングで、静謐であり、構図と視線の移動によるダイナミズムを追求しているのだろうか。
まだちょっと作品について深く考えてはいないので、それはまた別の機会に。



Saturday, October 04, 2008

液晶絵画展 2008/09/22

東京都写真美術館で開催されている『液晶絵画』展を見た。

プロジェクターを使った作品もあったが、展示会の名が示す通り主にsharp製の液晶テレビを利用したヴィデオアート作品が多く展示されていた。その前に見ていたパラレル・ワールド展と比べると、液晶絵画展のほうがずいぶんと楽しめた。

まず会場の広さに対して作品の配置のバランスが良いのがいい。現代美術館等はちょっと広い、というか大き過ぎて、それなりの規模を前提として企画された展示でないとなかなかその会場の魅力を伝えられないように思うが、写真美術館くらいのサイズだとずいぶんフットプリントがちいさくて、今回のような企画でも十分魅力的な展示にすることができている。もちろん会場が小さい分楽できている、ということが言いたい訳ではないけれども。

展示されている作品も刺激的なものが多かった。気に入った作家/作品を挙げてみると
・小島千雪/リズミカルム、砂の陸
・ビル・ヴィオラ/プールの反映
・やなぎみわ/Fortunetelling
・邱黯雄(チウ・アンション)/新山海経2

不勉強でどれも知らない作品だったが、やはりヴィデオアート作品となると時間軸にそってどのような作品を構築するかが大きな課題となることがよくわかる。

他にもブライアン・イーノの作品も良さそうだったが、全体を見るのに80分以上かかり、せめて作品のコンセプトを体験するだけでも多分10分くらいは見てるべきところ、時間の都合でそそくさと次ぎにいってしまったので、これはもしも機会があるならもう少しゆっくり見てみたい。

Wednesday, September 24, 2008

最近見た展示

いくつか展示会を見てきたので報告。

■パラレル・ワールド展

http://parallelworlds.mot-art-museum.jp/
パラレル・ワールド展

「平行世界」をテーマに掲げた展示で、どちらかというと可能世界論的な、有りうべきもう一つの世界というよりは、私たちに認識を転換することで現在の世界が別様にも捉えられることに主眼を置いたような作品が並ぶ展示で、そこそこ面白かった。が、ちょっと全体的に散漫な印象というか、広い空間を使った展示である分、そこがまさに平行世界として成立するような、日常からはなれた空間を作ろうとしていたのかもしれないが、そこまで成功していたようには感じなかった。

その中で印象的だった作品をいくつかあげると、フランスの作家ダニエル・ギヨネのアニメーション作品は我々の身体の内面と、世界の接合の仕方を問うような、あるいは身体の自己同一性や境界とは何なのかを考えさせるような、しかしコミカルなもので、とても気に入った。アルトーの器官なき身体を強烈に意識しているだろう。腕や胴がそれぞれ切り離されては接合し、溶け出し、内側と外側がひっくり返ってまた戻ると言った荒唐無稽な動作の中に、優れて批判的な視座があった。

またローランド・フレクスナーの墨のシャボン玉を使った作品は、カオス理論を使ったCGとも似た、繊細であり、かつ物理現象としての強度を備えた優れたものであった。





えーと、他には写真美術館で『液晶絵画』と、『Visions of America 第2部』を見てきたが(あと現代美術館の常設展も見た)、今日のところはここまで。

Monday, September 15, 2008

近況

ずいぶんと更新してませんでしたので、最近の近況報告を。
しかし、一体誰に対しての近況報告なのか、という点に関しては依然として不明。

■映画
宮崎駿『崖の上のポニョ』
押井守『スカイ・クロラ』

■ライブ
Direct Contact vol.2 (1日目、3日目)

■展示
世田谷美術館 ダニ・カラヴァン展(イベントとして大友良英他のライブ)

■本
古川日出男/『LOVE』、『ベルカ、吠えないのか?』


あれ、こんなもんか。もう少しは見てた気がしてたけれども。
少なくともここに上げた作品はどれも良かった。

『スカイ・クロラ』はつい昨日見たのだけれども、これは最近見た映画の中で特に印象に残る作品であった。僕は少なくとも意識して押井守の作品を見たことは皆無で、だから今回の映像を見て、あ、この感じの映像作品を作っているのが押井守だったのか、ということに遡及的に気づいたくらいな訳だが、映像、そして物語の展開と各シーンごとのタイミングの感じ等、色々思うところがあった。
そして、やはりアニメーションとしての作品の完成度の高さはさすがである。僕はアニメーション映画についての知識はほとんどないようなものなので、本作の映像のクオリティに関してどのように評価されるべきか詳しく理解できる訳ではないが、しかし3DCGのシーンの完成度と、2Dアニメーションのシーンとの接続、あるいは同居の滑らかさは、もはや手書きであることやCGであることの意義を無効化してしまっているように感じた。
で、今スカイクロラのサイトから予告編を見てみたんだけれども、これ、本編見る前には見ちゃダメだな。色々だしすぎだ。うーん、本編の完成度は高いのに。予告編も押井守が作っているのだろうか?違うと思うが、もうそうだとたらちょっと考えものだ。

ダニ・カラヴァン展は舞台装置についての展示と、一つだけ大きな壁画風の作品がとても良かった。緻密で幾何学的で、そして作品が展示、あるいは上演される場と協調するための作品。そして閉館してからのイベントとして大友良英+Jim O'Rourke+Sachiko M+ユタカワサキのライブがあって、これもすばらしかった。彼らの演奏も、カラヴァンの作品群が展示される場と、それぞれのミュージシャンが発する音がそれぞれ作り出す音響空間が、展示場という場に様々な音色の勾配を作り出しており、刺激的な内容であったと思う。

Tuesday, August 19, 2008

Live 2008/08/23

珍しく連続してライブをすることになりました。
8/23(土)、前回やったStudio DOMで、再度オーナーが企画するマラソンLive的なものに参加します。
当日は高円寺阿波踊りも開催されるそうで、ぜひ祭り見物がてらにいらしてください。

それぞれ持ち時間は1時間で、雑多なジャンルのミュージシャンが出演予定。
乞うご期待。

Live at 高円寺 Studio DOM
日時:8/23(土)
場所:高円寺 Studio DOM
charge:未定(不明)
open:14:00 - (all night)
杉森出演時間:15:00 - 16:00 (予定)
出演者:未定(不明)

ギターソロをやろうと思っています。
ご来場お待ちしています。

Wednesday, August 13, 2008

ご来場ありがとうございます

live graphics 01
live graphics 02
live graphics 03

ライブにご来場下さった皆さん、ありがとうございます。
今回は一人1時間で5人のライブが聴けるというハードかつお値打ちなライブでしたが、ご一緒させていただいた皆さんの演奏がすばらしく、僕としても大変刺激的な一日でした。皆さん、そして企画の川染さん、お疲れさまでした。

僕の演奏はこれまでに作っていたものを使った1曲目と、新しいシステムを使った2曲目という構成で行いました。ただ1曲目もフルートとポエトリーリーディングという初の試みをしてみました。2曲目は初めてSuperColliderを使ったパフォーマンスをしました。SuperColliderにメッセージを送信する部分はRubyで自作。さらに初めて、ライブでグラフィックスを使いました。Processingで作ったものを表示しただけですが、意外に気に入るものができました。

色々と本番環境でのアクシデントもありましたが、まあその辺は次回にご期待下さい。

一応、今回の構成をメモ。

■1曲目
Max/MSP (DSP), Flute, Poetry reading(水無田気流)

■2曲目
SuperCollider (Audio Synthesis), Ruby (Controller), processing(live graphics)

Tuesday, August 05, 2008

Live 2008/08/10

ライブの詳細決まりました。
杉森は2番手18時からの予定です。
現状、ラップトップの演奏にするつもり。あるいはギターか何か使うかも。
アラザルも持っていく予定です。
是非ご来場くださいませ。

日時:2008/08/10 17:00 open, start - 22:30 close
場所:高円寺studio dom c studio
charge:700円(drink無し)
出演
- 神田聡
- 中川昭徳
- 小柳淳嗣
- sssssssss・・・
- 川染喜弘
- 杉森大輔

Monday, July 21, 2008

アラザル品薄

このブログで再三お知らせしている批評誌『アラザル』ですが、なんと好調につき編集部に在庫がなくなってしまった模様です。お買い上げ下さった皆様ありがとうございます。

既にHEADZのオンラインストアでは入荷待ちの状況のようです。おそらくそれ以外の書店等ではまだ取り扱いあると思うので、見かけた方は一期一会、できれば一つご購入頂ければ。

