このブログで再三お知らせしている批評誌『アラザル』ですが、なんと好調につき編集部に在庫がなくなってしまった模様です。お買い上げ下さった皆様ありがとうございます。
既にHEADZのオンラインストアでは入荷待ちの状況のようです。おそらくそれ以外の書店等ではまだ取り扱いあると思うので、見かけた方は一期一会、できれば一つご購入頂ければ。
あ、今度やる僕のライブでは何冊か手売する予定です。
現在、『アラザル』は以下の書店で購入できます。
(在庫があれば。HEADZは抜きました。未確認ですが他の取扱店もあるようです。)
・ABC本店
・ABC六本木店
・タワーレコード新宿店
・タワーレコード渋谷店
・紀伊国屋書店 新宿本店
・ジュンク堂 新宿店
・タコシェ
・円盤
・高円寺文庫センター
・百年(吉祥寺)
・汎芽舎(神戸)
・シネ・ヌーヴォ(大阪)
アラザルは佐々木敦主催BRAINZ「批評家養成ギブス」の卒業生17人による批評誌。混交する諸ジャンルを貫通する批評実験/実践集。特別企画として佐々木敦のロングインタビュー(3万字)収録。税込み500円。
>アラザル各位
そろそろ次に向けて動きましょうか。
Monday, July 21, 2008
日記 2008/07/20
・第二期BRAINZ『4分33秒を/から考える』終了。受講生の皆さん、そして佐々木先生お疲れさまでした。
4回目までは、4'33''についての解釈についてはこれまでにそこここで聞かれうる範囲を大きく逸脱することは無い、物理的な聴取の有り様とその時間のフレーミングについての可能性や、その他映画等での同寿の試みについて語られてきたが、最終回ではついにというか、佐々木敦の考える4'33''の新たな可能性について、非常にスリリングな話を伺うことができた。
詳しいことはここには書かないので、知りたい人は直接僕(あるいは本人)に聞いて下さい。
僕自身はちょうどゲーデルやウィトゲンシュタインを読んでいたので、無音を聴く主体とその無音の不可能性について、聴取の極限としての主体の捉え方を提示する方法として、4'33''を捉えることができないか、と講義中に思って、最後の感想でそういった。そのうちこの視点でまとめることができればいいかも。
・文芸誌からいくつか読む。
文藝 秋号
長野まゆみ『改造版 少年アリス(冒頭)』
鹿島田真希『女の庭』
福永信『一一一一』
新潮 8月号
東浩紀『ファントム、クォンタム 第二回』
群像 7月号
舞城王太郎『イキルキス』
蜂飼耳『城跡』(読んでるところ)
・ライブでのアイディアが一つだけ浮かんだ。今のところ、コンピューターを使う方向で検討中。
・そうそう、BlueNote東京でレジーナ・カーターのライブを見た。
レジーナ・カーターは黒人女性のジャズヴァイオリニスト。じつは彼女の前はシダー・ウォルトンというビッグネームで、そちらを見に行く予定だった。実は会社の福利の一環でまれに優待価格でBlueNoteを見に行けることがあり、今回もその企画だったため、ミュージシャンが変わってもまあ見に行くか、となったのだった。
ライブは非常に良かった(批評家失格)。やっぱりうまいよね、トップレベルの人は。レジーナ・カーターは、顔つき等は緊張しているようにも見えるが、演奏のときの体の使い方や運指などはリラックスしきっているよだった。これだけの演奏をすることができる人材が、少なくはないだけいるのだから、僕らみたいなアマチュア/アンダーグラウンド系のミュージシャンも、音楽を人に聞いてもらうからには彼女らのような演奏家がいることも考えた上でヘタウマな演奏なり何なりをしなければいけないよな、と思いました。もちろんうまければ良い訳ではないし、ある種のハイテクニックが作り出す熱狂は思考停止を伴いがちだし、ライブでの一体感はある意味全体主義的な神秘性をもたらしてしまう可能性がある。とはいえ、そこに生じている感情の高ぶりを無視するのは、それはそれでやはり思考停止でしかない。
レジーナ・カーターの他はアコーディオン、ベース、ドラムのカルテット構成。特にバラード等のとき、中間層の薄さが気になる演奏だったため、後一人いても良い気もした。勝手に追加メンバーを想像すると、ドン・バイロンかクリス・スピードがクラリネットで入ると、中間層の不足を補うということはできないが、しかし全体のカラーとして少なくとも僕好みの内容になるので、そういう演奏は聴けたら良かったな。補うということであればギターが良い気がするが、その場合ビル・フリゼールはどうか。しかし彼の場合はちょっと個性があり過ぎ、レジーナ・カーターの音楽にはならなかっただろう。そうであるならカート・ローゼンウィンケルあたりのエレクトリックな感じが入ると良いかもしれない。あるいは、ラッセル・マローンのようなもろジャズ・ギターな人選でも、確実に全体のバランスを整えることはできただろう。
