Monday, March 14, 2005

ビートルズと芸術論

 芸術とは何か。やはり、「表現すること」こそ芸術の本質であると思うようになった。ここで「表現されるべきもの」は、表現者自身、つまりある個人、または「人間」である。このような僕の考える「芸術観」からは芸能、娯楽は今のところ外れている。わかりやすく具体例を出すと、クラシックは芸術だが、J-Popは違う、ということになる。クラシックにおいてはそれぞれの作曲家、演奏家はその個性をいかに表現するかを問題としているが、J-Popは明らかに芸能、娯楽の分野の文化であり、世の中の空気感、気分、流行を的確に捉え、その中で作家の感情を「伝達」し、「共感を得る」事を最大の目的としている。芸術の分野ではこの「共感を得る」ということに対して意識しすぎることは、どうしても大衆迎合となる危険を多分にはらむため、これを避ける傾向にある。芸術とはある個人(または集団)のオリジナリティを問い、またそれを表現することであり、自分以外の不特定多数に対してアピールすることと、芸術家自身の美意識、問題意識を発揮することはどうしても相容れない部分がある。
 この相反する二つの要素をつなぎ合わせた稀有な存在として、誰もがビートルズを思い浮かべるだろう。彼等は正にこの相容れないと考えられた芸術と芸能をつなぎ合わせる媒質として、そのユーモアとともに個性を発揮して見せた。彼等の作る音楽は、一部それまでにない思われるような和声進行を見つけることができるとはいえ、部分的に見た時に真に革新的といえるような音楽的冒険があるわけではない。たとえばコラージュの手法はピエール・シェフェールやピエール・アンリのミュージックコンクリートによって(あるいはエリック・サティ?)既に実行されていた。ここで重要なのは、彼等が必要としたさまざまな過程を「実践」したことである。彼等の必要とする技術や、アカデミックといえるような手法を、優れたプロデューサーと共に、それまでに考えられなかった形で組み合わせていく過程の中で、彼等にしか表現し得ない音楽の生成プロセスを実践することにこそ、彼等の「芸術家」としての本質がある。
 そう、全ての創作活動は、「実践」こそ最重要な課題である。いくつものテーマやコンセプト、問題意識を「発見」することは、確かに困難であるし意味のあることだが、これを実践することはより重要だ。社会的・経済的に大きな問題を伴うことも多いが、このような障壁を越えようとする意思の中でこそ、芸術がより力を発揮することは過去の例を見ても明らかだ。逆に、このような壁を見つけることがまたコンセプトを発見することにもつながってくるだろう。いずれにせよ、どのような形でも作品を作り続ける意思を持つことが芸術家にもっとも必要な姿勢かもしれない。

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