あ、今度やる僕のライブでは何冊か手売する予定です。

現在、『アラザル』は以下の書店で購入できます。
(在庫があれば。HEADZは抜きました。未確認ですが他の取扱店もあるようです。)
・ABC本店
・ABC六本木店
・タワーレコード新宿店
・タワーレコード渋谷店
・紀伊国屋書店 新宿本店
・ジュンク堂 新宿店
・タコシェ
・円盤
・高円寺文庫センター
・百年(吉祥寺)
・汎芽舎(神戸)
・シネ・ヌーヴォ(大阪)

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。税込み500円。



>アラザル各位
そろそろ次に向けて動きましょうか。

日記 2008/07/20

・第二期BRAINZ『4分33秒を/から考える』終了。受講生の皆さん、そして佐々木先生お疲れさまでした。

4回目までは、4'33''についての解釈についてはこれまでにそこここで聞かれうる範囲を大きく逸脱することは無い、物理的な聴取の有り様とその時間のフレーミングについての可能性や、その他映画等での同寿の試みについて語られてきたが、最終回ではついにというか、佐々木敦の考える4'33''の新たな可能性について、非常にスリリングな話を伺うことができた。

詳しいことはここには書かないので、知りたい人は直接僕(あるいは本人)に聞いて下さい。

僕自身はちょうどゲーデルやウィトゲンシュタインを読んでいたので、無音を聴く主体とその無音の不可能性について、聴取の極限としての主体の捉え方を提示する方法として、4'33''を捉えることができないか、と講義中に思って、最後の感想でそういった。そのうちこの視点でまとめることができればいいかも。

・文芸誌からいくつか読む。
文藝 秋号
 長野まゆみ『改造版 少年アリス(冒頭)』
 鹿島田真希『女の庭』
 福永信『一一一一』
新潮 8月号
 東浩紀『ファントム、クォンタム 第二回』
群像 7月号
 舞城王太郎『イキルキス』
 蜂飼耳『城跡』(読んでるところ)

・ライブでのアイディアが一つだけ浮かんだ。今のところ、コンピューターを使う方向で検討中。

・そうそう、BlueNote東京でレジーナ・カーターのライブを見た。

レジーナ・カーターは黒人女性のジャズヴァイオリニスト。じつは彼女の前はシダー・ウォルトンというビッグネームで、そちらを見に行く予定だった。実は会社の福利の一環でまれに優待価格でBlueNoteを見に行けることがあり、今回もその企画だったため、ミュージシャンが変わってもまあ見に行くか、となったのだった。

ライブは非常に良かった(批評家失格)。やっぱりうまいよね、トップレベルの人は。レジーナ・カーターは、顔つき等は緊張しているようにも見えるが、演奏のときの体の使い方や運指などはリラックスしきっているよだった。これだけの演奏をすることができる人材が、少なくはないだけいるのだから、僕らみたいなアマチュア/アンダーグラウンド系のミュージシャンも、音楽を人に聞いてもらうからには彼女らのような演奏家がいることも考えた上でヘタウマな演奏なり何なりをしなければいけないよな、と思いました。もちろんうまければ良い訳ではないし、ある種のハイテクニックが作り出す熱狂は思考停止を伴いがちだし、ライブでの一体感はある意味全体主義的な神秘性をもたらしてしまう可能性がある。とはいえ、そこに生じている感情の高ぶりを無視するのは、それはそれでやはり思考停止でしかない。

レジーナ・カーターの他はアコーディオン、ベース、ドラムのカルテット構成。特にバラード等のとき、中間層の薄さが気になる演奏だったため、後一人いても良い気もした。勝手に追加メンバーを想像すると、ドン・バイロンかクリス・スピードがクラリネットで入ると、中間層の不足を補うということはできないが、しかし全体のカラーとして少なくとも僕好みの内容になるので、そういう演奏は聴けたら良かったな。補うということであればギターが良い気がするが、その場合ビル・フリゼールはどうか。しかし彼の場合はちょっと個性があり過ぎ、レジーナ・カーターの音楽にはならなかっただろう。そうであるならカート・ローゼンウィンケルあたりのエレクトリックな感じが入ると良いかもしれない。あるいは、ラッセル・マローンのようなもろジャズ・ギターな人選でも、確実に全体のバランスを整えることはできただろう。

と、最後は何となく理想の日本代表を考える高校生みたいな感じになった。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』

・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』を読了。やはり難しい部分が多く、全然わからん箇所がいくらでもあるが、それでも非常に考えさせられる、ある種感動的な著作であった。

ゲーデル以前であるので、完全な公理系というものへの信頼、というか憧憬は強く感じられ、そこについてはなんと無しに切ない気持ちになる。しかし、すでに彼は公理では記述不可能な領域というものがあり、そこへは公理ではたどり着くことができないことを知っていた。であるとすれば、その記述不可能な領域を示すためには、記述可能な領域の境界まで公理を行き届かせなければならない。そのことによってのみ、我々は我々自身を知ることができる。

しかし実はそのような記述可能な世界を記述し尽くすことはあまり難しいことではない。なぜなら、記述できることはすべて自明な事柄、言い換えればどんな場合にも成り立つ命題=恒真命題であるのだから。


4.12
命題は、現実のすべてを叙述できるが、それを叙述しうるために現実と共有すべきもの、すなわち論理的形式を叙述することはできない。

5.6
私の言葉の境界が、私の世界の境界を意味する。

6.5
人が語りだすことのできぬ回答に対しては、人は問いをも語り出すことはできない。
謎は存在しない。
ともあれ問いが発せられる以上、その問いは、答えることのできるものである。



しかし、これほどいろいろ引用したくなるような著作というのもなかなか無いのではないか。単純に文章の形式が極端に文章の短い断章であるというだけかもしれないが。

なんにせよ、これから幾度か読み返さなければならない作品である。

Sunday, July 13, 2008

Liveやります

以前円盤に誘ってもらった川染喜弘さん(そのときは(音がバンド名)として)からまたお声をかけていただきまして、ライブをやることになりました。
日時:2008/08/10(Sun)
場所:高円寺studio dom

出演者は僕を含めて5名のようで、現時点で以下の方の出演が決まっているそうです。
川染喜弘
中川昭徳
神田聡
杉森大輔
そもそも会場が練習スタジオなので、一体全体どういうイベントなのかわかってませんが、詳細わかり次第また告知します。ノイズ〜音響系のイベントになるものと予想しています。
ちょっと僕も詳しい状況を把握してないので語尾が曖昧ですが、8/10は是非!

Sunday, July 06, 2008

ゲーデル入門

ゲーデルの哲学——不完全性定理と神の存在論


・高橋昌一郎『ゲーデルの哲学——不完全性定理と神の存在論』を読んだ。世に入門書は数多あるが、本書はまさにゲーデルの不完全性定理と彼の哲学に入門するのに最適な良著だ。以下、簡単に本書のメモ。

 ゲーデルの不完全性定理とは、たとえば数学をとりあげたとして、数学の語彙で記述されるにもかかかわらず、数学的に証明することのできない命題が存在するということを示した定理だ(ここで記述可能性と証明可能性が別物であることに注意が必要)。僕の拙い理解で言えば、「この命題は数学的に証明することができない」という命題を、数学的に「記述」することができるということだ。もちろん、この命題を数学的に証明しようとすれば、もとの命題が自己矛盾を起こす。従ってこの命題を数学で証明することはできない訳だが、ゲーデル以前の数学界では、全ての数学的問題は数学によって記述できるであろう、したがって我々はそのような体系を構築せねば成らない、という理念を持っていた。この理念はラッセルとホワイトヘッドの『プリンキア・マテマティカ』に集約される。ところがゲーデルの証明はこの理念に完全に引導を渡してしまったのである。

注意すべきは、数学で表記される体系内に矛盾が入り込む、ということではない。逆に、無矛盾であるシステムには、そのシステムの公理に依っては証明することの不可能な命題が存在する、というのがゲーデルの不完全性定理である。本書での不完全性定理の記述を引いてみよう。