と、最後は何となく理想の日本代表を考える高校生みたいな感じになった。
4回目までは、4'33''についての解釈についてはこれまでにそこここで聞かれうる範囲を大きく逸脱することは無い、物理的な聴取の有り様とその時間のフレーミングについての可能性や、その他映画等での同寿の試みについて語られてきたが、最終回ではついにというか、佐々木敦の考える4'33''の新たな可能性について、非常にスリリングな話を伺うことができた。
詳しいことはここには書かないので、知りたい人は直接僕(あるいは本人)に聞いて下さい。
僕自身はちょうどゲーデルやウィトゲンシュタインを読んでいたので、無音を聴く主体とその無音の不可能性について、聴取の極限としての主体の捉え方を提示する方法として、4'33''を捉えることができないか、と講義中に思って、最後の感想でそういった。そのうちこの視点でまとめることができればいいかも。
・文芸誌からいくつか読む。
文藝 秋号
長野まゆみ『改造版 少年アリス(冒頭)』
鹿島田真希『女の庭』
福永信『一一一一』
新潮 8月号
東浩紀『ファントム、クォンタム 第二回』
群像 7月号
舞城王太郎『イキルキス』
蜂飼耳『城跡』(読んでるところ)
・ライブでのアイディアが一つだけ浮かんだ。今のところ、コンピューターを使う方向で検討中。
・そうそう、BlueNote東京でレジーナ・カーターのライブを見た。
レジーナ・カーターは黒人女性のジャズヴァイオリニスト。じつは彼女の前はシダー・ウォルトンというビッグネームで、そちらを見に行く予定だった。実は会社の福利の一環でまれに優待価格でBlueNoteを見に行けることがあり、今回もその企画だったため、ミュージシャンが変わってもまあ見に行くか、となったのだった。
ライブは非常に良かった(批評家失格)。やっぱりうまいよね、トップレベルの人は。レジーナ・カーターは、顔つき等は緊張しているようにも見えるが、演奏のときの体の使い方や運指などはリラックスしきっているよだった。これだけの演奏をすることができる人材が、少なくはないだけいるのだから、僕らみたいなアマチュア/アンダーグラウンド系のミュージシャンも、音楽を人に聞いてもらうからには彼女らのような演奏家がいることも考えた上でヘタウマな演奏なり何なりをしなければいけないよな、と思いました。もちろんうまければ良い訳ではないし、ある種のハイテクニックが作り出す熱狂は思考停止を伴いがちだし、ライブでの一体感はある意味全体主義的な神秘性をもたらしてしまう可能性がある。とはいえ、そこに生じている感情の高ぶりを無視するのは、それはそれでやはり思考停止でしかない。
レジーナ・カーターの他はアコーディオン、ベース、ドラムのカルテット構成。特にバラード等のとき、中間層の薄さが気になる演奏だったため、後一人いても良い気もした。勝手に追加メンバーを想像すると、ドン・バイロンかクリス・スピードがクラリネットで入ると、中間層の不足を補うということはできないが、しかし全体のカラーとして少なくとも僕好みの内容になるので、そういう演奏は聴けたら良かったな。補うということであればギターが良い気がするが、その場合ビル・フリゼールはどうか。しかし彼の場合はちょっと個性があり過ぎ、レジーナ・カーターの音楽にはならなかっただろう。そうであるならカート・ローゼンウィンケルあたりのエレクトリックな感じが入ると良いかもしれない。あるいは、ラッセル・マローンのようなもろジャズ・ギターな人選でも、確実に全体のバランスを整えることはできただろう。
と、最後は何となく理想の日本代表を考える高校生みたいな感じになった。
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』
・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』を読了。やはり難しい部分が多く、全然わからん箇所がいくらでもあるが、それでも非常に考えさせられる、ある種感動的な著作であった。
