Thursday, January 12, 2012

エントロピーについて/佐々木敦『未知との遭遇』

佐々木さんの『未知との遭遇』を読んでて、やっぱり価値基準として同意できることが多いなあと思っているのだけど、「エントロピー」って言う言葉をよく使っている箇所があり、しかしこれは明らかに言葉を誤用しているので指摘しておこうと思います。

まずエントロピーの逆の概念として、エネルギーというものがある。エネルギーは誰でもが体感としてわかっているもののはずで、たとえば温度が高いものとか、高速で移動している車とかは、低い温度のものや止まっているものに対して高いエネルギーをもっている。逆に氷なんかはとても温度が低いので、エネルギーとしては小さい。

これに対してエントロピーというのは、こういったエネルギーが高い状態とか低い状態とかが様々に分離している状態では低くなり、それらが渾然一体となった時には高くなるような量であって、エネルギーが低い状態のことをいうのではない。よく言われる例では、コーヒーとミルクが分離している状態と、混ぜられてミルクコーヒーになった状態とでは、エネルギーの総和は同じだが、混ぜられた状態の方がエントロピーは高くなっているわけである。また、コーヒーとミルクを一緒のコップに入れておいて、自然に混ざることはあるが、逆に混ぜられたミルクコーヒーがコーヒーとミルクに分離することはない。つまりエントロピーは常に増大し、減ることはない。ちなみにこれを「熱力学の第二法則」という。この辺りはたしか高校の物理で習います。大雑把にいえば、いろいろな物事があちこちで高かろうが低かろうが大きなポテンシャルをもっている状態を「エントロピーが低い」状態といい、逆にすべてがならされてどこにも特徴がないような状態を「エントロピーが高い」状態という。

で、件の『未知との遭遇』に出てくる「エントロピー」だが、例えばこんなふうに使われている。

このように、たとえ世間一般からしたらマイナーな世界でも、その中で激しいエントロピーが蓄積されると、あるきっかけで一挙にブレイクし、いつのまにかポピュラーになってしまう、という現象が起こり得る。p.93

これは明らかにネガティブなエネルギー、つまり負のエネルギーが高い状態を表現している。したがってこれはエントロピーの低い状態であって、語の誤用である。激しいエントロピーは爆発などしない。というか激しいエントロピーという形容は成立しない、と言い得る。それは事物が徹底的に平均化してしまっていて、何事も生起しない状態のことだからだ。エネルギーの附置(物理ではポテンシャルフィールドといいます)に濃淡があれば、そこに変化が発生し、事件=ハプニングが生じる。ここでこそジョン・ケージの出番があるわけですね。そしてこのような状態を、エントロピーの低い状態と呼ぶわけである。しかし、先に引用したのはオタクたちの内輪的なネタの消費行動の加速=炎上などの現象などを論じている箇所だが、仮にエントロピーが高くなるとすれば、それは対象のネタが消費し尽くされ、極めて「普通」のことになって誰も議題にすらしなくなったような状態をいうはずであり、だからこのようなブレイクを起こしうるのは極端に大きい負のエネルギーでしかありえない(正とか負とかにはこの場合特段の意味はないが)。

では逆にオタクたちはなぜこのようにエントロピーの低い状態を容易に生成しうるのか、というのはまた別の議論として成立し得るだろうが、ここでは立ち入りません。

そういえば、『即興の解体/懐胎』のときも使われている集合論の記述ことで何かおかしいところがあって本人に指摘したこともあったが(そしてこのときも意図自体は理解できるものだったが)、結局「そう言う脇の甘いところが僕なんだよね〜」などとかわされたのだった。しかしこういう理系的な言葉を使う場合は、(当然だけど)あまり間違えない方がいいですよ。こういう細かい突っ込みをしたくなりますからねえ、間違いに気がついた場合に。

とはいえ、本自体は非常に刺激的で、特に三日目の本谷有希子とジジェクが登場してくるあたりはスリリングでした。もっとまともな感想などは書ければ別エントリーで。 

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