第一不完全性定理:システムSが正常であるとき、Sは不完全である。
第二不完全性定理:システムSが正常であるとき、Sは自己の無矛盾性を証明できない。

ゲーデルはこの不完全性定理から、唯物論は論理的にあり得ないことを導いた。経験や観測などから導かれる自然科学的な認識論では、そのシステム内部で記述できないにもかかわらず、人間に依って確かに認識可能な事象が存在するからである。人間精神は脳神経のシステムに還元はできない。なぜなら人間はその脳システムによって記述可能である領域よりもさらにメタ方向にある論理にたどり着くことができるからである。

・ゲーデルの不完全性定理のポイントは、システム内にそのシステムの文法での証明を拒む特異点が存在するという所だろう。そして現代思想においては、この極点こそが注目されていたところだ。浅田彰のいうクラインの壷や、ラカンの対象aなどが代表例だろう。ある体系において自己言及と、自己否定が絡み合うと、そこにこのようなパラドックスが生じる。例えば、このブログでは嘘だけを書いている。

・と、ゲーデルについて読んだので、以前に買ったまま眠っていたウィトゲンシュタイン『論理哲学論』(論理哲学論考の方が一般的)に挑戦しようかと思っている。まあ読み通せたら上出来か。しかし『論理哲学論』はいろんな出版社から出てるよね。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』

・そういえばダグラス・ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』も読み止しで放置したままであるなぁ。あれはドゥルーズ『アンチ・オイディプス』と同時に読みはじめて、どちらもまだ読み切っていない。

Friday, July 04, 2008

日記 2008/07/04

・久しぶりに新宿で買い物。バーゲンセールである。特に学生時代には新宿まで洋服を見に行くことはしょっちゅうだったのだが、最近はめっきり少なくなってしまった。だって洋服買い出すとお金かかるからね。というわけで、ほとんど冬のセール以来のご無沙汰で洋服の物色をし、色々、といっても仕事帰りだったので伊勢丹にあるショップのみだが、見て回った結果、まずいくつか欲しい靴があったけれどもサイズが無いため、あるいは高いため、それらの靴はとりあえず断念。次に洋服。Comme des Garconsの今シーズンは好みに合わず。2FのセレクトショップでKris Van Asscheの隣にあったブランドのカットソーが良い感じだったが、値段と折り合いがつかず。そんなこんなで本日は戦果無し。

・新宿に来てDisk Unionに寄らずに帰る訳にはいくまい。ということで、いつものUnion本店6Fで、こちらはいくつか購入。

  • A Young Person's Guide to Antonie Beuger

  • Rhori Davies, Simon H.Fell, Mark Wastell / LODI

  • Eva-Maria Houben / von da nach da

  • dafeldecker, kurzmann, fennesz, o'rouke, drumm, siewert

  • David Grubbs / The Spectrum Between

  • Gordon Mumma / Live-Electronic Music

  • Yasunao Tone / Solo for Wounded CD

  • 暴力温泉芸者 / OTIS


しかし、いまだ引っ越し先でオーディオがまともにならせる環境に成っていない。スピーカーケーブルが届かないのです。しかたがないからヘッドフォンで聞きましょう。

・新宿タワーレコードに寄り、アラザルが店頭に並んでいる姿をようやく目にする。とりあえず3カ所に陳列していただいていることを確認。ありがとうございます。そしてそのうち一カ所が、菊地成孔/大谷能生『M/D』、菊地成孔『服は何故音楽を必要とするのか?』、大友良英『Musics』という、全員尊敬してます!という著作の並びにアラザルが!すばらしい。担当者の方に一言挨拶すると、順調に売れている模様。ご購入頂いた皆様、ありがとうございます。

アラザル@新宿タワーレコード

Saturday, June 28, 2008

読書

・平田オリザ『演劇入門』読了。氏がこれまでに行ってきた演劇ワークショップなどで培われた、あるいは再認識された演劇感について、極めて平易な文体で記述された、戯曲を書くための入門書。かなり具体的な記述で戯曲の書き方が書かれていて驚いた。また現代演劇に於ける、あるいは現代の諸芸術全体に於けるリアリズムのあり方についても触れられており、たとえば文中にあらわれる「伝えたいことは何も無い。でも表現したいことは山ほどあるのだ。」といった主張など、この本が書かれた90年代の空気も多分に反映されていると感じる。

平田オリザ『演劇入門』

・島田虎之介『トロイメライ』を読んだ。面白い!前の『ラストワルツ』も面白かったが、本作はより大作感がでている。ちょっともう一回は読まないと感想を言えないけれども、なんというかレトロな感じの画風の陰で、極めて緻密に各コマの構図を作り込んであることがわかる。『トロイメライ』も『ラストワルツ』も書店で偶然見つけたのだが、今調べたら『東京命日』という作品も出ているらしい。読まねば。

島田虎之介『トロイメライ』

・今はボルヘス『伝奇集』を読んでいる。

ボルヘス『伝奇集』

Wednesday, June 25, 2008

アルゴリズム図書館

InterCommunication No.65に掲載されている山本貴光「コミュニケーションの思想 - バベルの塔からバベルの図書館へ」を読んだ。このなかで著者は、発展したインターネットがバベルの図書館へと変貌する可能性に触れている。

バベルの図書館とは、(とりあえず全ての言語がアルファベットで記述されていると仮定し、)あらゆるアルファベットの組み合わせを用意した図書館があれば、これまでにあった著作はもとよりこれから書き起こされるであろう書物や、明日の競馬の結果などの記述もすべてその図書館から見つけ出すことができるというボルヘスの空想小説のことだ。そしてそのアルファベットというのをビット配列に読み替えればコンピューター上でバベルの図書館を再現することは理想的には可能であり、それが可能と成ったときにはその情報の洪水の中から如何にして有用な情報をマイニングするかが今後のコミュニケーション理論を考える上で重要と成るだろう、という論旨であった。

山本氏はインターネット上にバベルの図書館を用意することは、その記憶領域の確保の問題であると考えているようである。しかし任意のビット配列を取得するのであれば、じつは別段記憶領域等は必要ない。たとえば1という数字を記述した文書を必要とするときには、1桁のビット配列で、0から始めて2番目に得られる値を要求すれば良い。任意の長さの任意の文字列ということであれば、それこそその文字列の長さの分だけ、ランダムなビットパターンを返すよう要求すれば良く、またその要求に応えるプログラムなど(基本的には)数分もあれば作成可能だ。それぞれのデータに対して一意性が必要なのであれば、データの桁数と、先頭からの番号さえあたえれば全てのビット列を特定することも可能である。ただし、この場合取得可能なデータと要求するデータは全く同じ情報を持つことに注意が必要である。つまり「本日は晴天なり」という文書を要求するために、「「本日は晴天なり」という文書を送信せよ」と問い合わせなければならなくなる。これは彫刻は既に石の中にあり、あとはそれを取り出すだけでよ意図する主張と何ら変わるところは無く、このような主張はこれまでにいくらでも考えられてきたことだろう。もちろん山本氏はそのことを百も承知で、その冗長な情報の洪水の中から意味のある情報を体系づける仕組みを考えることが可能かもしれないと考えているのかもわからない。しかし繰り返すが、そのようなことはホワイトノイズの中からモーツァルトの音楽を取り出すことができると言っていることと同じで、ほとんど意味がない。

電子計算機という、アルゴリズムによって駆動し、データを出力することが可能な機械は、このように意味と無意味を際限なく作り出すことができる。結局その意味を作り出す論理の構造を改めて問い直す作業は現時点で可能であるかもしれないが、その作業が不毛であるであろうことだけはゲーデルによって証明されてしまっている。そういったことを先延ばしにしつつ、無意味を無意味のまま、意味に回収されない形で戯れさせること。あるいはそのような試みこそが現代において求められているのかもしれず、いくつかの心当たりは諸兄の中にもあろう。

Tuesday, June 24, 2008

アラザル続報

アラザル』の書店販売が始まっています。

これに伴って制作した帯に、『M/D』『東京大学のアルバート・アイラー』『官能と憂鬱を教えた学校』など、菊地成孔との多くの音楽書の共著で知られる大谷能生氏に推薦文を頂きました。ありがとうございます。

STADIO VOICE 2008/7号『本は消えない!new printed matter』の文学フリマ特集で取り上げていただきました。
また以下のサイトでも取り上げていただきました。
CINRA.NET
STADIOVOICE ONLINE
ありがとうございます。

現在、『アラザル』は以下の書店/オンラインショップで購入できます。
・ABC本店
・ABC六本木店
・タワーレコード新宿店
・タワーレコード渋谷店
・紀伊国屋書店 新宿本店
・ジュンク堂 新宿店
タコシェ
・円盤
・高円寺文庫センター
・百年(吉祥寺)
・汎芽舎(神戸)
・シネ・ヌーヴォ(大阪)
Headz

