とはいえ、「どこからどこまで実写で、どこからCGなのか」ということは実はわかりにくい。これはCGの技術が進歩していることもあろうが、むしろ演技を含め、実写の方をCGにあわせていくような作りになってきていることの現れなのではないだろうか。表情の作り方、衣装、化粧、そしてカメラワーク。CGで合成した世界こそがリアルなのであり、彼らの眼前に広がる青いシートは仮想の世界なのだ。
ロボット工学では、ロボットをあるものに似せていくとリアリティを増していくが、一定量以上似すぎると急にリアリティを失う、という。これを「不気味の谷」というらしいが、このままCGが普及し続けた場合、映画において不気味の谷はむしろ実写の側に訪れるのではないか。特にこれからCGを使わない映画をほとんど見たことがない子供も出てくるだろう(特にアメリカ)。彼らにとってのリアルはCGの世界となり、実写の風景はどこかよそよそしいものに感じられてしまうかもしれない。
悲しいかな現状ですでにその兆候が現れてしまっているように、バーチャルな世界への過度の没入は、痛みの欠如、関係性の欠如、感覚の欠如へとつながりかねない。掲示板で罵られても傷つかない。傷つけることを厭わない。嫌われたところで関係がない。痛みのないところにリアリティはないし、感覚のないところに文化はない。CGを感覚を麻痺させるために活用することはやめるべきだ。

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