ゲーデル以前であるので、完全な公理系というものへの信頼、というか憧憬は強く感じられ、そこについてはなんと無しに切ない気持ちになる。しかし、すでに彼は公理では記述不可能な領域というものがあり、そこへは公理ではたどり着くことができないことを知っていた。であるとすれば、その記述不可能な領域を示すためには、記述可能な領域の境界まで公理を行き届かせなければならない。そのことによってのみ、我々は我々自身を知ることができる。
しかし実はそのような記述可能な世界を記述し尽くすことはあまり難しいことではない。なぜなら、記述できることはすべて自明な事柄、言い換えればどんな場合にも成り立つ命題=恒真命題であるのだから。
しかし、これほどいろいろ引用したくなるような著作というのもなかなか無いのではないか。単純に文章の形式が極端に文章の短い断章であるというだけかもしれないが。
なんにせよ、これから幾度か読み返さなければならない作品である。
ゲーデル以前であるので、完全な公理系というものへの信頼、というか憧憬は強く感じられ、そこについてはなんと無しに切ない気持ちになる。しかし、すでに彼は公理では記述不可能な領域というものがあり、そこへは公理ではたどり着くことができないことを知っていた。であるとすれば、その記述不可能な領域を示すためには、記述可能な領域の境界まで公理を行き届かせなければならない。そのことによってのみ、我々は我々自身を知ることができる。
しかし実はそのような記述可能な世界を記述し尽くすことはあまり難しいことではない。なぜなら、記述できることはすべて自明な事柄、言い換えればどんな場合にも成り立つ命題=恒真命題であるのだから。
4.12
命題は、現実のすべてを叙述できるが、それを叙述しうるために現実と共有すべきもの、すなわち論理的形式を叙述することはできない。
5.6
私の言葉の境界が、私の世界の境界を意味する。
6.5
人が語りだすことのできぬ回答に対しては、人は問いをも語り出すことはできない。
謎は存在しない。
ともあれ問いが発せられる以上、その問いは、答えることのできるものである。
しかし、これほどいろいろ引用したくなるような著作というのもなかなか無いのではないか。単純に文章の形式が極端に文章の短い断章であるというだけかもしれないが。
なんにせよ、これから幾度か読み返さなければならない作品である。
Sunday, July 13, 2008
Sunday, July 06, 2008
ゲーデル入門

・高橋昌一郎『ゲーデルの哲学——不完全性定理と神の存在論』を読んだ。世に入門書は数多あるが、本書はまさにゲーデルの不完全性定理と彼の哲学に入門するのに最適な良著だ。以下、簡単に本書のメモ。
ゲーデルの不完全性定理とは、たとえば数学をとりあげたとして、数学の語彙で記述されるにもかかかわらず、数学的に証明することのできない命題が存在するということを示した定理だ(ここで記述可能性と証明可能性が別物であることに注意が必要)。僕の拙い理解で言えば、「この命題は数学的に証明することができない」という命題を、数学的に「記述」することができるということだ。もちろん、この命題を数学的に証明しようとすれば、もとの命題が自己矛盾を起こす。従ってこの命題を数学で証明することはできない訳だが、ゲーデル以前の数学界では、全ての数学的問題は数学によって記述できるであろう、したがって我々はそのような体系を構築せねば成らない、という理念を持っていた。この理念はラッセルとホワイトヘッドの『プリンキア・マテマティカ』に集約される。ところがゲーデルの証明はこの理念に完全に引導を渡してしまったのである。
注意すべきは、数学で表記される体系内に矛盾が入り込む、ということではない。逆に、無矛盾であるシステムには、そのシステムの公理に依っては証明することの不可能な命題が存在する、というのがゲーデルの不完全性定理である。本書での不完全性定理の記述を引いてみよう。
第一不完全性定理:システムSが正常であるとき、Sは不完全である。
第二不完全性定理:システムSが正常であるとき、Sは自己の無矛盾性を証明できない。
ゲーデルはこの不完全性定理から、唯物論は論理的にあり得ないことを導いた。経験や観測などから導かれる自然科学的な認識論では、そのシステム内部で記述できないにもかかわらず、人間に依って確かに認識可能な事象が存在するからである。人間精神は脳神経のシステムに還元はできない。なぜなら人間はその脳システムによって記述可能である領域よりもさらにメタ方向にある論理にたどり着くことができるからである。