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。税込み500円。

日記 2008/6/24

・最近個人的に忙しかったが、だんだん仕事の方も忙しくなってきた。

・フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は読了。人間存在とは何かをめぐる、ある意味とても古典的な小説。面白かった。続いて滞っていたケージの『小鳥たちのために』の続きを読むが、何章かすすんだところでまた脱線。『ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編』を読む。

ひぐらしのなく頃に

ライトノベルを読むのは初めてだったが、なるほどこれは相当にキャラクター中心で神話的な世界であるなあ。特定の視点を境に世界が正反対に反転してしまう様子を、そいういえば上巻と下巻での鮮明なトーンの違いがあるように、物語構造的にも作り出していた。

今は円城塔『オブ・ザ・ベースボール』を読んでいる。中編「オブ・ザ・ベースボール」は読了し、これまた面白かった。円城は常に作品世界で起こった事実のみの積み重ねから、しかしあれだけ笑わせる文体を紡ぎ出すのだから、なんともたまらん。といってもまだ読むのは2作目だが。

オブ・ザ・ベースボール

Sunday, June 22, 2008

日記 2008/6/22

・いろいろ雑用が多くて更新が滞っている。今日はようやく無線LANを買ってきて、家の中のネットワークの設定。なんだかんだ言ってネットワークにつながる機器はたくさん持っているので、つなげて確認するだけでもちょっと面倒な作業。せめてコンピューター関連の仕事をしていたおかげで、作業自体は普通に終わる。まあ難しいことは何もしていないが。

・今日はICCで坂本龍一+高谷史郎《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》の特別上映を見る。以前ICCで行われた同盟のインスタレーションがDVDされ、それを上映する企画。さすがのクオリティですばらしかったが、アブストラクトな映像と音響が続くだけに途中からものすごい眠気が(笑)。いや、しかし本当にすばらしい作品だと思う。

・上映が終わるとすぐにICCを出て銀座のApple Storeに行き、Max5大作戦に参加(聴衆として)。プレゼンテーションは無難に良かったが、ライブパフォーマンスはあまりこれというものが無かった。

・ちなみにICCではInterCommunicationの0号3号4号を購入。たしかにこの頃の執筆陣はもの凄い。いつ頃ちゃんと読めるかわからないが・・・

InterCommunication vol.0

Monday, June 16, 2008

結婚しました

bouquet
私、杉森大輔はこの度結婚致しました。
結婚式にご参列頂いた皆様、ありがとうございました。
おかげさまで好天にも恵まれ、清々しい結婚式とすることができました。

これからは妻、智子と共に皆様のお役に立てるよう、切磋琢磨して参ります。
今後とも我々夫妻にご贔屓賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

Wednesday, June 11, 2008

アラザル, coming back soon!!

アラザル

ついに『アラザル』の店頭販売を開始します。

2008年春の文学フリマにて好評頂きました『アラザル』ですが、店頭での販売を開始することになりました。現状、以下の店舗で取り扱っていただける予定です。

Headzオンラインストア
・新宿タワーレコード
・渋谷タワーレコード
・ABC本店
・ABC六本木店
・紀伊国屋書店 新宿本店
・ジュンク堂 新宿店
・タコシェ
・円盤
・高円寺文庫センター
・汎芽舎(神戸)
・シネ・ヌーヴォ(大阪)

引き続き『アラザル』を宜しくお願い致します。


アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。税込み500円。

日記 2008/6/11

SuperCollider

・マイケル・ナイマン『実験音楽』読了。各時代ごとの実験音楽の成果についての評価を集めた、資料として価値のある本だった。良くも悪くも、ナイマンの思想や作品に対しての批評的立場を明らかにするためのものではなかったと思う。ただ、どのような「実験」が当時の音楽の先端で起こっていたかを知る貴重なドキュメントである。

・非常に安易な影響の受け方だが、その『実験音楽』を読んで、ちょっとアイディアが浮かんだのでコンピューター用の音楽作品を作っている。作っているといっても、作曲=コンセプトみたいなものなので、すでに作曲は終わっているが、プログラムを書いている途中なので音はまだ無い。名前もまだ無い。ちなみに音を鳴らす部分はSuperCollider、コントロールする部分はRubyで書く予定。

SuperColliderはイマイチこれまで使えるようにならなかったのだが、今回調べながら書いてみて、少しだけ前進した。鳴っている音を滑らかに変化=コントロールする、という普通のことなのだが、今までは単純にやり方がわからなかったため、別にMax/MSPでいいじゃん。ということになっていたのだ。今回は同時に相当たくさんの正弦波を扱う予定なので、そういうのはMaxではできないためSuperColliderに。あとは「滑らかに」っていうコントロールのクオリティはMaxだとイマイチだが、SuperColliderは相当良い。

・ちなみに、名前がついていないと書いたが、こういうプログラムとかって大元の名前が決まっていないといろいろ不便だ。プログラム名やフォルダ名なんかが決められない。後から変えるといろいろ修正しなくてはいけない。一括置換するのは怖いし。JavaだとEclipseのリファクタリングで一発なんだが。

・なんだか急にコンピューターの話が多くなってしまった。若干不本意である。

・今は高校生のときくらいから本棚にあった(気がする)フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいる。

フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

Thursday, June 05, 2008

日記 2008/6/5

・披露宴用の選曲をするために実家までCDを取りに帰る。実際に使えるかはあまり考えず、まあきれいな感じの、女性ヴォーカルなんかいいのかな?とか、あ、サティも持って帰ろう、などかいつまんで選び、30〜50枚くらいキャリーで持って帰る。

・その前にせっかく寄ったからということで、高田馬場の小さい方のBookOffで文庫を中心に江藤淳やヴォネガット等を数冊購入。

・キャリーでも重い。

・しかし引っ越し以来、普段使っていた眼鏡が行方不明。一応もう一つ主に家でかけていたスペアがあるので何とかなっているが、なかったらまあ引っ越し自体ができなかっただろう。そういう意味ではこのスペアがあったために普段使いの方をロストしたとも言える訳だ。あとmac用の電源アダプタも紛失中。現在、会社のアダプタを持ち歩いている。偶然、iPhoneの調査用に仕事用macを調達したところだったので助かる。

・しかし本当にこういうくだらない日記的なものは別に書かなくても良いのでは?という気もする。どうなんだろう。まあ書くことでなにがしかのアイディアの種みたいなものを残しておくことはできるかもしれないが、菊地成孔が(日記で)書いていたが、こうやって自分の書いた物を公開してそれに対してリアクションを求めるような態度は、如実にナルシシックな態度であるのは確かだろう。それでもとりあえず続けておかないと、ちょっとした思いつきを書こうという気にすらならなくなりがちだから、かけるうちはやっぱり続けようか。というかそもそもブログはそういうメディアである訳よね。

Wednesday, June 04, 2008

日記 2008/6/4

・今日は仕事で午前中は横須賀の方まで。遠い。

・しかしその分本を読む時間ができるのはありがたい副作用。引き続きナイマンの『実験音楽』を読む。

第一章では実験音楽での記譜法について、実験音楽家たちがいかなる方法でそれまでの確定的な音の記述を避け、音楽を生成するルールの制作、つまりメタ音楽記述を行っていたかを詳述してあった。古典的な西洋音楽においては、楽譜に記されるのは発音される音(音程、持続、強度)を直接指定するものであるが、実験音楽の楽譜ではそれらの音を発音するためのゲーム的なルールが記述され、演奏家はそのルールに沿って演奏=playすることが求められる。しかしこの位相のずれは、例えばメディアの内容はメッセージであるが、メッセージとはまた別のメッセージのためのメディアであるという有名なマクルーハンの命題と符合する。結局作曲とは何であるか、あるいは音楽とは何であるかという命題が包含するべき領域というのは、それぞれの文化的コンテキストによって様々に変容するものだし、カルチュラル・スタディーズが問題にしてきたのもそのような文化の諸位相の多様性だろう。

・帰りにいくつかの書店を廻ってInterCommunication 65、新潮6月号、ユリイカ6月号『マンガ批評の新展開』、東浩紀×桜坂洋『キャラクターズ』を購入。

・しかし知ってはいたが、InterCommunicationは今号で休刊との事。僕は例えば現代思想などへの興味は、メディア論的な言説をInterCommunication経由で読み出してから持ったといえるし、だから批評に興味を持つことになったり、実際に批評的な何かを書くということについて間接的でも最も大きな影響を受けた雑誌は、僕にとってはInterCommunicationだといってよい。どうやらこの雑誌が最も重要性を持っていたのは90年代であったようで、僕が読み始めたのはつい最近(とはいえないか)の2004年からだから、その最もアクチュアルであったろう時期のInterCommunicationの需要のされ方はあまり伺うことができない。しかしバックナンバーをわざわざ購入して読もうと思うのも、扱う内容がアクチュアルであるが故、その陳腐化というか、そのままに受け取ることができない部分があっても、やはり何がしかの雑誌がもつ意志がこめられていたからだろう。休刊は非常に残念な知らせである。

InterCommunication 65

Tuesday, June 03, 2008

日記 2008/6/3

マイケル・ナイマン『実験音楽』

・スチュアート・ホールの本を読了したので、佐々木敦の第二期BRAINZで薦められていたマイケル・ナイマン『実験音楽ーケージとその後』を読み始める。本当に読みはじめで冒頭しかまだ目を通していないが、様々な実験音楽の楽譜などを例示しながらの説明は非常にわかり易そうだ。

・できれば第二期BRAINZ『4分33秒を/から考える』をふまえて、一度4分33秒についてまとめてみたい。

・今仕事でiPhone用のアプリ開発の調査をしている。アプリの開発はおそらく多くの人が想像している通り、プログラミングによって行うのだが、開発するアプリの種類によって使う言語が様々ある。有名なのはUNIXなどのOSを記述しているC言語や、最近多くのWebアプリケーションの開発に使われているJava、あるいはブラウザ上で動作するJavaScriptなどだろう。iPhoneではObjective-Cという言語が使われていて、今日はそれにLuaというスクリプト言語をのせることはできないか調査していたのだが、ともかくもいろいろな言語を知るにつれてそれぞれの言語ごとの思想がわかるようになってきて面白い。で、まさにプログラミング言語の扱う論理を記述する性質と、記述不可能な地点にあるそのプログラムを実行するエンジンの関係、じゃあそのエンジンは何で書かれているの?というちょっとトートロージーめいた議論、この辺りについて書かれているのがSelf-Reference ENGINEの一部で、やりたいことが多すぎるきらいもあるが、この辺りもう少しまとめて考えてみたいです。

Sunday, June 01, 2008

日記 2008/5/31, 2008/6/1

・実家に帰る。ついでに高田馬場のBookOffに寄る。早稲田口方面じゃないほうの、おっきい方の。で、ここまだ知らない人は行くといいですよ。なんか普通のBookOffとは経営形態が違うらしく、品揃えが異様に充実してます。例えば昨日みた範囲では、ドゥルーズ『反復と差異』、『アンチ・オイディプス』、『記号と事件』、ベケット『マウロンは死ぬ』がありました。『マウロンは死ぬ』はこのまえわざわざ北海道の古書店から取り寄せたところだったのに、その店の半額で売っていた!しかも、文学ではなく演劇のコーナーという、わっているのかいないのかよくわからない(いや、わかってなくて演劇コーナーっていうのもあり得ないとは思うが)売り方をしていた。で、昨日はカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』、アルチュセール/ランシエール他『資本論を読む〈上〉』他、ほぼ初挑戦の西尾維新と那須きのこのライトノベルなどを購入。

・そういえば引っ越し直前に目白のBookOff(こちらは異様に店員の接客がうざったく、なるべくなら入りたくない感じがあるのだが)では単行本半額セールという、他の店舗でもやっているのかよくわからない、あからさまな在庫処分セールを行っていて、おもわず荷物になるにもかかわらず10冊ほど購入してしまった。そこではウンベルト・エーコ『薔薇の名前<上>』、舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』、諏訪哲史『アサッテの人』などを購入。

・実家では残してあるCDの中から、高校生の(ハードロック小僧だった)ときに愛聴していたInner Galactic Fusion Experience with Richie Kotzenを聴く。
Inner Galactic Fusion Experienc eWith Richie Kotzen
Richie Kotzenは日本的には1999にMr.Bigに加入したことで知名度を上げたらしい。Mr.Bigでの演奏は聴いたことが無いが、テクニカルでエモーショナルという、言葉にするととっても日本人好みのギタリストで、彼個人の資質としてはファンクなどの黒人音楽がベースにあるというのが、他のテクニカル系ギタリストとの大きな違いだった。このアルバムではいわゆるプログレ経由のフュージョンを展開している。当時僕はこういうのがジャズだと半分くらいは本気で思っていて、即興演奏が好きだったこともありよし、大学に入ったらジャズ研に入ろう、とこのアルバムを聴いて思った、とまでは言わないが、相当にギタープレイの高度さとテンションに引き込まれたものだった。おそらく大学でハードバップ等を演奏しているときにこれを聞き返しても何も感じるところは無かったかもしれないが、今回このアルバムの最後に入っているアコースティックのバラード(ハードロックのミュージシャンはアンプラグドという形態でバラードを演奏するのが非常に好きなのである。要するに演歌だ。)を聴こうと思ってその他も聞いてみると、やっぱりなかなかにかっこ良い。パンク以外は許せん。という人には薦められないが、これはこれである種の様式美だ。しかしこれをフュージョンと呼ばせてしまうところに、「フュージョン」という言葉のいい加減さというか、寛容さというか、そういったものがあって、これはクロスオーバーという言葉との違いがあるのか無いのかも良くわからないのだが、この辺り少しまじめに考えてみようかとも考えている。何を持ってフュージョンなのか?8ビート/16ビートか?電気楽器か?ジャズロックとは?などなど。具体名を出すと、Mils Davis, Return to Forever, Jeff Beck, King Crimson, Area, Herbie Hancock, Maceo Parker, Donald Byrd, Kenny G, David Sanborn, Jamiroquaiあたりか。

・今日は実家に帰ったついでに髪を切ってもらう。まあ、前よりはすっきりしたか。

・帰ってきていい加減一部屋に押し込めて放置していた段ボールの類いから荷物をなるたけ整理。ようやくこの部屋が物置でないことがかろうじてわかるようにはなったかまだなっていないのか。

Friday, May 30, 2008

Self-Reference TEXT


スチュアート・ホール


今は青土社現代思想ガイドブックシリーズの「スチュアート・ホール」を読んでいる。スチュアート・ホールはカルチュラル・スタディーズの創始者の一人に数えられるイギリスのいわゆるニューレフトの知識人だ。このシリーズでは他にジャック・デリダの解説書を読んだことがあるのだが、その本は非常に面白かった。ただデリダの思想について解説を加えるだけではない、デリダ的エクリチュールの実践としてのテクストが展開されていて、非常に本として読み応えがある刺激的なものだった。これまでのところ「スチュアート・ホール」についての本書がデリダ本ほどのインパクトを持っているようには感じられないが、ふと、ある人の解説本を読むということは、一体どういうことなのかが気になった。

そもそもデリダならデリダの思想について知ろうというとき、解説本を読むくらいなら原典を当たれという至極真っ当な意見を見聞きすることがある。当然それはそうなのだろうが、やはり難解な思想家なり何なりについてまずとっかかりでも掴んでみたいというのも無理からぬことだろう。しかし、なぜ原典より解説本のほうが解り易いのか。解説本はあくまで解説を施している対象の著者なり著述なりについて二次的に記述=翻訳されたものであるはずで、であるとすればもっとも理解に易いのは原典の方であるはずだろう。もちろん言葉遣いのような技術的なレベルで分かりやすさを上げることも可能だろうが、しかしそれ以前に原典はそれ自身が自己の内容についての説明を行っている訳ではないという、自明な事実にその非容易性の多くを負っているはずだ。我々が著述を行うとき、どんな記述であっても(それは思想や文学といった人文系の書物に限らず、科学技術のプログラムや音楽の譜面についても同様だろう)、その記述=エクリチュールはそれ自身について記述することはできない。今まさに生成されつつあるこの文章についての解説は、別のテクストにゆだねるほか無い。この自己への限りない到達不可能性によって、こと思想というその自己正当性を保証することを求められる形式のテクストは、その読解を他者へとゆだねざるを得ないのではないか。そしてその読解の多様性をこそ現代の思想は考えてきたはずである。

この自己への言及/到達不可能性については、円城塔『Self-Reference ENGINE』で改めて考えさせられた。この作品、読了したが、本当に刺激的で、そのうち少しはまとめてコメントしてみたいところだ。