・ゲーデルの不完全性定理のポイントは、システム内にそのシステムの文法での証明を拒む特異点が存在するという所だろう。そして現代思想においては、この極点こそが注目されていたところだ。浅田彰のいうクラインの壷や、ラカンの対象aなどが代表例だろう。ある体系において自己言及と、自己否定が絡み合うと、そこにこのようなパラドックスが生じる。例えば、このブログでは嘘だけを書いている。
・と、ゲーデルについて読んだので、以前に買ったまま眠っていたウィトゲンシュタイン『論理哲学論』(論理哲学論考の方が一般的)に挑戦しようかと思っている。まあ読み通せたら上出来か。しかし『論理哲学論』はいろんな出版社から出てるよね。

・そういえばダグラス・ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』も読み止しで放置したままであるなぁ。あれはドゥルーズ『アンチ・オイディプス』と同時に読みはじめて、どちらもまだ読み切っていない。
Friday, July 04, 2008
日記 2008/07/04
・久しぶりに新宿で買い物。バーゲンセールである。特に学生時代には新宿まで洋服を見に行くことはしょっちゅうだったのだが、最近はめっきり少なくなってしまった。だって洋服買い出すとお金かかるからね。というわけで、ほとんど冬のセール以来のご無沙汰で洋服の物色をし、色々、といっても仕事帰りだったので伊勢丹にあるショップのみだが、見て回った結果、まずいくつか欲しい靴があったけれどもサイズが無いため、あるいは高いため、それらの靴はとりあえず断念。次に洋服。Comme des Garconsの今シーズンは好みに合わず。2FのセレクトショップでKris Van Asscheの隣にあったブランドのカットソーが良い感じだったが、値段と折り合いがつかず。そんなこんなで本日は戦果無し。
・新宿に来てDisk Unionに寄らずに帰る訳にはいくまい。ということで、いつものUnion本店6Fで、こちらはいくつか購入。
しかし、いまだ引っ越し先でオーディオがまともにならせる環境に成っていない。スピーカーケーブルが届かないのです。しかたがないからヘッドフォンで聞きましょう。
・新宿タワーレコードに寄り、アラザルが店頭に並んでいる姿をようやく目にする。とりあえず3カ所に陳列していただいていることを確認。ありがとうございます。そしてそのうち一カ所が、菊地成孔/大谷能生『M/D』、菊地成孔『服は何故音楽を必要とするのか?』、大友良英『Musics』という、全員尊敬してます!という著作の並びにアラザルが!すばらしい。担当者の方に一言挨拶すると、順調に売れている模様。ご購入頂いた皆様、ありがとうございます。
・新宿に来てDisk Unionに寄らずに帰る訳にはいくまい。ということで、いつものUnion本店6Fで、こちらはいくつか購入。
- A Young Person's Guide to Antonie Beuger
- Rhori Davies, Simon H.Fell, Mark Wastell / LODI
- Eva-Maria Houben / von da nach da
- dafeldecker, kurzmann, fennesz, o'rouke, drumm, siewert
- David Grubbs / The Spectrum Between
- Gordon Mumma / Live-Electronic Music
- Yasunao Tone / Solo for Wounded CD
- 暴力温泉芸者 / OTIS
しかし、いまだ引っ越し先でオーディオがまともにならせる環境に成っていない。スピーカーケーブルが届かないのです。しかたがないからヘッドフォンで聞きましょう。
・新宿タワーレコードに寄り、アラザルが店頭に並んでいる姿をようやく目にする。とりあえず3カ所に陳列していただいていることを確認。ありがとうございます。そしてそのうち一カ所が、菊地成孔/大谷能生『M/D』、菊地成孔『服は何故音楽を必要とするのか?』、大友良英『Musics』という、全員尊敬してます!という著作の並びにアラザルが!すばらしい。担当者の方に一言挨拶すると、順調に売れている模様。ご購入頂いた皆様、ありがとうございます。

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