ジャック・デリダ

Wednesday, May 28, 2008

日記 2008/5/28

・amazonから円城塔「オブ・ザ・ベースボール」とサミュエル・ベケット「名づけえぬもの」が会社に届く。今までは実家暮らしだったので、平日に家に届いても問題なかったのだが、今は平日昼間の家には誰もいないので初めて会社宛に届けさせてみた。

・ベケットは「モロイ」を買ったときには普通に手に入ったのが、実は今はなかなか手に入りにくい、という話を文学フリマの前のアラザルの飲み会で聞いて、じゃあ手に入るものは買っておこうかという貧乏根性丸出しでアマゾンを検索、3部作のうちとりあえず「名づけえぬもの」だけは購入できるらしい、ということで注文したのだが、先日「注文した商品は入荷できませんでした」という旨のメールが届くも、再度amazonを検索すると「3点の在庫」というような表示で未だ発売中とのこと、それではとこちらも再度注文してみると何のことは無い翌日に会社に届けられた。これは一体全体どういうことだったのか。前注文したのは古いハードカバーの版で、今回注文したものは新しいソフトカバーの版、ということだろうか。しかし「入手できない」といっていてこのような状態だと信頼感は減らざるを得ない。普通の書店ではあり得ないだろう。

・とはいえ、すでに別の古本店で入手済みの「マウロンは死ぬ」も含め、積読本はいやというほどあるので、特に「名づけえぬもの」まで順番が回って来るのは結構先になりそうな予感。

Tuesday, May 27, 2008

日記 2008/5/27

・かなり更新が止まっていましたが、文フリで力つきた、という訳では決して無く、既にして更新作業に飽きた、というわけでもとりあえずは無く、実は先日引っ越しを致しまして、その準備で相当に忙しかったのと、引っ越しがすんでからは家でネットに接続することができないという、現代人にとっては極めてクリティカルで物理的な限界(とはいうものの会社では使えるので、日常生活には不自由しなかったのだが)により、更新しようにもできない日々が続いていた訳です。

・新居は神奈川県は川崎市。近くへお越しの方はお立ち寄り下さい。

・しかし僕は全く読書家とは言えないわけだが、引っ越しとなるとそれなりに本の移動が大変であった。多くの本は一つの本棚に収まっていたはずなのだが、いざ段ボールにつめ出すと意外なほど量になった。CD/LPについてはかさばる上、部屋が片付いてからじゃないとオーディオもセットアップされないことが目に見えているため、一部をのぞいて大部分はまだ旧家に残したまま。つまり第2次の引っ越しが残っているようなものか。そういえばギター類も6本くらいあるが、とりあえず普段使うギブソンの2本のみ持ってきた。去年買ったビアンキのロードレーサーは今度乗ってこよう。と思っていたが、そんなこと行ってるとどうせずっと先になってしまうので、これは車で運んだ。

・更新してない間に読んだのはフリオ・リャマサーレス「狼たちの月」、本谷有希子「グ、ア、ム」、ジョージ・オーウェル「動物農場」、あとアラザルの原稿。他にもあった気がするが失念。「狼たちの月」は内戦後に敗走兵となった主人公が、治安警備隊から逃れるために山の中に身を隠しながら、強烈な孤独の中で生き延びる姿を、悠然とした自然の描写の中で浮き上がらせていく作品で、非常に読み応えがあり、感動した。

狼たちの月

・今は円城塔「Self-Reference ENGINE」を読んでいる。いや、これ凄く面白い。ゲーデル的な自己言及の循環の不可能性や、あるいはオートポイエーシス的な自己生成していくシステムを、一つの世界記述言語的に、しかもそれは誤訳しか生み出さないという覚悟の元で淡々と、しかもちょっとオトボケな文体と絶妙なテンポで記述されていく、なんともスリリングな作品。まだ半分くらいしか読んでいないけれども、きっと傑作でしょう。

Self-Reference ENGINE

Tuesday, May 13, 2008

文学フリマ報告

ついに、ようやく、文学フリマ当日。ただし起床時点でいまだ製本されたものを見ていない。本は編集長の西中さん家に納品されているので、まずは西中さん家にお邪魔する。
で、「アラザル」に初対面!だったわけだが、いやなかなかよいものができたのではないでしょうか。装丁も迫力がある。

あとこれまでに作っていたり、録音済みの音源を使ったりして編集した2曲入りのCD-R「OK, I am here.」を何とか制作。前日はジャケットを制作。世界堂であれこれ紙を選んで、家に帰って紙に合うデザインを模索。やっぱり手に取ることができるものを作るのは楽しい。Webとかじゃ伝わらないものは多いね。
sugimori daisuke / OK I am here.

どちらもできたての「アラザル」と「OK, I am here.」を手に、いざ文学フリマへ。身内にも初のお披露目だが、HEADZブースに出店する人や、その他のお客さんにもこの充実度で500円は安い!とのコメントを頂く。いやーうれしいね。内容についても好意的に受け止めてもらえるだろうか。いや、好意的でなくてもかまわないが、せっかくこれだけ労力を使った雑誌なのだから、広く多くの人が読んでくれたらうれしい。しかし実際「アラザル」の売れ行きは好調。「OK, I am here.」は身内向けに好調(押し売り気味)。メンバーの皆の顔がほころぶのが楽しい。皆さん、本当にお疲れさま。一緒に作業ができて楽しかったです。これからもよろしくお願いします。
文学フリマ HEADZブース

で、販売はアニーさんを中心にHEADZスタッフが対応してくれたので、僕らは周りからおー売れた!とか言っているだけだったが、それだけではあれなんで、知人やHEADZの周りにいた人たちのレコメンを頼りに周りのブースを回って色々の雑誌等を購入。えー多分僕は人一倍積読本が多いので、いつ全部の雑誌に目が通せるか見通し不明ですが、力作も多そう。

16:00になり、文学フリマはこれをもって終了!ご来場&ご購入いただいた全ての皆様、本当にありがとうございます。愛してます。

荷物をまとめ、渋谷HEADZ事務所によってからいざ打ち上げ。

渋谷の居酒屋での打ち上げではHEADZに出品していた何人かの作家さんが来ていて、色々話を聞けてよかった。特に大谷さんに僕の原稿についてコメントをもらえたのが最大の収穫。さすがに鋭い読みで、僕が考えていた仕組みというか、構造はほぼ見切った上で、不足点をしていただく。うーむ。一部もう少し議論というか意図を伝え直してみて、その上でのコメントも聞きたいが、長くはないながらに充実したやり取りであった。
アラザルメンバー

終電頃に一度店を出て、なぜか高円寺で2次会。こちらは途中から批評についての座談会のようになり、なかなかに白熱する。こういうのはやっぱり酒が入ってからの方がいいかもね。近藤君とか明らかに普段より饒舌になっていた。

夜が開け、よく考えれば12時間くらい飲み屋にいた訳で、みんなちょっと死にそうな顔して帰路に。でも、これからまだ色々な活動を継続できるだけのモティベーションをもったメンバーがいることを確信し、心強く思う。継続しなければ。

Tuesday, May 06, 2008

日記 2008/5/6

・新しく曲を作ろうと思って、冒頭の和音の展開を考え、録音してみる。楽器はフルートとクラリネット。えーと、クラリネットは一瞬始めてみたことがあっただけで、全然吹けないのだが、全音符の並びだけなら何とかなるかと思ったのだが、実際録音してみて音の酷さに絶句。しょうがないのでフルート2本のアンサンブルにしてみようかと思うも、全然イメージが膨らまず断念。まずいなあ。

・少し前に途中まで読みかけていたイアン・マキューアンの「アムステルダム」を発見し、最後まで読む。

98年のブッカー賞受賞作。最近とは言わないまでも古い作品ではないが、本作は作りとしては小説の王道というか、登場人物の心理や風景などの描写、そして物語の展開の構造などに力を入れた作品だった。普通の人が些細な諍いを元に自滅していくストーリーが描かれているが、最後の場面を読んでいるときに部屋でかかっている音楽が先日買ったzamla mammaz mannaのオトボケ系プログレで、実際の作品もそうなのかもしれないがそれ以上にブラックユーモア的な印象になってしまった。

・そのzamla mammaz manna(ツァムラ・ママス・マンナ、スウェーデンのプログレバンド)だが、なかなかに良い。回転数をかえてコミカルな感じにしたヴォーカルや、必要以上にシンフォニック/荘厳なシンセなど、ゴングほどではないが笑いのツボを押さえつつ、童話的な世界観を展開する。一体歌詞はどんな内容なのか気になる。

【告知】アラザル/文学フリマ

ブースの配置が決まったので、改めて詳細な告知です。

アラザル

アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。2008/5/11(日)文学フリマ、HEADZブース(2F B45)にて発売。税込み500円。

杉森は『カウンター/ポイント』というタイトルで、音楽と写真について、柄谷行人とロラン・バルトを援用して書いています。言及している固有名は、ジョン・ケージ、パウル・パンハウゼン、Sachiko M、大友良英、マリオ・ジャコメッリ、エリナ・ブロテルスなど。

■コンテンツ

【特別企画】佐々木敦インタヴュー
熊谷歩 ギャグ漫画俯瞰 その表象・宇宙から部室へ・そして、労働
高内祐志 ◇ ?
友兼亜樹彦 分裂した手記
永江大 「音楽」における場所とその特性について
黒川直樹 GODARD,DES/SIN.或いは、情熱という女のカルメンについて
杉森大輔 カウンター/ポイント
堀越裕之 静寂のために音が鳴る
安東三 中二病闘病記としての古谷実
畑中宇惟 虚構と現実の間にある「日常」を考えるための7日間
諸根陽介 4分33秒のフリー・インプロヴィゼーション
山下望 +シネマ+/映画史のデヴェロップメント<<試行版>>
近藤久志 chelfitschのこと
西中賢治 一〇〇年目のベイビーズ
西田博至 TO BE, OR NOT TO BE
前田礼一郎 ふえる/かけること
大橋可也 死んでしまえばいいんじゃない
執筆者プロフィール『Question, Answer and more』


[春の文学フリマ2008]
2008年5月11日(日)
11:00〜16:00
東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第2展示室
(JR線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅徒歩1分)
※入場無料、カタログ無料配布、立ち読みコーナーあり
HEADZブース:B45
地図

_________________________________________

文学フリマでは、他にもこんな注目の出店が!!

エクス・ポ、レビューハウス、WB、路地、三太・・・空前のミニコミブーム(?)の中開催される文学フリマ、お見逃し無く!

Monday, May 05, 2008

クラリネット音楽祭

先日「20th Century Music For Unaccompanied Clarinet」を聞いたのをきっかけに、自宅にて現代クラリネット曲音楽祭を開催(笑)。

20/21 - Boulez: Repons, Dialogue De L'Ombre Double / Boulez, Ensemble InterContemporain





1曲目の「repons(レポン)」が有名だが、2曲目のクラリネット曲「Dialogue De L'Ombre Double」も良い。IRCAMというフランスにある現代音楽における電子音楽の総本山で、所長のピエール・ブーレーズの曲を本人が指揮するという(Dialogue De L'Ombre Doubleは独奏曲)、サラブレットな録音。1曲目の演奏はEnsemble InterContemporainというこれまたサラブレットたち。肝心の2曲目のクラリネット曲は、本来なら前後左右合計7カ所に設置されたスピーカーを使って、目の前で演奏されているクラリネットの音をリアルタイムに音響処理し、聴衆の周りをそのクラリネットの音が駆け巡るような感じ、であると思われるのだが、CDに録音されているのはステレオ2chのみなのでその全貌を再現することはできない。ただ、様々な音域でのトリルを繰り返しながら音の定位を次々とかえていく様はスリリングで、しかも音自体がとても良い。作曲された85年という時代性も考えると、(当時)相当高性能なコンピューターを使用していたことが伺える。
このアルバムは名盤なので、機会があれば是非聞いてみるべき。

Stockhausen: Bass Clarinet & Piano



Stockhausen: Bass Clarinet & Piano

シュトゥックハウゼンのピアノとバスクラリネットのソロとデュオを集めたアルバム。所々にコンピューターによる音響処理も入っており、それがさりげなく良い。特に一曲目のピアノソロは断続的に続く和音の連打に、コンピューターの音響がまとわりついて来るその響きがとてもスタイリッシュ。6曲目以降に収録されているデュエット曲「TIERKREIS」は、彼の作曲作品の中では旋律がはっきりしていて取っ付き易い作品だ。冒頭などは「展覧会の絵」のようである。また途中でトイピアノなども使われている。トイピアノがはいるととたんにジョン・ケージっぽくなる。最後あたりで一瞬感動的なメロディをバスクラがグロウ気味に吹いたり、あるいはパーカッシヴなあの奏法(呼称がわかりません)をするあたりなどはデビッド・マレイとか、フリージャズ系の香りも。何にせよ、かなり聞き易い作品であるし、シュトゥックハウゼンの入門には向かないかもしれないが、しかしもしかしたら現代音楽の入門にはなるかも?まあ僕自身がまだ現代音楽に入門したとは言えませんけれども。

Tashi / メシアン:世の終わりのための四重奏曲



Tashi / メシアン:世の終わりのための四重奏曲

タッシの名盤。タッシはこの曲を演奏するために結成された現代音楽カルテットで、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノ、チェロという不規則な編成をとる。アルバムのライナーにあるメシアン自身の解説を読むと相当にキテレツであり、例えば「ピアノはブルー= オレンジの和音でカデンツを奏し、そのはるかかなたのカリヨンの響きでヴァイオリンとチェロの単旋聖歌ふうのレチタティーヴォを囲む。」といった具合。メシアンは相当に神秘主義的な作曲家であり、解説を読んでいるとかなりスピノザ的な感じを受ける。この曲ではクラリネットは中心という訳ではないが、第三楽章「鳥たちの深淵」などはクラリネットソロである。この楽章では様々な音高でのトリルが特徴的。メシアンは鳥の鳴き声を採譜することに執着したことで有名だが、昔から木管楽器(主にフルートが多いが)のトリルは鳥の鳴き声を表すことが多い。特にクラリネットという楽器は木の管に開いた穴を直接指で押さえるという非常に構造的にシンプルな部分があり(しかし両小指に割り当てられたキーは異常に多いのだが)、このような構造を持った木管楽器は今ではリコーダー類とピッコロくらいしか思いつかないが、そのクラリネットのトリルは木の穴を押さえ、離すというフィジカルな運動、木と指の接続/離散の過程がそのまま発音に結びついているため、その運動性を音色として楽しむことができる。クラリネットに於ける鳥の鳴き声の表現ということではエリック・ドルフィーが思い浮かぶが、どちらかというと彼の場合はやはりフルートの演奏の方がより小鳥のような飛翔感がある。本作ではそのようなトリルを含めたクラリネットの旋律が、鳥の歌声の旋律をなぞっていることが非常に良く現れているので、注意して聴いてみると面白いだろう。その他、クラリネットを中心にせずとも非常にすばらしい楽曲であり、チェロとピアノのデュオなど、優美で官能的とも言えるような美しい旋律を聴くことができる。

日記 2008/5/5

ターナー賞

・森美術館で「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」を見た。

まず、この連休で初めて人の集まるところに行った気がする。ああ、こういう感じ苦手だなーと思いました。チケットを買うまでに20分くらい待って。まあ、その後はすんなりでしたけど、入るまでの時点で別の日に来れば良かったなーと思ってしまった。

あと、展望台と美術館のチケットが抱き合わせになってるのね。ちょっと意味不明。しかも最初順路がわからなくて展望台一周しちゃった。最初の印象が(混雑で)悪かったため、別に風景見に来たんじゃない、と不機嫌になりました。どういう政治的な理由があるのかはわかりませんが、美術館が高層にある理由は、少なくとも森美術館に関しては無いですよね。外見えないし。あと明らかに現代美術に興味がなさそうな、作品を横目で見るだけで通過していく人とか結構いて、なんか残念な気持ちにもなりました。抱き合わせは良くないよ。

とはいえ、まあこれ全部最初の印象が悪かっただけで、たしかにもともと美術とかに興味ない人に、とりあえずでも作品に触れる場があること自体はいいですよね。

あ!ですます調になってる!

なんだかいつもと文体かわってきてますが、肝心の展示について。再三繰り返しているように、あんまり落ち着いた気持ちで見れなかったので、あまりぐっと来るものはなかったのですが、やはりデミアン・ハースト《母と子、分断されて》は作品としての強度を感じました。

デミアン・ハースト《母と子、分断されて》

ただ、これは以前モディリアーニ展を見たときも感じたのですけれども、やっぱり広告とか、事前に知っている作品は良く見えてしまうっていうのは避け難くあるよな、と。《母と子、分断されて》は雑誌で現代美術の特集とかあるとかなりの確率で乗っかってるということもある訳で、そいういう事前の知識なしで見てみたいです。こと現代美術はそうかな。

あとは今写真に興味があるのもあって、ヴォルフガング・ティルマンスの一連の作品も好きでした。

ヴォルフガング・ティルマンス《君を忘れたくない》

プリンターで印刷されたものや、フィルムに直接画像をのせるような操作をしたものなどが、さりげない感じで撮影されてあり、しかも作品は壁にテープで貼付けてあったりといった、ある種の気軽さを持って展示されていました。見る側に付加をかけすぎない、良い作品だと思う。

・展示会を出て、有楽町でやっているイタリア映画祭にむかう。フェリーニの「8 1/2」を見る予定だったが、しかし!なんと1時間くらい前についたにもかかわらず、既にチケットが完売していた。なにそれ、どういうこと?どこかで前売りとか予約とかしていたんでしょうか。全然知りませんでした。あー今サイト見たらあるねーありますねー。傷心のうちに帰宅。

Sunday, May 04, 2008

日記 2008/5/4

・amazonから注文していたものが届く。

- Paul Meyer / 20th Century Music For Unaccompanied Clarinet

20th Century Music For Unaccompanied Clarinet

偶然amazonで見つけた現代音楽のクラリネット独奏曲を集めたアルバム。プレーヤーのPaul Meyerの名前はそういえば聞いたことがあるような気もするが、多分気のせい。一聴しただけでコメントするほど聴き込んでないが、そもそも現代音楽に於けるクラリネットが好きで買ったので、とても気に入った。ジャズでは音量の関係でサックスに対して相当部の悪いクラリネットだが、現代音楽ではモダンかつ柔らかな音色が心地よい。例えばメシアンの「世界の終わりのための四重奏曲」(タッシの演奏が有名、というかこの曲のために結成されたユニットだが)のクラリネットもすばらしい。

- 松本大洋 / 竹光侍

松本大洋 / 竹光侍

「竹光侍」は本当に良い。独特の性急ではない、ゆっくりとした時間の表現、コマの中および間の空間の取り方。表情以外にやどる登場人物の個性。独特のパースペクティブによる空間表現、動物たちの会話が作る空気感。そして絶妙な擬音語(!)。松本大洋は本当に唯一無二の才能だと思う。

・文学フリマではできれば音楽作品のCD-Rも持参しようかと思っていて、録音&編集作業をした。しかし、作っているときはいいと思ったものも、編集していくうちにあんまりかな、と思ってしまうこと多数。途中から以前に録音したものの編集をしていたら、新しく録音してものよりも良い感じに。どうなるか。

日記 2008/5/3

 Tape & Minamo / Birds of a feather


・久しぶりに新宿のユニオンでCDを漁る。
- Police / Ghost In The Machine
- Police / Outlandos D'amour
- zamla mammaz manna / 初老の新来者の為に/親しみ易いメロディーの神秘(2枚組)
- zamla mammaz manna / 踊る鳥人間
- Tape & Minamo / Birds of a feather
- Christian Marclay / More Encores
- Ground-Zero / 融解GIG

いや、Policeとzamla mammaz mannaは2枚ずつ買ってしまった。Policeはいいよね。再結成のライブも衛星で見たけど、スティング凄い良かった。zamla mammaz mannaは今までそもそもCDを見たこと無かったので、初めて購入。ラーシュ・ホルマーは大熊亘のSolaでのみ聴いたことがあるけれども、それ以外では初めてなので楽しみ。

・その後下北沢で大学時代の友人と飲み会。久しぶりに会うので様々に盛り上がる。

・その友人の内一人は今中国で働いているのだが、お土産にBob Dylan, Lou Reed, Led ZeppelinのDVDをもらう。向こうでは100円程度で買えるそうだ。いやあ、物価が安いっていいですなあ。もちろん、あれな値段ですが。全て紙ジャケ。つうか、プラケース無しというか。

zamla mammaz manna / 初老の新来者の為に/親しみ易いメロディーの神秘(2枚組)

Friday, May 02, 2008

3月の思い出

3月に仕事の谷間があって、比較的長い休暇を取ったのだが、そのときに色々見たりしたものをまとめておく。

『アレコ』/『新作・世界初演』/『毛皮のヴィーナス』


『アレコ』/『新作・世界初演』/『毛皮のヴィーナス』

佐々木敦のブログで知った、ベルギーのダンスデュオ。音楽をクリスチャン・フェネスが担当していた。
非常にすばらしいダンスで、驚き、感動した。特に冒頭の『毛皮のヴィーナス』がすばらしかった。女性のソロ作品で、最初ダンサーは毛皮をかぶり、グロテスクな未知の生物のような動きをしている。両手がまるで砂の惑星に出て来る大ミミズのようであり、それぞれがお互いに噛み付きあう。そのような非・人間から、女性が、のたうちながら生まれて来る。しかもその女性は両の足を大きく開き、股間をまっすぐ客席の方に向ける形で生まれて来る。ここで、生まれて来る女性=産む女性というような生産の循環構造のようなものが示されていたように感じた。

また、最後のデュエット『アレコ』もすばらしかった。特に男性が女性を殺してしまってから、男性が女性に噛み付きながら(カニバリズム)踊るシーンは白眉で、ちょっと前のことなので記憶が相当に合間なのだが音楽はなっていなかったように思う。少なくとも僕の記憶の中ではそうで、その無音状態の中で二人のダンサー、愛すべき人を殺した男と、死んだ女が、舞台の上で絡み合う様に、しかし悲劇的に舞う様子には落涙しそうになるほどの強度があった。


知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展


知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展

東京都写真美術館で行われている「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展」。すばらしい。かなりの部分が白と黒に塗りつぶされる独特の印刷技術で、生と死を捕まえ、フィルムに定着させている。この展示については「アラザル」の原稿でも触れているので、そちらを参照いただきたい。展示は2008/5/6まで。

公式のサイトで、作品が閲覧可能。


シュルレアリスムと写真 痙攣する美




ジャコメッリ展と同時開催しているシュルレアリスム写真展。ジャコメッリがすばらしかっただけに、ちょっと印象が薄い。冒頭の夜の町の写真と、最後に展示されている昆虫や植物の超至近距離からの接写など、気に入った作品も多くあった。


ジャック・リベット監督「美しき諍い女」




ジャック・リベット特集、日仏学院にて。うーん、ちょっと難しいなぁ。映画は難しいです。面白かったですけど、ちょっとコメントできるほどわからなかった。という感じ。


ペドロ・コスタ監督「骨」他




ペドロ・コスタ特集、アテネ・フランセにて。陰鬱な世界をそのまま写し取り、その映像の美しさ、黒の存在感、録音された音に対する感性など、多くの優れた才能には恐れ入る。


ルノワール+ルノワール展




画家の方のルノワールを中心に見た。さすがに巨匠だけあってすばらしく、やはり言われているように光の表現が見事。映画監督のジャン・ルノワールについては、不勉強で映画を見たことが無い。ただ、広告にも使われている若い女性がブランコを漕ぐシーンは、きわめて短い映像のみが繰り返されていただけだが、その映像詩的な美しさは感動的だった。


モディリアーニ展




プリミティブ・アートに傾倒した時期(それ以前も)を含む、画家としてのモディリアーニを紹介し尽くすような展示で、充実していた。年代順に並べただけかもしれないが、モディリアーニの興味の在処と、プリミティブアートが実際に彼の後期(といっても30代だが)の作品でどのように機能しているかがわかって、構成も良かったと思う。背景や衣服などが描かれている箇所のテクスチャーの平坦さと、顔の陰影のバランスなどが気に入った。


アーティスト・ファイル 2008―現代の作家たち




好きな作家とそうでもない作家とがやはりいた。特に良かったのは、エリナ・ブロテルス、佐伯洋江、さわひらき。エリナ・ブロテルスについてはジャコメッリと同様「アラザル」で書いたので、ここでは割愛。このサイトで作品が見れる。佐伯洋江はシャープペンをつかった異常に細かい線で構成され、洗練された日本的な絵画を制作していた。さわひらきは6つの壁にプロジェクターで映像を投影するインスタレーションを展示。それぞれの映像はきわめて緩慢に変化していく。その変化の時間性がテーマとなっていたように思う。全体として非常に美しい作品だった。


以上、一度に書くと疲れる・・・